第53話 【こず枝の孤独】
【2019年1月24日同日(水)午後9:10 魔女イライアの部屋にて】
「つまりは、こういうことじゃ」
魔女イライアがそう言うと、大きな水晶にうつった映像が消えた。
「…………」
こず枝は返事をしなかった。
いや、出来なかった。
「お主も知っておろうが、我が弟子は超がつくほど奥手ゆえ、ある夜あやつにハッパをかけたのじゃ。『今夜、ワシ等の誰かと同衾せねば石にするぞ』、とな」
つい先ほどまで水晶は、礼二郎とセレスの姿を映し出していた。
公園でキスをするふたりの姿を。
「…………」
こず枝は、ただ周囲を歪めて映すだけになった水晶を、ジッと見つめている。
「ワシとロリとシャリーは、ヤツを待ったがヤツは来なかった。ワシ等はすぐにあきらめた――と言うより、最初から自分の元へ来ないことを知っておったのじゃ」
「…………」
「じゃが、セレスだけはあきらめなかった。いや、違うな。セレスは確信しておった。礼二郎が自分の元へ来ることを、まったく疑っておらんかったのじゃ」
「…………」
「ワシ等が訪ねなければ、朝までずっと待ち続けたじゃろうな。まぁ結局、誰を選ぶことなく、礼二郎はこの世界に飛ばされたがのう」
「…………」
「セレスと礼二郎の心は絆で結ばれておるのじゃよ。それでいて本人達に自覚がないのが、なんとも腹立たしくも歯がゆいのじゃ。ワシ等のセレスをイジり倒す理由がこれじゃな」
「…………」 こず枝がゆっくりと顔をイライアへと向けた。
「もし今、ワシ等の中から、ひとりだけ選ばれるとしたら、それはセレスなのじゃ。ワシでもロリでもシャリーでもない。そして、こず枝や。お主でもない」
「……どうしてわたしに、こんなものを見せたんですか。……こんなの……見たくなかった」
こず枝が声を絞り出すようにして言った。
「お主は『受容体異常』と言って、レベルの上がりにくい身体なのじゃ」
「受容体異常? でも、それとこれとは……」
「まぁ聞くがよい。我が弟子の『固有スキル』ならば、お主を本来のレベルに上げることが可能なのじゃよ」
「レイの……固有スキル?」
「うむ、じゃがそれには、お主がやつの心に触れねばならぬ」
「レイの心……ですか?」
「そのときお主は、あやつの心を残酷なほどハッキリ知るじゃろう」
「…………」
「言葉で伝えるよりも、絶望的にわかってしまうのじゃ。じゃから今、お主に見せたのじゃよ。いざヤツの心に触れたとき、ショックを受けすぎないようにな」
「そう……ですか」
「今、礼二郎と付き合うておるのはお主じゃろう。じゃが、それもセレスが来たからには時間の問題じゃ。ん? どうして驚いた顔をしておる?」
「べ、別に驚いてなんか……」
反射的に否定しつつも、こず枝はイライアの言うとおり驚いていた。
(レイは、イライアさんにも本当のことを言ってないんだ……)
こず枝と礼二郎の交際はまやかしである。
『僕とこず枝は付き合っていないんだ』 の、ひと言で済むはずなのだ。
なのに礼二郎はそれを言っていない。
(約束を守ってくれてるのね……)
『付き合っている振りをして欲しい』――こず枝がお願いしたのはそれだけだ。
表面上の理由は、今後も大萩家に出入りするためである。
ただそれだけなのに……。
イライア達からすると礼二郎は、たった数日で自分達に見切りをつけ、こず枝と交際をしたことになっているのだ。
(バカだなぁ、レイは……)
不器用で曲がったことが嫌いで、融通が利かなくて、でも――
(本当にバカなんだから……)
――でも、だからこそ誰より信頼できる男。
「……いろいろありがとうございました。……わたし、帰ります」
こず枝はそれだけ言うとイライアに背を向けた。
「ああ、最後にひとことだけ言っておくのじゃが……」
イライアがこず枝の背に、笑いを含んだ言葉を投げかけた。
