第40話 【こず枝と龍神様】
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靴を履いた礼二郎は、息を吐いた。
「……いいか、こず枝。絶対に、間違っても、龍神様を怒らせるんじゃないぞ?」
こず枝は、上気した顔で、ソワソワしている。
「わかってるわよッ。早く行きましょうッ。早く早くッ」
いそいそと靴を履き終えたこず枝を、こじらせ魔女は呆れ顔で見つめている。
「こず枝や、本当にわかっておるのか? 相手は、この世界を破壊できるほどの存在じゃぞ?」
「うそッ。そんなにすごいんだッ。めっちゃ上がるんですけどッ」
「…………」「…………」
礼二郎とイライアが、同じように不安な表情を浮かべた。
それもそのはず。
今から、このハイテンション女子高生が、龍神の元へ行くことになったからだ。
少し前、こず枝とチェリーは、ふたりきりで部屋にいた。
そのとき、イライアが訪れ、今から龍神の元へ向かうと言った。
すると、こず枝は必死に頼み込んだ。
「お願いしますッ。わたしも連れて行ってくださいッ」
礼二郎のことが心配だから……と言うのもあるだろう。
だが、この女子高生は、ただ単純に巨大生物が見たいのである。
(そう言えば、こず枝は、昔から特撮ヒーローものや、怪獣ものが好きだったな)
礼二郎の特殊装備【OH、バトルスーツ】。
特撮ヒーローの様相を呈しているその装備は、今思うと、こず枝の影響を受けているのかもしれない。
結局、こず枝の熱意に押されて、同行を許可したのであった。
イライアが同行を許したことに、チェリーは少なからず驚いた。
てっきり、にべもなく断るものと思っていたか。
もしかしたら、昼間の件(※こじらせ魔女暴走事件)で、こず枝に対し、負い目を感じていたのかも知れない。
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「う、うむ。まぁ、龍神様は、ああ見えて心の広いお方だ。多少の失言は笑って許してくれるだろう。とくに禁句もないしな」
「う……。それについては、反省しておる……。あまり、ワシをいじめるでない。ほれ、こず枝や、これを渡しておこう」
「え? これって……500万円の――例の護符ですか?」
「与えるわけではないぞ? 今日一日貸すだけじゃ」
「ありがとう、イライアさんッ。イライアさんって、とっつきにくい人かと思ってましたッ」
「師匠は失言さえしなければ、優しいお人だぞ? あの……師匠。僕の方は、さっき話したとおり……」
「わかっておる。では、そろそろ行くぞ《ゴル、プルテ、サイラ、イモーネ……》」
「わわわッ。これがワープ装置? めっちゃ上がるんですけどッ」
「…………」「…………」
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【亜空間ゲート】から出た礼二郎達の目の前には、広い広い空間が広がっていた。
壁には『ダンジョンヒカリゴケ』がびっしりと生えており、地中にもかからず、まるで日中屋外のように明るい。
【次元迷宮】最深部――『龍神の間』である。
ここに自力でたどり着いただけでも、龍神から莫大な財宝が与えられるのだ。
もっとも、それを成し遂げたのは、この数百年で礼二郎ただひとりである。
さらに龍神と戦い勝利すると、とんでもない力が手に入ると言われている。
伝説の龍【龍神サンダルパス=アルシエラ】は、礼二郎達の現れた場所から20メートルほど先、広間中央で体を丸め眠っていた。
「我が友アルシェよッ。約束通り、我が弟子を連れて……」
「きゃぁぁぁぁぁッ!」
魔女イライアの言葉をさえぎり、こず枝が絶叫した。
ジロリッ。
龍神が首をもたげ、三人を睨む。
(まずいッ。やはり、こず枝には刺激が強すぎたんだッ。龍神様が怒る前にこず枝を連れ帰っ……)
礼二郎がこず枝を強制退場させるべく、動き始めたとき、こず枝が叫んだ。
「かっこいいぃぃッ」
「へ?」「な、なんじゃ?」
礼二郎とイライアが、こず枝を捕まえようとする手を止めた。
その二人に向き直り、こず枝が爛々とした目で、尋ねた。
「イライアさんッ。あの龍って噛みつきますッ?」
「な、なんじゃその質問は? い、いや、噛みはしないのじゃが……これ、こず枝ッ。待たぬかッ」
噛みはしないとイライアから聞いた瞬間、こず枝が走った。
たしかに、龍神は相手を噛んだりはしない。
ただし、火を噴いて消し炭にはするのだ。
足で踏み潰したりするのだ。
尻尾で吹っ飛ばしたりもするのだ。
礼二郎は慌てて、こず枝を止めようとした。
「待つんだ、こず枝ッ」
が、レベル1の礼二郎では、一歩間に合わなかった。
こず枝の速さたるや、さすが学年で5本の指に入るスポーツ万能少女だった。
噂では同じクラスの、陸上部の(自称)エースに、短距離走で勝ったらしい。
礼二郎が捕まえる前に、こず枝が龍神の爪に飛びついた。
「すごいすごいすごいすごいッ。おっきいぃぃっッ。きゃぁぁぁぁぁっッ」
幾万もの敵を引き裂いてきた爪である。
成人男性よりも大きな、その爪に〝許可なく〟抱きつき、こず枝は大興奮している。
(マズいッ、マズいぞッ。龍神様がお怒りに……んんッ?)
