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急ぐ日程にも慣れ、僅かな時間で町の雰囲気を楽しむ余裕も生まれた。
ここまで、フェリクス様は私をいつも通り甘やかしながら来たから、本当に普通の旅行のようだった。
「ここからヤンセン男爵領だ」と言うイヴァン様の言葉を聞いて、窓の外に目を向ける。
事前情報通り、裕福ではない様子が窺えた。
畑の中にぽつぽつと小さい家が建っているので、農村地帯なのだろう。
ただ、野菜畑よりも花畑が目立つ。何の花かわからないけど、一面の花畑はとても綺麗だった。
(この景色を観光に活かしたらもう少し豊かになりそうだけど……)
お父様が商売下手で貧乏だったせいか、無意識にお金儲けができそうなことがあるとたまに考えてしまうことがある。
あまりにも縁談の申し込みがなかったので、このまま結婚しないかもしれないと考えることもあった。それでどんな商売をして一人で生きていくのがいいか、想像して考えることがよくあった。
もうそんな心配のいらない生活をしているのだからやめたいのだけど、癖になっているのか無意識に考えているときがある。
「――レナ。セレナ」
観光地化するなら……と、外の景色を見ながら想像を膨らませていたので、フェリクス様に呼ばれていることに気づくのが遅れた。
「はいっ」
「ずっと真剣に外を見て、何か気になるものでもあった?」
「あ、いえ……その、花畑がとても綺麗だと思いまして」
私が一人で生きていくために商売をするなら……と、考えていることがフェリクス様にばれてしまったら、大変なことになりそうなので誤魔化す。
ばれたら、「一人でって、どういうこと!?」と悲しまれるか詰め寄られそう。
「確かに。染料用でもここまでだと圧巻だね」
「あ、染料用なんですね」
染料用の花畑だと聞いて、そういえば王妃様お気に入りとして王都で流行っているニミウコ染めという技法は、ヤンセン男爵領発祥の技法だったはずだと思い出す。
染めの技法よりも染めた布で作ったドレスの話題が先行し、ヤンセン男爵領発祥というのはあまり広まっていないけど。
王妃様は、娘のいるヤンセン男爵領を少しでも取り立てようと動いていたのかもしれない。
しかし、染めの技法だけで急に栄えることは難しい。
ヤンセン男爵領の中心となる街が、都市間の主要な街道から逸れているのも、栄えていない理由のような気がした。
がたがたと揺れの大きくなった馬車の中、フェリクス様がぴったりと寄り添ってきて腰を抱かれる。
あれだけイヴァン様から呆れられていたのに、やっぱりフェリクス様は気にしていない。
フェリクス様の距離が近くなると、イヴァン様は御者台についた小窓を開けてマルセロと話し出した。きっといたたまれなくなったのだろう。
フェリクス様はイヴァン様もいるのにとにかく私だけという感じだけど、この旅をきっかけに二人の友情にヒビが入りそうで少し心配。
二人の友情を壊したくないので、フェリクス様から少し離れようとしたとき、馬車が大きく揺れた。
「きゃっ」
体がぐらりと傾きかけたけど、フェリクス様の腕に支えられた。
「セレナ、大丈夫?」
「ありがとうございます。大丈夫です」
「道が悪いからちゃんと俺に寄り添っていて」
「でも……」
ちらりとイヴァン様を窺うと、目が合った。
「セレナちゃん。ここからは予想外の揺れがくるだろうから、リックを支えにしたほうが安全だよ」
フェリクス様が体を寄せてきたのは揺れから私を守るためで、イヴァン様もそれをわかっていた。
御者台の小窓からマルセロと話していたのも、道の先を見るため。
二人は言葉で確認し合わなくてもわかっているんだと感心した。
二人の友情にヒビが――なんて、私の杞憂のようだ。
◇
ヤンセン男爵領の中で一番大きな街を抜け、ヤンセン男爵邸に着いた。
いつものようにフェリクス様にエスコートされながら馬車から降りる。
