第71話 【悪魔】
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「今日どうするよ」
トイレの鏡の前で良夫が前髪をいじっている。
こいつはたいした顔じゃない癖にナルシストで、暇さえあれば鏡を見ている。
「どうもしねぇよ」
真之は鏡に背を向けて立っている。
大きなニキビが額にできていて、それを鏡で見るのがイヤだった。
「だよなぁ。せっかく例の薬を用意したのに、まさかトメ子だなんてな」
「もう片方はデブの美沙だしな」
「トメ子の兄ちゃん、利き腕を骨折してるらしいぞ」
「だから?」
「いや、今日例の薬でやっちまって呼び出されても、勝てるんじゃないか?」
「バカかお前。勝てたとしても怪我が治ったら殺されるだろ」
「それもそうか。じゃあ今日は健全なデートでお開きだな。クソつまんねぇなぁ!」
良夫はそう言ってトイレから出て行った。
残された真之は鏡を見ないようにして、顔を洗った。
気持ちの悪いガキのせいで汗をかいたからか、顔中が脂でギトギトしていた。
(あのガキのことは忘れよう)
真之は気を取り直して考えた。
もじゃ子と呼ばれた美少女のことだ。
仲間内でたむろしているとき、トメ子がしきりに話題に出す名前だった。
おかげでもじゃ子の情報はすでに入手済みだ。
・親がいないこと。
・兄がふたりいること。
・そのうちひとりは高校生で名前はレージロー。
・レージローはトメ子の兄である塩田健吾の同級生。
・レージローは塩田健吾にいじめられている。
・レージローはシスコンで、もじゃ子になにかあったらすぐに飛んでくる。
・レージローはケンカが弱い。
つまり例の薬を使って親が出てこないのだ。
レージローって兄貴がでてきてもヘタレらしいので問題ない。
もう一人の兄も似たようなものだろう。
(絶好のカモ、だな)
真之はニヤリと下卑た笑いを浮かべ、少女を襲う場面を想像した。
どんな胸だろうか。
どんな声で泣くのだろうか。
少し考えただけでムクムクと股間が膨らむ。
「ぜってー逃がさねぇ」
そう呟くと、ポケットからビニールの袋を取り出した。
袋にはカプセルの薬が4錠入っている。
あるヤバい先輩から購入した、女をその気にさせる薬である。
今日こいつを女(賭けトランプで負けた男に用意させた)に飲ませて、そのままホテルに行く予定であった。
だが待ち合わせ場所に来た女は、よりによって有名な不良を兄に持つ塩田トメ子だった。
不良の兄――塩田健吾は空手の有段者で気も短いらしい。
つまり相手がトメ子だとわかった瞬間、強姦計画はオジャンになったのだ。
真之がガッカリしたそのとき、いいタイミングで現れた都合のいい女。
それが例のもじゃ子である。
騒ぎ立てる親もいない。 しかもウリをやっている噂(大方トメ子辺りが流した噂だろうが)のある女。 さらに学校で孤立している美少女ときた。
薬で乱暴しても問題のない相手だ、と真之は内心舌なめずりしながら再び少女を想像した。
あと数ヶ月で真之は高校生になる。
高校に入ればバカはできない。
退学になってしまうからだ。
それまでの間に、やれるだけの女をやってしまおう。
(なんとか呼び出して薬を飲ませちまえば……)
油断した。
顔を上げて、つい鏡を見てしまった。
額にある大きなニキビが目に映り、気持ちが一気に冷める。
せっかく、泣き叫ぶ少女の服を破るシーンを想像して、興奮していたのに。
「クソッ、ムカつくぜ! ――ん?」
目の前で、鏡の中の風景が、だんだんと色を失っているように感じた。
いや! 実際に色を失っている!?
「な、なんだ、これは!?」
赤、青、黄色と色が消えていき、鏡の中が灰色の世界になった。
「うそだろ!?」
鏡だけじゃない。
後ろを向くと、トイレの壁も、天井も、すべてが灰色だった。
色のない世界に、真之だけが元のまま取り残された。
『フフ……ウフフフフフ……』
どこからか女の声が聞こえる。
心の底から楽しそうな笑い声だった。
すると真之の影がウゾウゾと動き出した。
まるであのときのように。
「ひっ!」
逃げないと! 真之はそう思い両足に力を入れた。
だが足の裏が地面に張り付き動かない。
「ひゃ! た、たすけ……たすけ」
思ったように声が出なかった。
やがて床一面に真之の影が広がると、その一点がムクムクと膨らみだした。
真之は声をだすこともできず、硬直したままそれを見つめた。
眼球が飛び出すほど見開かれた目は、恐怖のあまりまばたきすらできない。
数秒の後、隆起した影はひとつの形を成した。
「ウフフ、また会ったわね」
影だったものがそう言った。
白髪に褐色の美しい肌。
あの少女だった。
だが身につけている服はヒラヒラとした赤く薄い布が1枚だけ。
まるで真夏のような露出だった。
その青い目が光を放つ。
「ひぃぃぃぃっ!!」
真之は心の底から悲鳴を上げた。
悪夢そのものが、美しい少女の形を借りて目の前に立っていた。
逃げないと殺される!
だがそう思っていても身体はピクリとも動かなかった。
「加代ちゃんに乱暴するつもりね――そうでしょ?」
少女がまっすぐに目を見つめる。
「な、なにを言って……」
目を見ると心が読まれてしまうのだろうか。
だが青い瞳から目が離せない。
「嘘をつくと後悔するわよ」
「ち、違う! あいつに乱暴なんてしない! するもんか!」
「うそおっしゃい。坊やがなにを考えてるなんて、すぐにわかったわ。加代ちゃんを見るイヤらしい、汚らしい目つきでね。ロリにはわかるのよ。クズな男の、ゲスな思考だけは、正確にね」
明らかに年下であるはずの少女が、真之を〝坊や〟と呼んだ。
だが、なぜか真之には、そのことがしっくり来ていた。
「違う! 違います! 本当です! 信じてください!」
気がつくと、真之は敬語になっていた。
「加代ちゃんは、とっても心の綺麗なやさしい子。坊やのようなゴミが近づいていい子じゃないの」
「わ、わかりました! 絶対に近づきません! だだだ、だから許してください!」
真之が震える声で叫んだ。
ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ!
歯が、おもしろいほど大きな音を立てた。