恐る恐ると、龍神の顔を見た礼二郎が、こず枝に伸ばした手を止めた。
巨大ドラゴンの表情は、礼二郎が初めて見る種類のものだった。
金色の瞳に、困惑の色が混じっているように感じた。
その龍の爪に抱きついたまま、、顔を真上に向け、こず枝が叫んだ。
「アルシェさーんッ。写メ撮っていいですかぁぁぁッ?」
あ、あ、あるしぇさん、と礼二郎は、顔面蒼白となった。
「こ、こず枝ッ。龍神様だッ。龍神様と――」
『かまわん』
「――お呼びしないかッ……へ? 〝かまわん〟?」
途中で聞こえた龍神の言葉を、礼二郎は聞き間違えだと思った。
だが、きゃあきゃあと飛び跳ねる女子高生を見る限り、どうも聞き間違いではなさそうだ。
どういうことだ、と軽く混乱する礼二郎へ、こず枝が携帯を手渡した。
「レイッ。撮って撮ってッ」
「あ、あぁ」
チェリーは、戸惑いながらも、こず枝からスマホを受け取った。
ちらりと、龍神に目を向けると、少し身体を動かし、ポーズを取っているように見えた。
礼二郎は、少し離れてシャッターを数回押した。
そこへ、女子高生がダッシュで駆け寄る。
「見せて見せてッ。……ダメダメじゃないッ。これじゃアルシェさんって、わかんないわッ」
こず枝の言うとおり、礼二郎の写した写真はダメダメだった。
巨大な建築物に寄り添っているようにしか見えない。
そのとき、ピコンひらめいた、と、こず枝が目を輝かせた。
「すみませーんッ。アルシェさーんッ。頭を下げてくれませんかーッ」
こず枝が、恐怖の龍神へ向かって『頭が高いッ』と叫んだのだった。
礼二郎は、こず枝の死亡を予感した。
なんとかそれだけは阻止せねばと、こず枝に叫んだ。
「い、いかんッ。こず枝、それはいかんッ。早く謝るんだッ。いくら龍神様が、お優しくても……」
ズーンッ。
礼二郎の言葉を遮り、巨大ドラゴンが頭を地面へ降ろした。
女子高生は、絶叫しながら、巨大な龍の頭に抱きつく。
「きゃぁぁぁッ。アルシェさん、ありがとーッ」
フンスフンスッと鼻息を荒くした龍神と、決めポーズの女子高生。
礼二郎は、状況を理解できないまま、何枚も何枚も写真を撮った。
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魔女がティーカップを口へ傾けた。
自らが土魔法で作ったテーブルセットである。
イライアは、そこへ腰掛け、優雅にお茶を楽しんでいる。
カチャ、とカップを皿へ置くと、イライアは、真面目な顔で礼二郎を見つめた。
「……我が弟子よ。お主に事情があるのはわかった。じゃが、ワシ等にも選択する権利はあると思わぬか?」
イライアの正面に座る礼二郎は、俯き、胸を押さえた。
「でも、僕のせいで父さんが……母さんが……ハァ……。だから加代が……くっ……ハァハァ」
「無理に話さずともよい。妹御が巣立つまで、ワシ等の相手ができぬと申すならば、それも受け入れよう。じゃが、お主の側にいたいというワシ等の願いを奪うでない。お主に、そんな権利はないはずじゃ。お主がワシ等と離れたいと望んでおるなら、話は別じゃがな」
「ハァハァ……僕は……みんなと一緒にいたいです……。離れたく……ありませんッ。でも、僕の都合でみんなを……」
「”でも”は、なしじゃ。今は、お主の気持ちがわかっただけで十分じゃよ。お主も少し落ち着いて考えてみるがよい。じゃがな、ロリの、シャリーの、そしてワシの想いを見くびるでないぞ? まぁセレスのやつは……言うまでもなかろう」
「師匠……」
「この話は終わりじゃ。――それより、我が弟子よ」
「……はい、なんでしょうか?」
「あの娘は、昔からあんなに豪胆じゃったのか?」
「た、たしかに、こず枝が怯えた姿を見たのは、今日の昼間が初めてかもしれません」
「うっ。それは、ワシとのことか……。その言葉は地味に傷つくのう」
「す、すみませんッ。そんなつもりでは……」
「わかっておる。それにしても」
イライアが天を見上げた。
「えぇ、それにしても」
礼二郎も上空へ視線を向けた。
すごいのう、とイライアが言った。すごいですよね、と礼二郎も同意した。
ふたりは、それからしばらくの間、無言で上方を眺めた続けた。
「きゃぁぁぁッ。気持ちいーッ」
二人の視線が向かう先では――その大きな手に、ノリノリ絶叫女子高生を乗せた、巨大ご機嫌ドラゴンが、広大な空間を、縦横無尽に飛び回っていた。




