21
騒がしい気がして目を覚ますと、目の前に見たことがある人がいた。
それは、いつもお昼休みに私の近くでご飯を食べている男性だった。
「あっ!あな!った!っ!ごほっ!ゴホゴホ……ッ」
「あ、水を。どうぞ!」
目の前の男が犯人だと思って咄嗟に声を出すと、寝起き直後に大声を出そうとしたせいか、喉が張り付いて咳込んでしまった。
すぐ背中を支えて起こしてくれて水を差しだしてくれたけど、犯人かもしれない人の差し出す水は怖くて飲めない。
「セレナ!気が付いたか!」
(え?フェリクス様?なんで……)
「大丈夫か!?ほら、水を飲んで」
犯人と思しき男が差し出した水を奪い取って私に差し出してきた。
(フェリクス様が差し出してくるなら、大丈夫なのかも)
起き上がって一口水を飲むと、少し落ち着いた。
喉が渇いていたようで、水がとてもおいしく感じた。
ゆっくりとコップ一杯の水を飲み干す。
フェリクス様に、「どうしてここに?」と聞こうと思ったけれど、言葉が出なかった。
助けに来てくれたようだけど、以前はすぐに手を重ねて来たり腰を抱かれていたのに、今は一歩引いた位置にいる。
目も合わないし。
目が合ったのは水をくれた時だけ。
(フェリクス様が犯人?な訳ないか。普通に考えて助けにきてくれたんだよね?)
あの日のフェリクス様の言う事は私には身に覚えがなかったけど、最後に会った時はあんなに怒っていた。
家に帰らなくなる程私はフェリクス様を怒らせてしまったらしいけど、その怒りがどうやら今も続いているみたいだ。
だって、今も少し顔を背けてるし、眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。
これは離婚前に妻が連れ去られたとなれば、家の醜聞となりかねないからとりあえず助けに来ただけで、離婚の話を切り出すタイミングをみているのかもしれない。
助けに来てくれた!と嬉しく感じたのはほんの一瞬で、フェリクス様の表情をみて浮上しかかった気持ちが心の底深くまでズンズン落ちて行っているのが分かる。
気持ちが落ちるのに合わせて、首の角度も下がっていき、俯いてしまう。
「あの~。フェリクス様?何か言ったらどうですか?」
「……あぁ」
私が目覚めて最初に犯人かもと思った王城でお昼によく一緒になる男性が、重苦しい沈黙の中、フェリクス様に話しかけた。
フェリクス様は返事をした後、また沈黙。
怜悧で冷たいと噂されるけど本当は優しい人だし、離婚して欲しいとは言いにくい事なのだろう。
離婚なら応じますと、自分から言った方が良いんだろうか?
離婚したいわけではない。 したくない。
フェリクス様が帰って来なくなったことが凄くショックで、こんなに好きになっていたのかと自分でも驚いた。
だからこそ、帰って来ないというのがフェリクス様の意思表示なら、私にできるのは実家に帰って離婚の申し出に応じることだと思った。
本当はこれからも一緒にいたい。
でも、それが無理なら迷惑はかけたくない。
最後くらい、最後だけは、少しでもフェリクス様の負担にならないようにしたい。
私がフェリクス様にできることはもう、これしかないだろうから。
「あの、離―――っ!?」
意を決して伝えようとした瞬間、ドンドンドンと強くドアを叩く音がして肩が跳ねた。
ドアの方を見ると、室内にいる誰も返事をしていないのに勢いよく開かれる。
息を切らせたトニアがベッドに駆け寄り、飛び込む勢いで私を抱きしめた。
「奥様!ああ!ご無事でよかったです!怖い思いをされたのではありませんか?アルマ様がいらっしゃって、旦那様が飛び出して行ったから、やっとこれで奥様が帰っていらっしゃると使用人一同胸をなでおろしてお待ち申し上げていたのに!旦那様から連絡が来たときは本当に心臓が止まるかと思いました!よくぞご無事で!本当に良かった!!もう大丈夫ですよ!攫われたのは奥様ではなく、私という事にしますから!奥様は何も心配ありません!」
今は離婚を切り出すことに頭も心もいっぱいだった私には、トニアから発せられた言葉の情報量が多すぎて理解が追いつかない。
アルマが侯爵家の別邸に来た?
旦那様が飛び出して?
で、えっと?
攫われたのは私ではなくトニアという事にする?
全体的に意味が分からない。
まだトニアに抱きしめられたまま、誰かに答えを求めて無意識に視線を彷徨わせると、フェリクス様と目があった。
目が合った瞬間にサッと逸らされて、ズキンと胸が痛んだ。
(目が合うのももう嫌なの……?)
とりあえず、今はトニアを落ち着かせて話を聞いた方が良いだろう。