君の様な女神と……
死にたい……。
もう何度心の内でそう呟いただろうか。
思い返せど、俺の人生は何一ついい事がなかった。
生まれて直ぐ親に捨てられ施設で育った俺は、昔からどん臭く、人が普通にやれる事を、その何10倍もの時間を掛けないとできなかった。
いじめられっ子で臆病で、頭もたいして良くない上に、顔だって下の下の下だ。
高校生になって何か人の役に立ちたいとは思ったが、何一つ実行できないうえに、逆に世間から煙たがられながら生きてきた。
もう、こんな人生はまっぴらごめんだ。
かと言って、自分で死ぬ勇気もなければ、自分を変えようとする気力も湧かない。
精魂つき果てたとはこの事か。気が付くと俺は、なじみの駅のホームを、朝から一人彷徨っていた。
電車に乗って学校に行くわけでもなく、ただただホームの中をグルグルと歩くだけ。
これじゃまるでゾンビだ。
「疲れたな……」
待合室の椅子に腰掛け、ため息をつく。
その時だった。
「キャーっ!!」
突然女性の泣き叫ぶような声が、駅ホームに響いた。
ただ事ではないと瞬時に悟った。
咄嗟に立ち上がり何事かと辺りを見回す。
「なんだ……?」
悲鳴に押されるようにして逃げ惑う人達の姿を捉えた。
子供を連れた母親に、足の悪そうな年配の女性、スーツを着たサラリーマンに、制服を着た女子高生。
様々な人という人が、一斉に脱兎の如く慌てながら走っている。
まるで何かから逃げるかの様に。
何の騒ぎか確認しようと待合室から出た瞬間、
「ちょっ、危なっ!」
そう声にしたのも束の間、俺は逃げ惑う人混みに吹き飛ばされ、豪快に転んでしまった。
「痛っ~!?何なんだ一体?えっ!?」
起き上がり辺りを見渡した時だった。
目の前に、恐ろしく、あり得ない光景が広がっていた。
口から涎を垂らし、充血した目でこちらを睨みつける、中年の男。
手には、テレビでしか見た事がない、拳銃を手にしていた。
「嘘……だろ」
思わず顔が引き攣る。
「い、いやあ……!?」
女性の声。
声の方に振り向くと、そこには赤ん坊を抱いて床に倒れ込む女性の姿があった。
瞬間、
「ひ、ひひ、く、薬、どこに隠した!」
拳銃を持った男は、女性の叫び声に反応するかのようにそう言うと、銃口を素早く女性へと向けた。
その瞬間。
体が不意に動いた。
無意識に。
さも当然、当たり前のように、俺の体は女性を庇うようにして動いたのだ。
いつもの俺の悪い癖。
人一倍不幸体質なくせに、他人の心配ばかりしてしまう。
そのせいで今まで何度不幸な目に合ってきたか。
何してんだ俺……。
諦めるようにそう思った時、
──パンッ!!
今まで聞いた事もないような破裂音が響いた。
同時に悶絶しそうな位の激痛が、俺の体に走る。
血が逆流し、一気に血の気が引いていく。
「ま、まじ……か……」
身体中から力が抜け落ちて行く。まるで自分の身体じゃないみたいだ。
全く制御の効かぬまま、俺の体は、女性を覆い隠すようにしながら倒れ込んだ。
カチカチカチッ、と何やら音がする。おそらく拳銃の撃鉄音。
弾切れか?
へっざまあみやがれ。
薄れいく意識の中で悪態をつく。
視界が強制的に遮断されていく。
警察官らしき男達が、向こうから走って来る姿が、閉じていく瞼の隙間から、一瞬だけ見えた。
おせえよ、ばあ……かっ……。
そこで俺の意識は、完全にシャットアウトした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「秋斗……秋斗?」
声がする。
今まで聞いた事がないような、美しく優しい女の声。
俺を呼んでいる。
重い瞼がピクリとなった。
目をそっと開ける。
視界の先は真っ暗。
何だか平衡感覚がつかめない。
いや、その前に俺、さっき撃たれたよな?
