閑話1 【いじめっ子の受難】
【2019年1月23日(水)昼休みの1年6組教室】
「なんだ? えらく騒々しいな」
パーマピアス塩田健吾が、いつもより騒がしい廊下を眺めながら、左手でぎこちなくペットボトルの蓋を開けた。
右手は使えない。ギプスでガチガチに固定されているからだ。
「そんなの、どうでもいい……クソッ! イラつくぜ!」
刈上げボクシング古村莊太が、同じく右手に固定されたギプスを、忌ま忌ましそうに睨み付けた。
「オレに当たるなよ。ボクシングができなくなったのは、オレのせいじゃねぇだろ」
「うっせーな! わかってるよ、んなことぁ! クソッ! 中手骨骨折だと!? ふざけやがって!」
「なぁ……これって、あのオタク野郎の仕業だと思うか? ふたりとも、同じ箇所を骨折って……」
「あいつの仕業かどうかなんて、どうでもいいんだよ! どちらにせよ、これは、あいつのせいなんだ! ちくしょう、あのオタク野郎! ぜってータダじゃ済まさねえ!」
そのとき、「……2組……大萩くんが……」「……マジかよ……あの大萩が……」もっとも憎い名前がクラスメイト達の口から聞こえた。
ガタッ! 塩田が立ち上がり、話をする男子生徒のひとりに「おい! 大萩のオタク野郎がなんだって!?」高圧的に話しかけた。
「ど、怒鳴るなよ! すごい美人が、大萩君を訪ねて来てたって話をしてただけだよ」
「はぁ? あのオタクに? 誰なんだ、その女は?」
「し、知らないよ! く、詳しいことは、2組のヤツに聞きなよ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おい! てめぇのオタク仲間はどうした!」
乱暴にドアを開け、1年2組教室に入ってきたパーマピアス塩田健吾が、窓際でどぎつい思春期トークをしていた小太りな男子生徒に向け、怒鳴り声を上げた。
「オタク仲間……?」
ゆらり……。小太り男がゆっくりと立ち上がって、塩田を見上げ、言った。
「それは、ボク等の仲間であり魂の盟友でもある、礼二郎男爵のことか?」
身長差、15センチはあるにもかかわらず、小太り男は物怖じすることなく、塩田を睨み付けた。
「お、おう、そのオタクのこと……」
「ふざけるなぁ!」
小太りの怒声が、塩田の言葉をさえぎった。
「礼二郎男爵は、お前らにバカにされるような漢じゃない! 取り消してもらおう!」
「そ、そうだそうだ! 礼二郎男爵を、馬鹿にするな!」
小太りの前に座るガリガリ男も、立ち上がって声を荒げた。
そのとき、「ゴルァッ!」塩田の後ろに立っていた刈上げボクシング古村莊太がガリガリ男の襟首を掴んで「テメエ! 調子に乗るんじゃ……」そこまで言ったとき――。
「オイ!」
――野太い声が、教室に響き渡った。
「お前ら、大萩さんに、なにか用か!?」
教室の後ろで、そう叫ぶ巨漢の男は、山本五郎――中学時代、柔道県大会重量級で優勝した男――だった。
「な、なんだよ」「お、お前には、関係ないだろ……」
塩田と古村が震える声を上げると、巨漢山本が、ツカツカとふたりに近づき――。
「関係ないだと!?」
――ふたりの襟首を、掴み上げて、言った。
「大萩さんは、俺たちの恩人だ! バカにしやがったら……殺すぞ?」
鬼のように睨み付ける巨漢の目は、その言葉が間違いなく本気だと告げていた。
「そうよ! 大萩様に手を出してご覧なさい! わたし達が許さないわ!」
ガタッ! お下げ髪のメガネ女子が、勢いよく立ち上がって叫んだ。
すると、その声を皮切りに……「そうだ! 大萩さんに手を出すな!」「礼二郎様をバカにするな!」「大萩サマを下げるなんて、チョームカつくんですけど!」大勢の生徒が――いや、1年2組全員が、立ち上がって、叫んだ。
「な、なんで、あのオタク……グエェッ!」
怯えた声で言葉を発した塩田を、巨漢山本が、襟首を掴んだまま、ダンッ! 壁に押しつけ、腕全体で塩田の首を押さえつけた。
「……殺すって言ったよな?」
塩田の首に、完全に目が据わった巨漢山本の、とんでもない力が加わる。
「カハッ……た、たすけ……ヒューヒュー……」
塩田が白目を剥きかけた、そのとき。
