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王女様が私の服を引っ張って明るい声を出す。
「あの人!今朝、私が道に迷っていたところを助けてくれた人だわ。もしかしてまた偶然通りかかって助けに来てくれたのかも!」
王女様の言葉に、私は応える余裕がなかった。
フェリクス様から帰れと言われたはずの人が、こちらに走って来ているのだから。
(フェリクス様はヨーシアのことは言っていなかったけど、アンナ様を助けた……?どうして?何が目的?なんでいるの?)
フェリクス様が外からは入ってこられないと言っていたから大丈夫……と自分に言い聞かせながらも、ヨーシアから目が離せない。
嫌な予感から呼吸が浅くなる。
そのとき、突然馬車のドアの辺りからガン!と大きな音がして、振動で微かに車内が揺れた。
反射的に音のしたほうを見ると、薄汚れた服を着た男と窓越しに目が合った。
途端、男はニチャと音がしそうな歪んだ笑みを浮かべる。
私の後ろで王女様が声にならない悲鳴をあげた。
(盗賊!?やっぱりヨーシアが手引きを……)
パニックになりながらも、王女様を守れるのは私しかいないと考えていた。
馬車が停車した理由が、万が一フェリクス様の魔術が届かなくなってしまったからだとしたら、同時に結界が解かれている可能性がある。
考えたくはないけど、フェリクス様の身に何かあった可能性も……。
「そうだ!」
馬車の座席の下には護身用の短剣が入っていることを思い出した。
すぐに手に取り、向き直る。
フェリクス様が大丈夫と言った通り、盗賊らしき男が何度も斧でドアノブを叩くが、壊れる様子はない。
(あ、結界はまだ効いてる。良かった、フェリクス様は無事……!)
私がフェリクス様の無事を確信し心強く思う一方で、王女様は襲い来る盗賊を目の当たりにして震えていた。
ガン!ゴン!と大きな音と振動が伝わり、そのたびに王女様は小さく悲鳴をあげて蹲っている。
私は短剣を持っているほうの腕をドアへと向けつつ、反対の腕で王女様を抱き寄せた。
王女様を抱き締めるために低い姿勢になってしまう。
馬車の床に座ったまま顔を上げると、盗賊の男が斧を窓に叩きつけるように、大きく振りかぶる瞬間だった。
(っ!ガラスはさすがに割れてしまうかも!)
王女様を抱き締める腕に力が入り、息を飲んだ瞬間、盗賊の男が突如目の前から消えた。
「え……」
私の目には、窓を割ろうと振りかぶっていた盗賊の男の所にヨーシアが来たと思ったら、盗賊の男が弾かれるように横に飛んでいったように見えた。
だけど、盗賊を蹴ったはずのヨーシアの姿も見えない。
(な、何が起こったの……?)
馬車の床に這いつくばるような姿勢になっていた私は、外の様子がよく見えなかった。
這うように窓の側へいき、恐る恐る窓の外を見ようと伸び上がる。
すると、トンっと軽い振動を感じたと思ったら、ヨーシアが目の前に突然現れた。
「っ!きゃぁぁぁあ!?」
ドアを隔てているとはいえ、互いがドアの前にいて、その距離は物凄く近い。
至近距離に突然現れたヨーシアに、私は悲鳴をあげてしまった。
咄嗟に後退ると、背中が王女様にぶつかる。
剣先をヨーシアのほうへ向け、精一杯腕を伸ばす。
「――っ!――!!」
ヨーシアはこちらに向かって何か言っているようだけど、冷静さを失っている私の耳には何も届かない。
ヨーシアがドアの前から退いたのか、再び私の視界から消えた。
(待って。いったいどこへ!?)