その言葉とは……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(今も公園にいるんだろうな……)
大萩家を出た菊水こず枝は思った。
邪魔しに行ってやろうなんて考えが一瞬頭をかすめたが――止めた。
それは意味の無い行動だ。
ガチャ……。
自宅にたどり着いたこず枝は玄関を開けた。
壁のスイッチを入れ、灯りをつける。
「ただいま……」
シューズラックの上に話しかけた。
そこに飾られた、花瓶の花。
礼二郎からのプレゼントだ。
こず枝の知る限り、この建物の中でこず枝を除く唯一の生物。
人の気配のない、寒々とした家であった。
二階自室へ行き、部屋着に着替えた。
着替え終わると、一階台所へ行く。
そこで淡々と、明日の朝食、そして弁当の準備をした。
自分でも驚くほど心が静かだ。
魔女イライアから事実をつきつけられたときは、たしかにショック受けた。
だが本当にショックだったのは、それほどショックを受けていない自分自身に対してだった。
そのとき、こず枝は――「ああ、やっぱりね」――と思った。
そして次に思ったのは――「ロリちゃんとシャリーちゃん、あんなにレイのことが好きなのに、かわいそうだな……」――である。
(わたしが捨てられるのはいつものことね。どうせわたしなんか……)
明日の準備を終えると、二階自室へ入り、勉強を開始した。
10分――20分と経つうちに、こず枝の表情がだんだんと険しくなっていく。
『もしワシ等の中から、ひとりだけ選ばれるとしたら、それはセレスなのじゃ。ワシでもロリでもシャリーでもない。そして、こず枝や。お主でもない』
脳裏にイライアの言葉が蘇った。
ペンの走りが止まり、全身がプルプルと震え出す。そして……。
バキッ! 手に持つペンが折れた。
「あぁぁぁっ!!」
頭をかきむしり、叫んだ!
「わたしが選ばれないですって!?」
バンッ! 机を両手で叩き、立ち上がった!
「冗談じゃないわ! わたし達は子供の頃からずっと一緒にいるのよ!」
怒りに燃える視線を右の本棚へ向ける。
本棚の上には写真立てがあった。
子供の頃のこず枝と加代、そしてふたりを挟んで立つ、礼二郎と源太の写真だ。
メガネをかけた、もじゃもじゃ頭の礼二郎は、だらしない顔で笑ってピースサインをしている。
ムッカーッ!
こず枝が右手を写真に向けた。
「《ファイアボール》!」
こず枝は衝動的に魔法を使った。
(しまっ……)
魔力が右手に集まり、炎を形成する。
もう止められない。
「……くっ!」
炎が飛び出す直前、なんとか右手をずらした。
ドカンッ!
爆音とともに、大きな穴が壁にあいた。
炎が飛び散り、いたるところでコゲ跡を作る。
「きゃっ! ま、まずいわ!」
こず枝は部屋中でくすぶる火を、枕でバンバンと叩き消した。
「きゃぁぁっ! きゃぁぁっ!」
やがて、どうにかすべての火だねを消し止めた。
ホッ、と息を吐き、壁にあいた大穴の下にある写真立てを手に取った。
「危うく粉々にするところだったわ……」
こず枝は写真をそっと撫でて、言った。
「勝手に知らない場所に行って、勝手に好きな人を作ってるんじゃないわよ。バカレイ……」
こず枝は、去り際にイライアがいった言葉を思い出した。
『ああ、最後にひとことだけ言っておくのじゃが、ワシもロリもシャリーも、あきらめたわけではないぞ? あくまで現時点での本命が、あのむっつり娘というだけじゃ』
あきらめたわけではない――イライアはそう言ったのだ。
「わたしだって……」
こず枝は写真を胸に押し当てて言った。
「わたしだってあきらめるもんか!」
そして、焦げ臭い部屋の中で壁に目をやる。
すると、そこには直径20センチほどの穴が。
「こ、この穴、どうしよう……」
大惨事の部屋で、こず枝は呆然と立ち尽くした。




