第3話 【『美魔女と美幼女の場合』】
「ん? なんじゃ、そのやり切った感に満ち満ちた顔は。それに魔力が半分も減ってるのはどういうことじゃ?」
黒のドレスに身を包んだ魔女イライアが、不思議そうな顔で言った。
グラスに入ったワインは、飲めども飲めども無くならない。
無くなるはずがない。
最強の魔女がワインを欲しているのだから。
礼二郎は周りに目を向ける。
屋外テラスは――2人以外、無人だった。
いるのは妖艶の魔女と礼二郎のみ。
うっすらと霞がかかったこの空間は……。
「ある男性と、その近辺の空気を読む人々を救ったのです。ある意味、魔王より手強かったかもしれません。それより師匠。もしや結界を、ここに?」
「パーティー中にも人助けか。あいも変わらず酔狂な男じゃ。しかしそんなに魔力を使うとは、よほど手強い相手だったのじゃな。まぁよい。ふむ、お主の言うとおり、今この空間は結界で覆われておる。やはり人混みは苦手での。その自慢の結界もお主には効かなかったがな。それにちょうどよかった。実はお主に話があるのじゃ」
「話、ですか?」
なにか重大なことだろうか。
礼二郎はそれとわからぬよう身構えた。
そんな礼二郎を見て、イライアは柔らかく笑みを浮かべた。
ドキッとした。
こんなに優しい表情の彼女を見たのは初めてかもしれない。
改めて見ると、とんでもない美女である。
「なぁ、我が弟子よ。少しこれからの話をせぬか?」
「これからの、ですか? 馬車で言ったとおり、僕は魔物討伐を……」
どうやら深刻な話ではないようだ。
礼二郎が、少しだけ気を緩めた。
イライアはなおも、優しい口調で続けた。
「そもそも、お主はなぜ魔物討伐をするのだ?」
「え? だって、害をなす魔物がいれば、それだけ罪のない人が……」
「お主は魔王を討伐したのだぞ? 世のために働くと言うのなら、もう十分じゃろう」
「しかし、今でも大勢の人が……」
「だからどうしたと言うのじゃ? 大勢の人間が魔物の被害を受けたとして、お主になんの関係がある?」
「僕と、関係? そんなこと……」
「魔物の被害は多かれ少なかれ、未来永劫起こるものじゃ。お主はそれに振り回されるつもりか? 見知らぬ他人のために、死ぬまで延々と」
「それは……」
「我が弟子よ。お主はもしや、世のために働くのを止めた自分には価値がない――そう思い込んではおらぬか?」
「…………」
「お主は自分の人生を見失っておるのではないか? 他人を助けることで、それを誤魔化そうとしておるのではないか?」
「自分の、人生? 僕にはそんなもの……僕なんかに……」
「……お主が世のため人のために働きたいと言うのなら、ワシはとことん付き合うてやろう」
「そ、そんな! 師匠の人生を僕のわがままで……」
「まぁ待て。人には自分の人生を楽しむ権利があるのじゃ。いや、義務と言ってもいいかもしれん」
「楽しむ権利。僕なんかにそんなものは……ありません」
「見失っておるのだ。お主は、自分を。自分で自分の価値がわからぬと申すなら、その判断をワシに……その……ゆ、委ねてみぬか?」
それまで諭すような口調のイライアが、ここへ来て小さな声になった。
礼二郎は首を傾げた。
つまり、どういうことだ?
「師匠に判断を? えっと、おっしゃる意味が……その……」
「つ、つまり、その、お主がよかったら、その……わ、ワシと共に暮らさぬか、と申しておる!」
イライアが顔を真っ赤にした。
そもそもずっと一緒に暮らしているのだ。
改めてそれ言う意味は。もしやプロポー……。
「へ? ししし、師匠! そそそ、それって!」
「さ、酒の席の戯言じゃ!」
少し怒ったふうに言って、イライアはくるりと背を向けた。
「じゃがワシは本気じゃぞ。考えておいてくれ」
「師匠……」
「わ、ワシの話は終わりじゃ! 他の連中も、それぞれ話があるそうじゃ! さぁ行ってやるといい!」
結界を解くと、赤い顔であろう最恐魔女は、そそくさと足早に去っていった。
『去れ小僧ッ。石になりたいかッ』
10年前、初めて会ったイライアのセリフである。
それが今や、一緒に暮らそうと言われるまでになったのだ。
「師匠に出会えてよかったな。なんども死にかけたけど」
共に過ごしてきた十年を思い、震え上がる。
同時に、礼二郎の胸に、ジンと熱いものが込み上げた。
それにしても……。
(自分の人生、か)
今まで考えたこともなかった――いや、考える資格のなかった問題だった。
唐突にその問題をつきつけられるとは。
礼二郎は、自分の心が、鉛のように重くなるのを感じた。
∮
「あれが例の……」「なぜあんな……」「けがらわしい……」
