第79話 【乱暴なキス】★
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「師匠、どうぞ。あの、大丈夫ですか?」
礼二郎が缶コーヒーを、イライアに渡す。
そのとき、礼二郎の手がほんの少しだけ、イライアに触れた。
「あはーんッ」 イライアがなまめかしい声を上げ、コーヒーが地面に落ちた。「な、なんじゃ今の声は!? わ、ワシか!? ワシなのか!?」
「す、すみません!」
礼二郎がコーヒーを拾い、イライアの横に置いた。
すぐに1メートルほど距離を取る
「い、いや、お主が謝ることではない。しかし、これはどうしたことじゃ? お主が少し触れただけで、死にそうになるのじゃ」
「もしや、なんらかの魔術が、無意識に発動を?」
「いや、魔力は感知しておらぬ。それに、その……嫌な気分ではないのじゃ」
「へ? 死にそうなのに?」
「死にそうなのにじゃ」
「ともかく、僕は近づかない方がいいですね」
「はんッ!」
「へ? な、泣いてます?」
「胸が痛い……どうしてじゃ……どうして、そんな酷いことを言うのじゃ……グスッ」
「し、師匠、本当にどうしちゃったんですか? そんなキャラでしたっけ?」
「わからぬ……お主が離れると思っただけで、涙が止まらぬ……ヒック」
「師匠……」
「ふわっ!? よせ! 近寄るでない!」
「じゃあ離れますか?」
「だ、ダメじゃ! それもダメじゃ! 離れるでない!」
「失礼します」
礼二郎がイライアの手を引き、椅子から起こすと――
「ふわぁッ! し、心臓がぁっ! 死ぬ、死んでしまうのじゃぁぁッ!」
イライアの身体を強く抱きしめた。
途端にイライアの身体から力が抜ける。
だが礼二郎は、イライアが倒れるのを許さなかった。
イライアは力の入らない身体で、死ぬ死ぬとジタバタもがいている。
「師匠、大丈夫です。死んだりしません。でも、もしものときは……」 礼二郎が首筋に埋めた顔を起こし、慌てふためく魔女の額に己の額を当てた。「僕もすぐに後を追います。それでは、ダメですか?」
その言葉で、イライアの声と抵抗が唐突に止まった。そして「ク……クククク……アッハッハッハ!」 礼二郎から少し身体を離して、今まで聞いたことがないほど楽しそうに笑った。
「師匠……? ぐぇっ!」
力強く、今度はイライアから抱きついた。
礼二郎の肋骨がミシミシと音を立てる。
「ワシが死ねば、すぐに後を追うじゃと?」
「ぐぇぇッ! す、すみません! 僕の命なんか、ぐぇぇッ! 師匠と釣り合うわけないのに、ぐぇぇッ! し、師匠ォッ! このままだと、僕が、ぐぇぇッ! 先立って、ぐぇぇっ! しまいそうです! ぐぇぇッ!」
「殺したぞ」
「ぐぇぇッ! まだ、ぐぇぇッ! 生きてます! ぐぇぇッ!」
「殺したのはお主じゃ。お主が言葉だけで殺しおったのじゃ。この常勝不敗『赤眼の魔女イライア=ラモーテ』をな、ククク」
言って、イライアが身体を少し離した。
礼二郎の肋骨は、なんとか無事だった。
しかし一応……《ヒール》! 念のため念のため。
「あ痛たた……あの、よくわかりませんが、師匠の身体は大丈夫なんですか?」
「よくわからぬが絶好調じゃ。それにしても、ワシの後を追って死ぬじゃと? ククク。最高じゃ。最高の殺し文句じゃったよ。なぁ我が弟子よ。お主にふたつ願い事ができた。聞いてくれるか?」
「はい。どんな願いでも……あ、願いによっては、少し時間はかかるかもしれませんけど……」
「即答、か。ククク。まったくお主という奴は。まぁ、そんな大層なことではないのじゃ。今日この場限りの、それはそれは、ささやかな願いじゃよ。まず一つ目の願いじゃが、その、お主を名前で呼んでもよいかの?」
「僕の名前ですか? はい、それはもちろん」
