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(どうしよう……!!)
行き交う人の波をぬって歩き、見覚えのある建物や目印がないかと忙しなく視線を動かす。
私は今、土地勘のない場所で一人、迷子になっていた――――
宿の外で朝食を済ませ、食堂から宿へ戻っている途中で、私は急激にお手洗いに行きたくなってしまった。宿まではまだ歩かなければならない場所で。
すぐに察知してくれたフェリクス様が、近くの建物でお手洗いを借りてくれたので、事なきを得たのは良かった。
だけど、お手洗いから戻ると建物の入口で待っているはずの皆がいなかった。
今思えば、皆がいないことを(何か見てるのかな?)と安易に考えて、探すためにうろうろしたのがいけなかった。
少しうろうろしてから、景色にまったく見覚えがないことに気づく。
お手洗いを借りるために入ったドアから出たつもりでいたけど、どうやら私は出口を間違えたらしい。
外は似たような建物が建ち並んでいるため、すぐに気づけなかった。
フェリクス様なら、私が戻るまでその場を離れることはないはずなのに。建物の裏に出ていたことにすぐに気づいていれば、こんなことにならなかったのに。
完全にフェリクス様とはぐれてしまった。
早く戻らなければと焦れば焦るほど、無闇に走り回ってしまう。
どんどん自分の居場所さえわからなくなってきた。
こんなときに限って、フェリクス様から贈られた居場所がわかるという、いつも着けている魔石のアクセサリーを部屋に置いてきてしまった。
(あ、この道は見覚えがあるかも?そうだ。ここを右で――あった!)
やっとお手洗いを借りた建物を見つけることができた。
はやる気持ちから建物に走り寄るが、そのとき足に激痛を感じた。
「痛……!?」
痛みのせいで変に力が抜けてしまい、がくっと体が傾く。
「あっ……!?」
「危ない!」
倒れ込みかけた私を咄嗟に支えてくれた人がいて、転倒を免れた。
「大丈夫ですか?」
「あ、恐れ入ります。助けていただきありがとうございます。お陰で転ばずに済みました」
「とんでもない。足ですか?とりあえずそこへ」
男性は周囲を見渡して、近くの腰掛けられそうな段差へと肩を支えて誘導してくれた。
親切な男性だけど、日中はもう暑い季節なのに妙に着込んでいるのが気になった。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。きっと靴擦れなので……」
「なるほど。足だと傷の具合を見せてくださいとも、早く確認したほうが良いとも言えませんね」
この国では、既婚の貴族夫人はあまり足を見せない服装をし、人前で素足を晒すのは御法度とされている。
冗談めかして笑う男性を見て、引っかかりを覚えた。
(あれ?どこかで会った?……誰かに似てるのかも。誰だったかしら?)
そんなことを考えていると、男性は「あ。少し待っていてください」と小走りで走り去る。
目で追うと、近くにあった井戸のポンプを押して、ハンカチを水で濡らしていた。
「お待たせしました。これ、使ってください」
あまりにも親切にしてくれるので、自分が靴擦れをおこして座っていたことを忘れ、私は立ち上がってお礼を言おうとしてしまった。
「ありが――痛っ!」
「あぁ、ほら!どうぞ座ったままで。ボクは――」
立ち上がろうとした瞬間、また足に痛みが走り、軽く前のめりになる。
私の馬鹿な行動によって、男性はまた肩を支えてくれたのだけど――――
「妻に触れるな!!」
硬い声が割って入ってきた。
フェリクス様が険しい顔をして助けてくれた男性を睨みながら、すぐに私と男性の間に身体をねじ込んでくる。
「あ、フェリクス様。違うんです。この方は――」
「あぁ!ご無沙汰してます!フェリクス様!」
「お前……」
私がフェリクス様に説明しようとする声が、男性の声にかき消された。久しぶりの再会を喜ぶ、弾んだ声だった。
「お知り合いですか?」
「この男は、ヨーシア。……影の一族の一人なんだ」
フェリクス様は私を背に庇うように立ち、まっすぐヨーシアを見据えている。
影の一族ならば、フェリクス様の配下。なのに、どうしてそんな態度なのか?
「どうしてお前がここにいる?」
「もちろん、サプライズですよ」
フェリクス様の鋭い視線を受け流し、ヨーシアが笑顔で言う。
「サプライズ……?」
「だって。久しぶりに会えると思ったのに、旅に出ていつ帰るかわからないって言われて。だから、来ちゃいました!」
「…………」
フェリクス様がピリピリしているのが、背中越しでもわかる。
先ほども思ったけど、彼の笑った顔が誰かに似ている。
なぜかゾクリと寒気が走り、本能的にフェリクス様の背中に縋り付いてしまう。
するとすぐにフェリクス様が振り返って腕に囲ってくれた。
「セレナを怖がらせるな」
「えー?ボク怖いですか?さっきまで普通だったのに。やっとお目にかかれましたね、奥様。初めまして。ボクは――痛ぁ!?」
ずいと一歩前に踏み出してきたヨーシアに身構えた途端、彼の頭に拳が振り下ろされた。
ゴツンと音が聞こえるほどの威力で、マルセロが拳骨をしたのだ。
そして、目に涙を浮かべて両手で頭を押さえるヨーシアを、マルセロが襟を掴んで後ろに引っ張っていく。
「わわっ!?ちょっと、兄さん。転ぶ!それに苦しいよ。放して」
「お前が勝手な行動をするからだ!」
「だってぇ。ボクだって奥様に会いたかった」
「だってじゃない!」
目の前で突然繰り広げられた展開に、目を白黒させてしまう。
(え?兄さん??兄弟なの?それにしては似ていないような……)
二人のやり取りに注視していると、頭の上からため息が降ってくる。
視線を上げてフェリクス様の顔を見ると、頭痛がするかのような表情をしていた。
もしかしたら、いつも通りのやり取りなのかもしれない。
「ヨーシアはいくつかの長期任務に就いていたんだ。マルセロをセレナの護衛にしていたし、代わりにね。確かに帰還予定と連絡は来ていたが、わざわざ追ってくるとは思わなかった」
マルセロの代わりに任務を任せるとは、フェリクス様のヨーシアへの信頼度がうかがえる。
(それならどうしてあんな態度だったの?)
「マルセロに似て適当なところがあるからな」
「ちょっと、フェリクス様?俺は別に適当じゃ……」
フェリクス様から適当と言われたマルセロが、不服そうに身を乗り出してきた。
「マルセロ。ヨーシアの勝手な行動はお前の責任だ。わかっていたんだろ?追ってきていることは。弟に甘いんだから」
「はい……。申し訳ございません。おい、お前も謝れ」
「……申し訳ございませんでした。改めまして、侯爵家の影をしているヨーシアと申します。奥様、以後お見知りおきを」
先ほどのフェリクス様のピリピリした様子や彼の笑顔に、えも言われぬ恐怖を感じて、私は無意識に警戒していた。
その後、「あぁ!セレナちゃん見つかったの!?良かった!」とイヴァン様が汗だくで走ってくる。
迷惑を掛けてしまったことを平謝りした。




