03
フェリクス様と二人きりの馬車の中は、長時間の移動でも疲れにくいようにとトニアが用意してくれたクッションやブランケットがある。
それがなかったとしても、この馬車は快適だった。
昨日フェリクス様が乗って帰宅した馬車に、私たちは乗っている。
これで昨日フェリクス様が見知らぬ馬車で帰宅した理由がわかった。
あの時点で旅行の準備が始まっていたのだ。
一見シンプルに見える外装は、旅を安全にすすめるためのもの。
そんなシンプルな外装に比べて、とても豪華で高級感溢れる内装は高級サロンのようだった。
「四人乗りかと思いましたけど、中は意外と広いんですね」
「魔術で中の空間が広げられる馬車なんだ。最大で八人乗りまで内部を広げられる」
「えっ。そんな馬車があるんですか。外の大きさは変わらないんですか?」
「うん。王都の狭い道にも馬車で乗り入れられるように開発されたんだ、最近」
街歩きに慣れている私からすると、王都の中心街くらい歩けばいいのにと思ってしまう。
そのほうが意外と良いお店や穴場を見つけやすいのに。
だけど、旅行や長距離を移動するときにはとてもいい馬車だと思う。
今回は二人旅だし、荷物も屋根に括り付けられているから、広すぎるくらいだけど。
新しい仕様の馬車だと聞いて隅々まで見渡していると、今まで見たことのない装飾品が飾られているのを発見した。
「これは何ですか?」
「それは馬を遠隔で操るときに使う魔道具だよ」
「そんなことができるんですか?」
「馬に予め対となる魔装具を付けておけば、この魔道具で遠隔操作できる。御者に何かあった場合を想定した緊急用としてね」
「あ、なるほど。普及したら事故が減って良さそうですね」
「あー、うん。そうだね」
なんとなく曖昧な反応のフェリクス様に違和感を覚える。
仕事柄、フェリクス様が普及するように推進してもおかしくない魔道具なのに。
「もしかして、凄く高価なんですか?」
「それもあるけど、この馬車はなんて言えばいいのか、実用的ではないんだ。……実は、簡単に言うとお詫びの品のようなものだから」
「お詫びって、お義父様の件で?」
「うん。表立って謝罪できないから、適当な理由をつけて他にもいろいろと贈られた」
フェリクス様からお義父様の拘束が解けたことについて、詳細は話せないと言われている。よくわからないけど、最悪冤罪で処刑されるくらいの犯人扱いをしたのに、お詫びが馬車一台。
誠意が足りないのでは?と思うけど、お詫びの品があるだけ良いほうなのだろう。
きっとこの馬車も購入したら相当高いことはわかる。
「これって、国――王族からのお詫びってことですか?」
「うん、ある意味。この馬車は王族向けの仕様なんだ。これも王族仕様の魔道具。馬を制御するためにはある程度の魔力量も必要だから」
「王族仕様……。あ!だからこんなに座面がふかふかで座り心地が良くて、内装も高級感が溢れているのですね。普通と違うわけですね」
「まぁ、そうだね。下げ渡された形だから」
改めて座面を撫でると、格段に違うように思えて感嘆の声を漏らしてしまう。
内装も高級感があるし、魔道具も備えてあるなんて高そうだなぁと思い、改めてきょろきょろと内装を見る。
(汚したり傷つけないように気をつけないと……)と思っていると、フェリクス様が立ち上がって向かいの座面を持ち上げた。
「普通の馬車と同じ部分もある。ここに護身用の魔力を必要としない武器も入っているし、毛布を入れておくスペースもあるよ」
私があまりにも驚いていたから、わざわざ他の馬車と同じところもあるとフェリクス様が見せてくれたのだろう。
一通り新しい馬車の中を見たら、窓の外へと目を向ける。旅行ならば景色も楽しみたいから。
しかし、すぐに私の頬を撫でる手が伸びてきて、そっと顔の向きを変えられてしまった。
「セレナ」