ふと、先ほどの一連の映像を頭の中に思い浮かべてみた。
やっぱりそうだ。
俺はさっきここで、ヤク中らしき男に銃で撃たれたんだ。
「はは、さまか本当に死ぬなんて……」
一体どこまでついてないのやら。
自分でもつくづ呆れてしまう。
「秋斗」
突然、俺の目の前から先ほどの女の声が響いた。
が、辺りは真っ暗で何も見えない。
と、次の瞬間。
「な、何だ!?」
暗闇だった目の前で、突然眩しい光が発生した。
思わず両手で顔を覆う。
光はさらに強さを増したが、やがて落ち着くように、徐々にある程度の明るさに落ち着いた。
「何なんだ一体……って、え、ええっ!?」
両手を下ろすと、そこには、真っ白なドレスを着た一人の女性が立っていた。
しかも、一目で分かる程の美貌の持ち主。
俺と同い年くらいだろうか?
切れ長で大きな瞳。長い睫の下に、すっと通った鼻筋。その下にはふっくらとし柔らかそうな艶のある唇があった。
白銀に輝く腰まである長い髪の毛が、ふわり、と揺れていて、もはや神々しいとさえ感じるレベル。
人ではないんじゃないか……?
そう思わせるほどの美しさ。
「秋斗」
「えっ?」
今、確かに目の前の女性は、俺の名前を呼んだ。
突然のことに体が硬直してしまう。
すると今度は、女性は透き通るようなその白い手で、なんと俺の頬を撫でてきた。
あまりのサプライズに最早何がなんだか分からない。
困惑する俺に女性はクスリと笑って見せた。
「秋斗、良くこれまで頑張ってきましたね。しかも、最後に二人の命まで救うなんて……貴方の不幸は、大事な二人の命を救うという幸運へと、昇華したのです」
そう言って微笑む女性。
最後?二人の命?不幸?
つまりそれって……。
やっぱり、死んだのか……俺は。
思わず肩を落として俯く。
死にたいとは思ったが、現実に死に直面すると、何とも呆気ないものだ。
17年という人生が、こんなにも簡単に幕を閉じたのだから。
「私は創造の女神、ヨルシカ。貴方の行動を全て見ていましたよ」
そう言って、再び俺の頬を撫でる女神様……女神!?
「はい、女神です」
ダイヤモンドの様な輝きを放つ白い歯で、ニコりと笑う自称女神様。
てっ……あれ?お、俺、今何も喋ってないんだが……?
唖然とする俺に、女神と名乗ったヨルシカは、まるで全ての考えを見透かすようにして微笑んだ。
「ほ、本物……?」
「ヨルシカで構いませんよ。ただ残念な事ですが、貴方が死んでしまったのもまた事実なのです。肉体は浄化され、もはやあの世界に、貴方の帰る場所はありません」
「俺の……帰る場所……」
ヨルシカに言われ、俺は生きていた頃の自分を思い出す。
「ない……」
「えっ?何がですか?」
俺の言葉に、ヨルシカが聞き返す。
「帰る場所なんて、元々どこにもなかったよ」
そう、どこにもなかった。
施設にも学校にも、俺の居場所なんて初めからどこにもなかったんだ。
「秋斗……もう一度、やり直してみませんか?」
「え……?やり直す?何を?」
「貴方の人生を、です」
「じ、人生!?や、やり直すって、またあの不幸な人生を繰り返せって事!?」
思わず声を荒げてしまった。
冗談じゃない。あんな人生をもう一度味わうなんて二度とごめんだ!
