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第71話 【悪魔】

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 


「今日どうするよ」


 トイレの鏡の前で良夫が前髪をいじっている。

 こいつはたいした顔じゃない癖にナルシストで、暇さえあれば鏡を見ている。


「どうもしねぇよ」


 真之は鏡に背を向けて立っている。

 大きなニキビが額にできていて、それを鏡で見るのがイヤだった。


「だよなぁ。せっかく例の薬を用意したのに、まさかトメ子だなんてな」


「もう片方はデブの美沙だしな」


「トメ子の兄ちゃん、利き腕を骨折してるらしいぞ」


「だから?」


「いや、今日()()()でやっちまって呼び出されても、勝てるんじゃないか?」


「バカかお前。勝てたとしても怪我が治ったら殺されるだろ」


「それもそうか。じゃあ今日は健全なデートでお開きだな。クソつまんねぇなぁ!」


 良夫はそう言ってトイレから出て行った。

 残された真之は鏡を見ないようにして、顔を洗った。

 気持ちの悪いガキのせいで汗をかいたからか、顔中が脂でギトギトしていた。


(あのガキのことは忘れよう)


 真之は気を取り直して考えた。

 もじゃ子と呼ばれた美少女のことだ。

 

 仲間内でたむろしているとき、トメ子がしきりに話題に出す名前だった。

 おかげでもじゃ子の情報はすでに入手済みだ。

 

 ・親がいないこと。

 ・兄がふたりいること。

 ・そのうちひとりは高校生で名前はレージロー。

 ・レージローはトメ子の兄である塩田健吾の同級生。

 ・レージローは塩田健吾にいじめられている。

 ・レージローはシスコンで、もじゃ子になにかあったらすぐに飛んでくる。

 ・レージローはケンカが弱い。


 つまり()()()を使って親が出てこないのだ。

 レージローって兄貴がでてきてもヘタレらしいので問題ない。

 もう一人の兄も似たようなものだろう。

 

(絶好のカモ、だな)


 真之はニヤリと下卑た笑いを浮かべ、少女を襲う場面を想像した。

 どんな胸だろうか。

 どんな声で泣くのだろうか。

 少し考えただけでムクムクと股間が膨らむ。


「ぜってー逃がさねぇ」

 

 そう呟くと、ポケットからビニールの袋を取り出した。

 袋にはカプセルの薬が4錠入っている。

 あるヤバい先輩から購入した、女をその気にさせる薬である。

 

 今日こいつを女(賭けトランプで負けた男に用意させた)に飲ませて、そのままホテルに行く予定であった。

 だが待ち合わせ場所に来た女は、よりによって有名な不良を兄に持つ塩田トメ子だった。

 不良の兄――塩田健吾は空手の有段者で気も短いらしい。

 つまり相手がトメ子だとわかった瞬間、強姦計画はオジャンになったのだ。


 真之がガッカリしたそのとき、いいタイミングで現れた都合のいい女。

 それが例のもじゃ子である。

 騒ぎ立てる親もいない。 しかも()()をやっている噂(大方トメ子辺りが流した噂だろうが)のある女。 さらに学校で孤立している美少女ときた。

 

 薬で乱暴しても問題のない相手だ、と真之は内心舌なめずりしながら再び少女を想像した。

 あと数ヶ月で真之は高校生になる。

 高校に入ればバカはできない。

 退学になってしまうからだ。

 それまでの間に、やれるだけの女をやってしまおう。


(なんとか呼び出して薬を飲ませちまえば……)


 油断した。

 顔を上げて、つい鏡を見てしまった。

 額にある大きなニキビが目に映り、気持ちが一気に冷める。

 せっかく、泣き叫ぶ少女の服を破るシーンを想像して、興奮していたのに。


「クソッ、ムカつくぜ! ――ん?」


 目の前で、鏡の中の風景が、だんだんと色を失っているように感じた。

 いや! 実際に色を失っている!?


「な、なんだ、これは!?」


 赤、青、黄色と色が消えていき、鏡の中が灰色の世界になった。


「うそだろ!?」


 鏡だけじゃない。

 後ろを向くと、トイレの壁も、天井も、すべてが灰色だった。

 色のない世界に、真之だけが元のまま取り残された。


『フフ……ウフフフフフ……』


 どこからか女の声が聞こえる。

 心の底から楽しそうな笑い声だった。

 すると真之の影がウゾウゾと動き出した。

 まるであのときのように。


「ひっ!」

 

 逃げないと! 真之はそう思い両足に力を入れた。

 だが足の裏が地面に張り付き動かない。


「ひゃ! た、たすけ……たすけ」


 思ったように声が出なかった。

 やがて床一面に真之の影が広がると、その一点がムクムクと膨らみだした。

 真之は声をだすこともできず、硬直したまま()()を見つめた。

 眼球が飛び出すほど見開かれた目は、恐怖のあまりまばたきすらできない。


 数秒の後、隆起した影はひとつの形を成した。


「ウフフ、また会ったわね」


 影だったものがそう言った。

 白髪に褐色の美しい肌。

 あの少女だった。

 だが身につけている服はヒラヒラとした赤く薄い布が1枚だけ。

 まるで真夏のような露出だった。

 その青い目が光を放つ。


「ひぃぃぃぃっ!!」


 真之は心の底から悲鳴を上げた。

 悪夢そのものが、美しい少女の形を借りて目の前に立っていた。

 逃げないと殺される!

 だがそう思っていても身体はピクリとも動かなかった。


「加代ちゃんに乱暴するつもりね――そうでしょ?」


 少女がまっすぐに目を見つめる。


「な、なにを言って……」


 目を見ると心が読まれてしまうのだろうか。

 だが青い瞳から目が離せない。


「嘘をつくと後悔するわよ」


「ち、違う! あいつに乱暴なんてしない! するもんか!」


「うそおっしゃい。坊やがなにを考えてるなんて、すぐにわかったわ。加代ちゃんを見るイヤらしい、汚らしい目つきでね。ロリにはわかるのよ。クズな男の、ゲスな思考だけは、正確にね」


 明らかに年下であるはずの少女が、真之を〝坊や〟と呼んだ。

 だが、なぜか真之には、そのことがしっくり来ていた。


「違う! 違います! 本当です! 信じてください!」


 気がつくと、真之は敬語になっていた。


「加代ちゃんは、とっても心の綺麗なやさしい子。坊やのようなゴミが近づいていい子じゃないの」


「わ、わかりました! 絶対に近づきません! だだだ、だから許してください!」


 真之が震える声で叫んだ。

 ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ!

 歯が、おもしろいほど大きな音を立てた。

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