「…………」
まるで新婚旅行のときのように、フェリクス様から視線を逸らすことを許してくれない。
あの頃は私の興味が少しでも他へ向いてしまうのが嫌という感じだったフェリクス様も、今は落ち着いてきたと思っていたのに。
抗議の意味を込めてじっと見つめると、甘く微笑まれた。
私が怯むとフェリクス様の笑みが深まる。
(もぅ……!私がこの顔に弱いこと、絶対ばれている)
フェリクス様の甘い微笑みに負けた私は、景色を見るのを諦めた。
「あ、そういえば御者はマルセロなんですね」
「うん。一応、護衛も兼ねてね」
二人でと言っていたけど、マルセロが御者ということは、完全に二人きりというわけではないのだろう。
それならトニアも一緒で良かったのでは?と思う。
フェリクス様は本当に私の着替えを手伝うつもりのようだけど、トニアが来てくれたらこんな心配しなくて済んだのに。
(どうして二人きりなんだろう)
フェリクス様は私が困るくらい使用人の目なんて気にしていないから、トニアがいても問題なさそうだけど。
あえて二人きりで行きたい場所があるのだろうか。
「……あっ!!」
「どうしたの?セレナが大きい声を出すのは珍しいね」
「どこへ行くのか聞き忘れていました」
昨日は急に翌日からの旅行が決まって、慌ただしく準備をしていたから、肝心なことを聞き忘れていた。
「言ってなかったね。ヤンセン男爵領へ行こうと思っている」
ヤンセン男爵領は、辺境に近い長閑な田舎で治安が良い。
だけど、この国の中でも小さく貧しい領。
他の領地と比べると、めぼしい観光地はないし、これといった特産物もあまりない。
はっきり言って、観光地として魅力的な要素のない領――という記憶がある。
フェリクス様と結婚してからハーディング一族のことはもちろん、この国の貴族の名前や各領のことも勉強し直した。
今回すぐにヤンセン男爵領について思い出せたのも、勉強した成果の表れだろう。
だからこそ、国内には旅行先として人気の場所が他にもたくさんあることを知った。
なのに、フェリクス様はどうして遠いうえにめぼしい観光地のない場所を選んだのかわからない。
「たまには田舎でのんびりも悪くない。セレナといられるならどこでもいいんだけどね」
そう言って微笑むフェリクス様。
いつものフェリクス様なら、私の髪を手ぐしで梳いたりこめかみにキスをしたりしながら甘く微笑むところだけど、どこかぎこちない笑顔に見えた。
これは相当疲れが溜まっているのだろう。
だからとにかく私と二人でゆっくりしたいのかもしれない。
体だけでなく、相当心労も溜まっているはず。その証拠に、今もフェリクス様の顔には隠しきれない疲労の色が浮かんだまま。
一時期より薄くなったけど、目の下のクマがまだ残っている……。
まとまった休みが取れたなら、せめて一日でもゆっくり体を休めてから旅行してもいいのに。
(まるで現実逃避するかのように旅行を…………って、まさか。本当に嫌になって投げ出してきたわけじゃないでしょうね?フェリクス様に限って、ね……)
内心、酷く心配になってフェリクス様をじっと見てしまう。
私と目が合うと笑みが深まるフェリクス様は、そこまで深刻そうには見えない。
(けど、何か引っかかる……)と考えながら様子を窺っていると、細かな振動が止まり停車したことに気づく。
話をしていたし、今どこにいるのかわからない。
窓の外を見ようとするとフェリクス様に甘く名前を呼ばれて顔の向きを変えられるから、しばらく窓の外を見ていなかった。
(まだ休憩するほどは走っていないはずだけど)
外に目を向けると、立派な御屋敷が目に入った。
(道中、いろいろな場所に寄り道して観光するつもりなのかしら?)
「フェリクス様、ここは?」
私が疑問を口にした瞬間、いきなり馬車の扉が開き、人が乗り込んできた。