「いえ違います。別人となり、新しく誕生した異世界で、貴方の人生をもう一度やり直してみませんか?」
「へっ?」
思わず俺の口から間抜けな声が漏れた。
別人となって、異世界で……。
俺の思いを読み取ったのか、ヨルシカは黙って頷いて見せた。
「望むままの人間となり、もう一度やり直すのです。さあ、貴方の願いを叶えましょう」
ヨルシカはそう言うと、右手を上にかざした。
瞬間、収束するような光が、ヨルシカのかかげた手の平に現れた。
もはや疑う余地はなかった。
これは今、本当に目の前で起っている事なんだ。
妙な高揚感が俺の体を駆け巡った。
血が沸き立つような震えが、足元から這い上がってくる。
漫画や小説でしか聞いた事がない台詞。
それでも何度憧れた台詞だろうか。
『貴方の願いを叶えましょう!』、もうこれ以上にテンション爆上げな言葉あるのか?
否!断じてない!!
何か変なテンションだと自分でも思うが、それぐらい自分を抑えられないほど、俺は興奮していた。
落ち着け俺!
さて願い……この場合何を願えばいいんだ?
やっぱりあれか?女神を目の前にして言う定番の台詞?
君のような女神に!!みたいな?
いや、まさかそんな羽衣伝説的なおいしい展開には、
そう思った時だった。
「かしこまりました……」
ヨルシカはそう言うと、手の平に集まった光を、俺の頭上に降りかけるようにして手を振り始めた。
えっ?今のかしこまりましたって、俺の考え見透かされちゃったのか?
いや待て、という事はさっきの願い、OKって事!?
思わず衝動的に出るガッツポーズ。
満面の笑みでヨルシカが口を開いた。
「私の様になりたいのですね」
「は、はいぃっ?」
「ふぅ……美も力も、そして知能も兼ね備えた私の様な女神に、皆が憧れを抱くのは致し方ない事……分かりました、その願い、叶えて差し上げます!」
「ああっ!ちょちょちょっ!?ま、待ったぁぁ!!」
頭上の光はどんどん強くなり、やがて周りの暗闇を払うかのように一面を照らした。
そして俺はまたもや、本日二度目の強制シャットアウトを、食らったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
気がつくと、俺は見慣れない風景の場所に、一人ポツン、と立っていた。
「ここは……?」
日本、ではないだろう。
見慣れぬ西洋風の建物に、見慣れぬ植物。どこを見渡しても見慣れぬ景色のオンパレード。
そして極めつけは、
「つ、月が二つある……」
そう、見上げた上空には、まだ真昼の明るさだというのに、淡いピンク色の巨大な三日月と、妖しい紫色に輝く満月が浮かんでいた。
「ほ、本当に異世界なのか?」
そう口にして俺はハッとして我に返った。
さっきの願い……。
ヨルシカ……ヨルシカは?
辺りを急いで見渡す。
が、ヨルシカの姿はどこにもない。
俺はその場を駆け出した。
「ヨルシカ!?」
叫ぶように名前を呼んだ。
「あれ、何か走りにくいな……」
ふと、走っている最中に、胸に何やら違和感を感じた。
「何だ……これ?」
視線を自分の胸に落とした。
たわわに実った桃が二つ。
「はは、何だこれ、何かの冗談だよな……冗談……だよ……な」
認めたくないものが、そこにあった。
再度確認する。両手でその二つの桃を下から鷲づかんだ。
「うっ……」
口から変な声が漏れた。
な、何だこの感触。というかもうあれだよね?あれしかないよね!?
急いで辺りを見回す。道端に1m程の大きな水溜りを見つけた。
急いで水溜りに近づくと、俺はしゃがみこみ、水面に顔を映した。
小さな波紋が水面に漂う。やがて波紋は収まり、清らかな水面に、あの女神と名乗ったヨルシカの顔が映りこんだ。
「ははっ……は」
愕然。
開いた口が塞がらないとはこの事。
そう、あのヨルシカは、何を勘違いしたのか君のような女神に、ずっと一緒に居て欲しいという俺の願いに対し、君のような女神になりたいという、壮大な勘違いをしやがったのだ。
「ヨルシカぁぁっ!!」
自分の声とは思えない美くしい叫び声が、新世界に虚しくこだました。
こうして、俺のしょっぱなから不幸全開の、新たな異世界生活が、幕を開けたのだった。