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私たちが話し合いを終えて居間に戻ると、寄り添って座っていたヤンセン男爵夫妻はハッとして顔を上げた。
男爵夫人は縋るような視線を王女様へ投げかけている。
「あ……お母様、お父様。あのね……」
両親の表情を見て、王女様は急に自分の決断を伝えにくくなってしまったようだった。
親子の様子を見て、フェリクス様が一歩前に出る。
「殿下は我々と行くことを決められました」
「やはり、そうですか」
男爵は予想していたのだろう。娘の決断を受け入れるように笑顔で深く頷いているものの、肩を落としているのがわかる。
男爵夫妻は王女様の決断がどういう結果を生むのか、きっとわかっている。
王族と地方貴族。今後、話すことはおろか、二度と会えない可能性すらある。
養父母の寂しさが伝わってくる気がして、切なくなってしまう。
「お父様、お母様。今は私、少し領民皆の気遣いが窮屈に感じていて……。ちょっと行ってこようと思うの。だから、お母様。まるで今生の別れのような顔しないで」
「……そうね。ここで暮らしていくよりも、いいわね。きっと」
ヤンセン男爵夫人が寂しさを押し殺したように笑って言った。
母親に背中を押されたように、王女様も明るい表情を作る。
「そうよ。この辺りでは次の婿はおろか、嫁ぎ先さえ見つからないわよ。王都でいいお婿さんつかまえてくるから!」
「ふふ……もう少しお淑やかにしないと。都会の女性はお淑やかだから、男性たちにびっくりされてしまうわよ」
「それでもいいって人を見つけるから大丈夫!」
王都から遠く離れたこの田舎で育った王女様は、わかっていないのかもしれない。
王族になれば、結婚相手は決められた相手になることも、自由に外出さえできないということも。
この決断は、貴族でも届かない場所へ行くということなのに。
親子の気持ちが一旦落ち着きを取り戻したと判断したのか、フェリクス様が無情にも夫妻にタイムリミットを告げる。
「明日の朝には発ちます。明日の朝までに荷物をまとめておいてください。必要なものは、王都までの着替えだけです」
「アンナも明日皆様と一緒に行くことになるのですか?」
「はい。昨日ご説明した通りです」
「そんな急に…………。あ、こうしていられないわね。急いで支度をしなくては。えっと、ドレスと……あ、寒くなってから着るための外套も必要よね。アンナは喉が弱いから蜂蜜や薬草も。ドレスに合うアクセサリーと。靴は何足必要かしら。アンナのお気に入りのブランケットも入れないと。うちにある鞄で足りるかしら。あっ、そうそう、寂しくないようにとアンナが子供のころにお父様が買ってきたぬいぐるみも――」
「お母様、ぬいぐるみはさすがに大丈夫。私はもう大人なんだから」
男爵夫人は思いつく限りの物を王女様に持たせようと、あれもこれもと声に出し、落ち着かない様子で立ち上がった。
その様子を皆が黙って見守っていたが、さすがにぬいぐるみは――と王女様が苦笑いする。
寂しさが漂う中で、物悲しくも温かい気持ちになり始めたそのとき、フェリクス様が口を開いた。
「……夫人。荷物は王都に着くまでの着替えのみとお伝えしましたが?」
「ですが――」
「今後、殿下の身の回りの物は全て、我が国の王女が身につけるにふさわしい物が用意されます。必要のない物は持って行けません。荷物は最小限に絞ってください。片道分なので、鞄一つか二つ分あれば充分でしょう」
「……はい」
フェリクス様の言葉に、夫人はショックを受けたように視線を下げてしまった。
旅立つ娘のために何かしてあげたいという親心を『必要のない物』なんて……。
フェリクス様の言い方に、とても嫌な感じがすると思ってしまった。
人に命令し慣れている人の躊躇いのない言い方だった。
あれでは従うしかない。
血は繋がっていなくても、男爵夫妻から王女様への愛情が伝わってくる。本当に我が子として育ててきたのだろう。
この別れは、ただ王都へ遊びに行くわけでも、ただ引っ越しするわけでもない。
愛する娘が、娘ではなくなってしまうというときに、夫妻は最後に親として、してあげられることを精一杯やろうとしているだけ。
それなのに……フェリクス様の態度はあまりにも無慈悲で悲しい。
男爵夫妻にもっと寄り添った話し方をしてもいいのに。荷物くらい持たせてあげたらいいのに。
私にはとびきり甘いフェリクス様が、私以外の人には甘くないのは知っている。
結婚前に王城で見かけていたフェリクス様は、冷たく厳しそうに見えていた。まさに今のように。
これがいつも通りの対応といえばいつも通りなのだろうけど、いくらなんでもあんまりだと思った。
「明朝、また伺います。それまでに用意を済ませておいてください。それと、今回は旅を装っていますし、簡単な物で構わないので、手土産を用意していただけると助かります。必要であれば、経費として請求していただいて構いません」
「承知しました。ですが、土産はこちらでご用意いたします」
「頼みます。では、我々は一旦これで」
用は済んだとばかりに立ち上がるフェリクス様。
促されて私も立ち上がったけど、冷たい態度のフェリクス様にまたも嫌だと思ってしまった。
私でさえ、フェリクス様どうして?と思うくらいだから、男爵夫妻も嫌な気持ちになっていても不思議ではない。
しかし、夫妻は深々と頭を下げて我々の馬車を見送ってくれた。




