第28話 【CALL ME!】
礼二郎はソファーに座り、マジマジとテレビを観ていた。
15年ぶりに改めて観ると、すごい技術だ。
ぜひともアッチ方面の動画を見たいものだ。
と、邪なことを考えていると、リビングのドアの音に続き、背後から声がした。
「ただいまぁ。――あれ? 礼兄ぃ、出所したんだ」
礼二郎が首だけ向けると、セーラー服にコート姿の女の子が立っていた。
中学2年の妹、大萩加代だ。
懐かしさからだろうか、涙が出そうになった。
誤魔化すように礼二郎は、テレビに視線を戻した。
「おかえり。誰かさんのおかげで捕まったが、なんとか釈放されたよ」
少し険の籠もった声で言う。
兄の嫌味を、愚妹の加代は、へえ、と軽く流した。
「なんだ、つまんないの。で、久しぶりの学校はどうだった? 女子からキャーキャー言われたんじゃないの」
「た、確かに女子からキャーキャー言われたな」
「うそッ。詳しく聞かせてよッ」
ミーハーな妹が好奇心満点の声を上げた。
礼二郎は鬱陶しそうにしながらも、まんざらでもない気がした。
「ダメだ。黙秘させてもらおう」
「なに覚え立ての技を使ってんのよッ。さあ素直に白状……ってなによ、その顔ッ」
隣に腰掛けた加代が、近くで礼二郎の顔を見て声を上げた。
「ああ、これか。気にするな。たいした傷じゃない」
「青くなってるじゃないッ。またあいつらねッ」
「ん、まあそうだな」
「その……大丈夫なの? 辛かったら学校休んでもいいんだよ?」
「それは甘やかしすぎだぞ? ――問題はない。びっくりするほど大丈夫だ。それより弁当箱を洗いたいのだが、台所の勝手がわからん」
それから妹とふたりで台所へ行った。
礼二郎が洗っている最中、加代は後ろのテーブルに腰掛け、ずっとブツクサ言っていた。
まるで本人がやられたかのような怒り方だ。
本人はまったく意に介していないのだが。
しかし気持ちはわからなくはない。
もし加代が同じ事をやられたらどうだろう?
…………あ、ダメだ。
冷静でいられるわけない。
状況次第では、相手を殺してしまうかもしれない。
「そういえば、そろそろこず枝さんが来るよ。どう? うれしい?」
「なんだその質問は……。うれしくないと言ったら嘘になる可能性もなきにしもあらずだな」
「どっちなのよッ」
(そう言えば、こず枝は、いつまでこの家に来るんだろうな)
弁当箱を乾いた布巾で拭きながら、最強のいじめられっ子は考えた。
礼二郎が異世界に飛ばされる以前も、こず枝は毎日弁当を渡してくれた。
だが、空になった弁当箱は、放課後に直接返していたはずだ。
(僕がいない間は、加代がひとりになるのを心配したんのだろうが……)
今は礼二郎がいるので、その心配はないはずだ。
なのに、こず枝は弁当箱を持って帰れと言った。
つまり今夜も、そして今後もこの家にやってくるつもりなのだろうか。
(もう僕がいるから心配いらない、と言うべきだったか)
だがそれを言ってしまうと、こず枝がこの家に来なくなってしまう。
さてどうすれば……ん?