「山本君、そこまでだ!」まるでポ○モンマスターがごとく、小太り男が横柄にそう言うと「チッ……命拾いしたな」巨漢がモ○スターボールに戻ることなく、口惜しそうに塩田の首を解放した。
「ゲホッ、ゲホッ! ……んな!? な、なにしやがる! 離せ!」
咳き込む塩田、そして、その隣で呆然と立ち尽くす古村ふたりの首根っこを、巨漢山本が掴んだ。
「そら、とっとと、巣に帰れ!」 巨漢山本がそう言い放ち、塩田と古村のケツを蹴り上げると 「ぐえっ!」「ぎゃっ!」 ふたりは無様に倒れ込んだ。
「さっさと帰れ!」「二度と来るな!」「かーえーれっ!」「かーえーれっ!」「かーえーれっ!」「かーえーれっ!」「かーえーれっ!」
教室の全員から、大音量の帰れコールが上がり、「ひっ!」「く、クソッ!」 塩田と古村は、ほうほうの体で逃げだした。
そして、ふたりが去った1年2組の教室では――
「やーまもとっ!」「あそーれ! やーまもとっ!」「やーまもとっ!」「やーまもとっ!」「あそーれ! やーまもとっ!」「やーまもとっ!」「ヒューヒューッ!」
――小太りメガネの音頭の元、空前の山本ブームが巻き起こっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「な、なんだったんだ、今のは……」
自分の教室に戻った塩田が、震える声で呟いた。
「なんだって、あのオタクが……ん?」
古村がクラスの生徒に目を向けると、サッと目をそらされた、すると。
「あいつらの手……、大萩くんに……ヒソヒソ」「プッ! ……マジで?」「……ダサッ!」「……いい気味」「……あいつら、マジヤバーい」
自分たちに向けた嘲笑のヒソヒソ話が、ふたりの耳に届いた。
さらに、いたるところから――あらゆる場所から、侮蔑の視線が注がれている。
ふたりは、まるで世界全体が敵になったような気分になり、放課後までずっと、顔を赤くして下を向いていた。
――そして、周囲からの嘲笑と侮蔑は、放課後になっても変わらなかった。
いや、むしろ昼休みよりひどくなってる気がした。
あまりの居心地の悪さに、さっさと帰ろうとしたふたりの元へ、ひとりの派手な女子生徒が近づいた。
「美香……」その派手な女子を見る、古村の表情がゆるんだ。
「美香、わりぃな。今日は……」
「ってゆーかー、なに、その手ぇ? 超ぉ恥ずかしいんですけどぉー?」
派手な女は、金色に近い髪をクルクルと指でいじりながら、刈上げボクシング古村莊太の言葉を無視した。
「こ、これは……」
「あの大萩くんにやられたんだってみんな噂してるしぃー。美香、恥ずかしくって死にそうだしぃー」
「べ、別にあいつからやられたわけじゃ……。その、わ、悪かったよ……。こんど埋め合わせを……」
「そのことなんだけどぉー。もう、連絡しないでくれるぅー?」
「はぁ? ど、どういうことだ?」
「噂の大萩くんをいじめるようなやつとは、口も聞きたくないって意味だしぃー。じゃ、永遠にサヨナラー。――あ、もしもし、由里ぁ? アーシだけどぉ。――うん、いま別れたしー。――マジで? それヤバくなーい? マジウケルゥ! キャハハハ!」
派手ギャルは呆然と立ち尽くす古村へ一度も振り返ることなく、楽しそうに電話をしながら去って行った。
「おい、大丈夫か……? ったく、美香のヤツひでぇよな……。今日はもう、さっさと帰ろうぜ。おい……ソータ?」
塩田の声が聞こえなかったか、古村は椅子に腰掛け下を向いたまま、返事をしなかった。
「……てやる」
よく聞くと、古村は、なにかを呟いていた。
「お、おい、ソータ、なに言っ……」
「ぶっ殺してやるっつったんだよ! あのオタク野郎! あ!? 何見てんだゴルァッ!」
古村が勢いよく立ち上がって、周囲でチラチラ様子をうかがっているクラスメイトへ怒鳴り声を上げた。
「そりゃ、オレだって、そうしたいけどよぉ。オレ達は右手が……」
「だったら他のヤツに頼めばいいだろ?」
「頼むって誰に……。ま、まさか!」
「長谷川先輩……この間、出所したよな?」
ニヤリ――古村は口端を裂けるほどつり上げて、嗤った。