ダンス会場の端、高級なドレスや礼服の人垣から、そんな声が漏れている。
その中心では……。
褐色肌の白い髪をした少女がいた。
ポツンと一人で、少女は立っていた。
遠巻きに噂する奴らの視線を受け、下を向いている。
唇を噛み、青いドレスの裾をギュッと握りしめて……。
∮
礼二郎は着飾った貴族連中の人混みへ、乱暴に身体を突っ込んだ。
「ちょっと失礼する」
人垣を強引にかき分けると、そこには目的の人物がいた。
少女だ。
少女は怯え、震えていた。
侮蔑の言葉、嘲笑の声、嫌悪の視線。
人間の悪意が少女の存在を全否定している。
礼二郎の大切な、本当に大切な仲間の少女を、だ。
できるなら全員ぶちのめしてやりたかった。
だが、それを実行すると、仲間の立場が危うくなるのは火を見るよりも明らか。
礼二郎はらわたが煮え繰り返るのを抑えて、叫んだ。
「ロリ!」
「え? あ、れいじろう様!」
礼二郎の姿を認めると、少女が叫んだ。(長年一緒にいる仲間には認識阻害魔法の耐性がある)
垂れ下がっていたとんがり耳をぴょこんと持ち上げ、涙の溢れそうな顔で礼二郎を見つめる。
礼二郎は人混みから抜け出すと、少女の前へ歩み出た。
そして片膝をつき、深く頭を垂れた。
「ロリ、ひとりにしてすまなかった。さぁ……」
顔を上げて、手を差し出した。同時に《認識阻害》の魔法を解除する。
ロリは大きな目をぱちくりさせた。
これはありえない行為だった。
周囲の貴族達もざわついている。(パーティーの主役が突然現れたように見えたのもあって)
まさか、主であり、今日のパーティの主役であり、救国の勇者である礼二郎が、従者であろう少女に膝をつき、頭を下げるだなんて。
「れ、れいじろう様……その、なにを……」
動揺を隠せないロリの声に、礼二郎は柔らかい笑みを返す。
「お嬢様、どうかわたしめと踊ってくださいませんか?」
「え!? あ、あの、ロリは……その……」
「どうか……」
「は、はい! 踊ります! ロリと踊ってください!」
礼二郎はさらに破顔する。
おずおずと差し出すロリの手を、そっと握った。
「失礼。場所を開けてもらおう」
人垣へ向け、短く言うと、礼二郎が“闘気”を放った。
「ひッ」
うわべだけ綺麗に着飾った連中が悲鳴を上げ、広い道ができた。
泡を吹いて倒れた者もいたが、ロリを侮辱したのだ。自業自得であろう。
「さぁ、お嬢様、踊りましょう」
優しく言うと、周りに誰もいないかのように、礼二郎がロリをエスコートした。
ロリは上気した顔に、はにかんだ笑顔を浮かべる。
踊りを知らないロリを礼二郎は巧みにリードした。
ロリは礼二郎にすべてを任せた。
身体を、そして心をも。
そして、2人は踊った。
「――れいじろう様、その」
二曲ほど踊った頃、ロリが口を開いた。
「どうした、楽しくないのか?」
「楽しいです! ダンスがこんなに楽しいだなんて、知りませんでした! そうじゃなくて、あの……」
「僕も、ロリと踊るのはすごく楽しいよ。他になにかあるなら、遠慮なく言ってごらん」
「はい、あの、れいじろう様は、もしかして、ロリがいるから、爵位を辞退されたのでしょうか? もしそうなら、ロリは……」
「違うぞ、ロリ」
礼二郎は強い口調で断言した。
言葉を遮られたロリは、驚いた表情で、自分の主を見上げた。
「れいじろう、様?」
「爵位を断ったのは、領地を持つと自由に動けなくなるからだ。自分のせいだなんて、そんなことを考えていたのか……。バカだな。いつもの明るくてかわいいロリはどうしたんだい?」
怒ったような、言い聞かせるような、でも優しい声だった。
ロリは、トンガリ耳を赤くして、俯き、言った。
「……嘘つきです。れいじろう様は」
「嘘はついてないぞ?」
「それも嘘です。でも」
言って、ロリはギュッと礼二郎に抱きつき、顔を押しつけた。
そして、小さな、とても小さな声で呟いた。
「でも……きです」
「僕もロリが大好きだよ」
地獄耳の礼二郎が、ロリの頭をやさしく撫でた。
「もう! また子供扱いですか! 大っ嫌いです! そう言うところは!」
ロリが頬をぷくっと膨らませた。
「す、すまん」
礼二郎の少し困った顔を見て数秒、満足したのかロリは大きく笑った。
「ふふふ、ロリは、もう大丈夫です。これ以上れいじろう様を独占しちゃうと、他のみんなから恨まれちゃいますから。――ほら」
ロリが身体を離し、礼二郎を後ろへと促した。
振り向いた礼二郎は、思わず息を呑んだ。
そこには……
「シャリー」
「ご主人様……」
黄色いドレスに身を包んだキュートな猫耳娘が、恥ずかしそうに立っていた。