(待て待てぃッ。どうしてそのことを悩む必要がある? そりゃ昔は異性として好意を抱いていたが)
今、礼二郎の心は、異世界に残してきた愛しい仲間達のことで、埋め尽くされているはずだ。
イライア、ロリ、シャリー、それにセレス。
まだ別れて2日なのに、まるで何年も会っていないように感じる。
「…………ぃ……礼兄ぃ……礼兄ぃってばッ」
「ハッ。ど、どうした?」
「なに、泣きそうな顔してんのよ? やっぱり、あいつらにイジめられてるの? ホント兄妹そろって嫌な奴らだわッ」
「ふむ。イジメか。下手に手を出せば、逆にこっちがイジメになってしまうぞ。あの程度の連中に心を悩ます必要もあるまい」
「なんなのよ、その余裕はッ。ハッ。まさか旅先で伝説の拳法を?」
(たまにするどいな、妹よ。もっとも僕が身につけたのは、伝説の拳法どころではないがな)
このことは中二病ど真ん中の妹に言うわけにもいかない。
うかつにバレると、面白がってあれこれやらされそうだ。
礼二郎もそんな妹の願いをホイホイ聞いてしまいそうで怖かった。
最強賢者は若干どころではなくシスコン気味なのだ。
「旅に出て見識が広がったんだな。あいつらなぞ、今の僕にはただのやんちゃな子供にしか見えん」
「礼兄ぃってば本当、別人みたい」
妹が兄を敬意の混じる目で見つめた。
なかなか気分がよろしい。
だが今朝のことを忘れたわけではない。
(別人か。お前がそんなことを言うから、僕は警察に……)
礼二郎は、その言葉を飲み込んだ。
妹は、決して悪気があったわけではない。
あくまでこの娘はド天然なのだ。
(まぁ、おかげで事情聴取という貴重な経験ができたと思っておこう。15年ぶりのラーメンも堪能できたしな)
礼二郎は、先ほど食べたラーメンを思い出した。
一口目を口に入れた最強賢者は、またしても
「信じられん。なんて旨さだ」
と呟き、財布の中身を気にする巨漢の刑事を、ギョッとさせたのだった。
(鈴木さんか。いい人だったな)
あの刑事は、監視という職務を放棄してまで礼二郎を助けてくれたのだ。
なのに礼二郎はアホ共に殴られた腹いせに、チャーハンと餃子を奢らせてしまった。
会計の際に見えた、刑事が震える手に持つ財布には、悲しいことに、最高単位の紙幣は存在していなかった。
(いかん。今更ながら胸が痛んできたぞ)
いつかこの借りを返すと言うことで勘弁してもらおう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――そろそろ大丈夫か?」
礼二郎は充電器に刺したまま、スマホの電源を入れた。
「どうやら使えそうだな」
これは菊水こず枝の、お下がりスマホである。
これが後に、最悪のおしゃべり携帯になるのだが、今は置いておこう。
異世界で携帯を紛失した礼二郎は、こず枝にこれをもらい受けた。
携帯ショップでの手続きは、思いのほかすぐに終わった。
出費は手数料の3000円のみで済んだ。
新品を買うとなると最低で5万円かかる。
そのことを思えば安い物だ。
とは言え、3000円と言えば礼二郎の一月分の小遣いと同額だ。
(3000円。地味に手痛い出費だな。女神に請求してみるか)
請求方法がわからない礼二郎は、脳内でシミュレートしてみた。
『3000円の損害賠償を請求しまーすッ』
と、大声で女神に請求してみる。
ゴワンッ。想像の中でもタライが落ちてきた。
(これも不満の一種か。くっ、思ったよりやっかいな呪いだな)
それに、女神との接触は避けた方がいい。
”約30分後に起こること”を考えるとなおさらだ。
なので礼二郎は泣く泣く、請求をあきらめた。
「今は6時半。よし、かけてみるか」
礼二郎はポケットから紙切れを取り出す。
そこに書かれた番号をスマホに打ち込んだ。
「くっ。なかなかの緊張感。しかし師匠の家を初めて訪ねたときに比べれば」
生きて帰った者はいないと言われていた【炎眼の魔女イライア=ラモーテ】の屋敷。
礼二郎は死ぬほど行きたくなかった。
しかし魔王の結界を破る魔術を知っているのが、イライアと龍神だけだったのだ。
龍神は、恐ろしいダンジョンの最深部だ。
生きて帰れない魔女の屋敷か、高難易度ダンジョンの最深部か……。
まさに究極の選択だった。
結果的には、魔女を選んで正解だったわけだ。
もし、当時の強さのままダンジョンに入っていたら間違いなく死んでいた。
今頃スケルトンとなって、ダンジョンを徘徊していたことだろう。
ドゥティ、ドゥティ、ドゥティ、ドゥティ……。
礼二郎のチェリーハートが、16ビートで失礼な音色を奏でた(気がした)。
えい、ままよッ。通話ボタンを押す。
トゥルルルルル、トゥルルルルル……ピッ。
2回目のコールで相手が電話を取る。
ドゥティ、ドゥティ、ドゥティ、ドゥティ。
腹の立つチェリー・ビートは続いている。
『……』
相手は無言のままだ。
知らない番号を警戒しているのだろう。
「もしもし、大萩礼二郎だが、佐々木さんだろうか」
礼二郎が、そう告げると、
『ガタッッ。ガタガタガタッ』
電話の向こうから、激しい音が聞こえた。
『あ痛たたた。礼二郎くんッ? 礼二郎くんねッ』
電話の向こうで慌てた声を上げたのは、佐々木春香。
先日、礼二郎が暴漢からその身を救った人物だ。
そして、最高のインスタントコーヒーをごちそうしてくれた女性だ。
さらに、借金賢者の債権者様でもあった。