どこかへ消えてほしいのに、見えなくなるとそれはそれで怖い。
怖いからこそ居場所は把握しておきたい。
彼の居場所を確認するために再び一歩ドアへと近づいた瞬間、いきなり目の前のドアが開いた。
「っ!?いやぁ!!」
「セレナ!うわっ!?セレナ!?落ち着いて!剣を置いて!危ない!」
ヨーシアがドアを開けたと思った私は、短剣をぶんぶんと振る。
「セレナ!もう大丈夫だから!」
めちゃくちゃに振り回していた手を掴まれて、はっと見るとフェリクス様がいた。
必死すぎて目を瞑っていたらしい。
「あ……フェリクス様っ!」
抱き着こうとすると、「待って、セレナ!」と止められた。
今はすぐにでも抱き締めてほしいのに。
いつもなら真っ先に抱き締めてくれるのに。
「セレナ、まずは剣を置こうか」
「え?あ……」
力一杯握りしめていたせいか、力が抜けずに短剣を放せない。
フェリクス様の手が添えられて、ようやく手の力が抜ける。
「よく頑張ったね。もう大丈夫」
恐怖心と安堵から、私は勝手に涙が溢れて止まらなかった。
フェリクス様にしばらく抱き締められて、ようやく落ち着きを取り戻す。
フェリクス様の膝の上にいることに気づいて降りようとすると、「なんで?」と腕の力が強まった。
「もう大丈夫ですから。それよりも!フェリクス様、怪我はありませんか?」
「うん。大丈夫。俺は後方から魔術でサポートをしただけで、ほとんどはイヴァンとマルセロが盗賊たちの相手をしていたから」
イヴァン様は、体つきはフェリクス様より大きくて騎士らしいものの、雰囲気が柔和でにこやか。寡黙で堅い雰囲気の人が多いこの国の騎士団の中では、騎士らしくないと思っていた。
だけど、王宮近衛騎士は伊達ではないらしい。
「フェリクス様に怪我がなくて良かった……。そういえば、二人は?」
「今はまだ後始末中。馬車に近づく盗賊らしき者が見えたから、もう離れても大丈夫そうなところで俺だけ急いで戻ってきたんだ」
「そうだったんですね。……あっ!」
そういえば、ヨーシアは?と思ったら、少し離れた所にいた。馬車内にいる王女様と窓越しに話している。
私がヨーシアの存在を気にしていることに気づいたフェリクス様が、「ヨーシアのことだけど――」と彼が付いてきていたことを教えてくれた。
「ヨーシアが馬車に向かって走っていくのが見えたから。セレナが怖がるかもと思って」
フェリクス様の予想通り、物凄く怖かった。
初めは絶対襲いに来たのだと思ったし、盗賊をやっつけてくれた……?と思ったら、至近距離でいきなり目の前に現れたときは、本当に心臓が止まるかと思うほど驚いてパニックになった。
私の視線に気づいたヨーシアがこちらに近づいてくる。
ニコニコの笑顔や飄々とした雰囲気はなりを潜めていた。
雰囲気の違うヨーシアに、思わずフェリクス様に縋ってしまう。
「奥様。怖い思いをさせてしまいまして、申し訳ございませんでした。馬車に近付くやつが見えたから……。ボクは魔術があまり得意ではなくて、咄嗟のときは体術のほうが確実だから。どうしても接近戦になってしまうんです。怖がらせるつもりはなかったんですが」
「……何のためにここに?どうして付いてきたの?」
「寂しくて」
「は?」
「しばらくぶりに会えたのに、すぐに帰れって言われて。同行を許されると思ってたのに」
拗ねた口調のヨーシア。
子供のような理由に唖然としてしまう。
「俺が休めと言ったから、『休暇中はどこに行こうと自由だ』と付いてきたらしい……。実は、俺も今朝気づいたんだ。それで、アンナ様を保護したのがヨーシアでね」
屁理屈というのか、悪知恵が働くというのか。
でも、そのお陰で馬車を壊そうとした盗賊に気づけた。
私を守ろうとしてくれたのだろう。
すぐに心から信頼できそうにないけど、助けてくれたのは理解できる。
「……助けてくれてありがとう」
「いえいえ。奥様をお守りするのもボクらの仕事ですし」
私が一応お礼を言うと、ヨーシアは先ほどまでの態度を一変させ、軽い調子で言う。
フェリクス様から「本当に反省しているのか?」と即座に注意を受けて「してますよぅ」とあやしい返事をしていた。
「それにしても、奥様は勇ましいですね!短剣を向けてくる奥様には惚れ惚れしてしまいました。さすが、ボクのフェリクス様が選んだ方だ」
にっこり笑うヨーシアを見て、私は寒気がした。
(剣を向けられて、惚れ惚れ……?それに、ボクのフェリクス様って?)
「ヨーシア?」
フェリクス様がヨーシアの言葉に反応して低い声を出した。
「やだなぁ。ボクの一番はいつだってフェリクス様です。ボクが命を預けていいと思えたのはフェリクス様だけですから」
私が(そういう意味か……)とほっとすると、フェリクス様は「そういうことではない」とあしらう。
フェリクス様からの冷たい視線をものともせずに、笑顔を向けるヨーシア。
「だけど、フェリクス様が奥様を選ばれた理由や、あいつが欲しいと思った理由が、少しだけわかる気が――」
「ヨーシア」
私が(あいつって?)と思った途端、またフェリクス様が低い声を出した。
先ほどよりももっと咎める声色で。
『あいつ』とは、ドゥシャンのことでは?もしかしてヨーシアは報告書以上の何かを知っている?と考えたところで、イヴァン様が戻ってきた。