(わっ。お城だ。さっきの街は城下町だったのね)
見上げた先にある屋敷は、地方貴族の屋敷らしくお城になっている。
だけど、ロータリーの石畳は所々抜けがあったり、奥のほうの庭木は枝を伸ばし放題になったりしていて、手入れが追いついていない印象を受けた。
見渡してみると、奥に野菜畑があるのが見えた。その横には薬草も見える。
そこはしっかり手入れされていて、その生活感溢れる様子に親近感を覚える。
不躾に見ていると、屋敷の中から慌てた様子でがっちり体型の男性とほっそりした女性が出てきた。
彼らがヤンセン男爵夫妻なのだろう。
「突然の訪問、申し訳ない。フェリクス・ハーディングと申します。彼女は妻のセレナです」
「あ、ハーディング侯爵殿と侯爵夫人でしたか」
「私は、イヴァン・ヘルツベルクと申します」
「ヘルツベルク侯爵家の……。私はヤンセン男爵家の当主でエイベルと申します。そして、妻のノーマです」
ヤンセン男爵夫妻は自分たちも名乗りながら、明らかに戸惑いが顔に浮かんでいた。
理由は伝えられなくても、訪問の先触れくらいは出しているのかと思ったのに、フェリクス様は先触れさえ出していなかったらしい。
「それで本日はいったい……?」
ヤンセン男爵夫妻が戸惑うのも無理はない。
フェリクス様はこの国の侯爵家の筆頭であるハーディング侯爵だし、イヴァン様もヘルツベルク侯爵家の人間。
しかも、フェリクス様は宰相補佐官としても結構有名。
いきなり王都からこんなに遠く離れた場所に現れるはずのない人たち。
さらには私までいるのだから、用件が想像できないのだろう。
「王城からの使者として参りました」
「あ、それは遠くまで足をお運びくださいまして。どうぞ、まずはお入りください」
フェリクス様にエスコートされたまま、私も屋敷の中に足を踏み入れた。屋敷の中は古い物を大切に使っているのがわかる。ますます実家と似ていて親近感を覚えた。
今、王女様は外出中らしく、ちょうどいいからとすぐに話し合いが始まった。
「ごめん、セレナは他の部屋で待っていてくれる?」
「わかりました」
「あ、では夫人は居間へご案内いたします」
話し合いでは私には話していない話もするのだろう。
ここに来るまでに私が聞いた話では、第二王子様と双子の王女様が生まれたのだけど、様々なしきたりや事情があって、王女様は亡くなったと思われていた。が、秘密裏に逃がした者がいて、ヤンセン男爵令嬢となって生きていることがわかった。だから迎えに行く。
――のだけど、『ヤンセン男爵夫妻は自分の養女が王女だと知らないはずだ』と言っていた。……ちなみに、お義父様が冤罪で拘束されたのはこの件が絡んでいると教えてもらえた。
フェリクス様は、ヤンセン男爵夫妻にどう説明するのだろう。
王妃様の使いで従者が王女様の様子を時々見に来ていたらしいけど、ヤンセン男爵には王城からの定期監査と言ったり、もっと先の領地へ行くため宿代わりに泊めてほしいと言ったりして来ていたらしい。
昔拾った子供が、実は自国の王女様だと聞かされるだけでも、きっと飲み込むのに時間がかかる。
さらに、すぐに王都へと連れて行くと言われたら、私なら思考が停止してしまいそう……。
そもそも、王女様がすぐに王都へ行くと言うだろうか。
フェリクス様の仕事は王女様を迎えに来て、無事に連れて帰ることだと聞いたけど、行きたくないと言われる可能性もある。
上昇志向の強いタイプなら自分が王女だと知ったら、すぐに行くというかもしれない。けど、それはそれで別の不安要素しかない。
その場合は、私の侍女役も一層失敗できないし――と考え事をしていると、力強くドアを開け閉めしたような物音が耳に届く。
玄関のほうではなく、居間の続きドアの奥から聞こえるので、裏口から王女様が帰宅したと思われる。
(どうしよう。このまま居間へ入ってくるんじゃ……)
フェリクス様はまだ話し合いから戻ってこないのに。