「うむ、で、もうひとつの願いじゃが。その、れ、礼二郎や……わ、ワシを名前で呼んでくれぬか?」
「えぇぇっ! だって馴れ馴れしく呼ぶと石にするって」
「石、じゃと? 何を言って……よもや、10年前のことではあるまいな? ま、まさか、今までずっとそれを守っておったのか!? 適宜〝情報をあっぷでーと〟せぬか、馬鹿者! ほんとに礼二郎は……そ、それで、その、名前を呼ぶ件じゃが、ダメじゃろうか?」
「石には?」
「せぬ」
「えっと、じゃあ、コホン、い、イライアさん」
「この状況で〝さん〟はなかろう! 空気を読め!」
「よ、呼び捨て!? さすがにそれは……」
「お願い、礼二郎」
「グハッ! す、すごい威力ですね! わ、わかりました……イライア」
「グハッ! た、確かに、これはたまらぬな」
「すみませんッ!」
「だから謝るでない。さあ、もっと名前を呼ぶがよい。そうじゃな、でーとの感想ついでに呼ぶがよかろう」
「で、では、コホン、い、イライア、今日は楽しかったです」
「ふ、ふむ、なかなかいい感じじゃ。敬語はいらぬ。どんどんまいれ」
「い、イライアの服、とてもよく似合ってま……似合ってるよ」
「ムフーッ! よいぞ。その調子じゃ。服を褒めるのも高ポイントじゃな」
「イライアと食べるラーメンは格別だったな」
「はぅ! よいぞよいぞ! ラーメンだけに、温まってきたな!」
「映画もおもしろかった。でもイライア、隣にいるが君が気になって集中できなかったな」
「クハッ! よ、よいではないか! ガンガンまいれ!」
「イライア、すごく綺麗だ」
「ふわっ!? 直球も織り交ぜるとは……も、もっと! もっとじゃ!」
「イライア、実は謝らないといけないことがあるんだ」
「ほほう、路線を変えてきおったな。これもまたよしじゃ。続けるが良い」
「僕はイライアとキスをしているときに、恐ろしいことを考えていたんだ」
「む? 恐ろしいことじゃと?」
「ああ、イライアを乱暴にしたい。めちゃくちゃにしたいと思ってしまった」
「め、めちゃくちゃに!? 礼二郎、ぐ、具体的に! 具体的に頼むのじゃ!」
「イライアの髪を乱暴に掴んだり」
「ふわっ!? か、髪を乱暴にじゃと!?」
「イライアの服を力づくで破ったり」
「なんと!? 服をか!?」
「イライアを無理矢理に押し倒そうと考えてしまった……すまない」
「お、押し倒……ふむ、なるほどのう。礼二郎や、謎が解けたのじゃ」
「謎?」
「うむ、どうしてキスの後にワシの力が抜け、スライムばりにヘロヘロになったのかという謎じゃ。つまり礼二郎の考えがワシに伝わっておったのじゃよ」
「へ? 全部? マジ?」
「全部じゃ。マジじゃ。じゃが礼二郎がそんなことをするわけがないとも思っておった。ワシの勘違いじゃろうとな。じゃから確信が持てなかったのじゃ。礼二郎の告白を聞いて、やっと合点がいったわい。つまりワシは無意識に、礼二郎の望みを受け入れておったのじゃ。いや……」
「イライア……僕は……」
「いいから聞いておくれ。礼二郎の望みというより、ワシ自身が願っておったのかもしれん。ワシは礼二郎に〝髪を掴んで〟欲しかったのじゃ。〝服を破られ〟たかったのじゃ。〝押し倒して〟欲しかったのじゃ。ヘロヘロの受け入れ体制で、乱暴にされたかったのじゃよ」
「僕には……今の僕には……」
「よい、わかっておる。妹御のことじゃろう。少し前にワシが言ったことを忘れたのか? ワシは言ったであろう。いつまでも礼二郎を待つとな。すべてが解決するまで、ワシは礼二郎、お主を待つ。そのときは髪を掴むなり、押し倒すなりするがよい。まあ、それだけで済むとは到底思えんがな。ククク」
「僕は……」
「じゃから今は……」
ニヤリ。とんでもなく魅力的な一人の女性が、挑発するように笑む。
「〝乱暴なキス〟だけで我慢するがよい」
「え?」
「礼二郎……来て」




