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第2話 【剣帝エバンス(口臭)】

 パーティ会場の端にあるテーブルに、礼二郎は立っていた。

 今のいままで、式典にひとりで参加していたため、仲間達とは別行動だ。

 ホッと息を吐く。

 周りを見渡し、《認識阻害》の魔法効果を確認する。

 誰も礼二郎に気づいてはいない。

 礼二郎を取り込もうとする貴族から、ようやく逃げおおせたわけだ。


 ――さて、と、せっかくだから料理を楽しむか。


 堅苦しい儀式に長い間拘束されていた礼二郎は空腹で倒れそうだった。

 仲間達と合流するにしても、まずは腹ごしらえだ。


 所狭しと高級料理の並んだ豪奢なテーブルを物色していると、


「グッハーッ!」


 礼二郎は身悶えた。

 凶悪な臭気に襲われたのだ。

 鼻の奥にツンと来るタイプの、相当キッツイやつだ。


 この臭いの正体を、礼二郎は知っている。

 なにせ、5年間、毎日のように散々嗅いできたのだから。


 鼻での呼吸を止めて、それでも臭いのする方へ顔を向ける。

 思った通りだ、ちくしょうめ。

 真っ直ぐこちらへ向かってきている。

 心なし、空気が澱んで、時空すら歪んでいる気がする。

 そして,臭いの元が、礼二郎の肩を抱いて瘴気じみた息を吐いた。

 

「ガッハッハッ! 《認識阻害》なんかしやがってッ、バカやろう、テメェ! 楽しんでるか、賢者殿!」

 

「グッ、く……」


 

 男は、大口を開けて笑っている。

 二メートルを超える、巌のような大男だった。

 礼二郎は、ギリギリのところで『臭ッ』の言葉を止めた。

 

 

「……賢者殿だなんて、勘弁してくださいよ、エバンスさん」

 

 

 この男の名はエバンス――この国随一の剣士であり、剣帝の称号を持つ人物である。

 

 広い会場で、隠密の魔法をかけ、()()()()()()()()()礼二郎を見つけるほどの実力者だ。

 腐ったドブのように口が臭いとはいえ、腐ってもこの国最高の戦士だった。

 


「んー? 相変わらず、能力値が微妙だな? 魔王を倒したってのに、こんなもんなのか?」

 


 知らぬ間に、礼二郎の能力値を《解析(アナライズ)》していた。

 口の臭い同様、変わらない魔法の腕前に、礼二郎は口呼吸で忙しい口内の舌を巻いた。

 


「戦果は頼りになる仲間のおかげです。僕なんてまだまだですから」

 

「過ぎた謙遜は嫌味だぞ? なぁに、おまえの強さ俺が一番よく知っとるわ。身をもってな。能力値通りじゃないこともわかっとる。ガッハッハッ」

 

 

 エバンスは、薄々ながら気付いていたのだ。

 鑑定ではわからない礼二郎の強さ――その力の秘密を。

 

 一流と呼ばれる男の観察眼は伊達ではない。


 ならば、どうして……。

 なぜ、その素晴らしい観察眼を自分へ向けないのか。向けてくれないのか。


 ぜひ気づいて欲しい。

 自分の口臭に。

 周囲の者の、命を削るほど優しい気遣いに。


 とはいえ、口臭以外、エバンスは、さすがだった。


 嫌味がないのだ。

 

 世界最強剣士の名を礼二郎に奪われて、早10年。

 にもかかわらず、礼二郎は嫉妬や妬みを一度として感じたことがない。


 これはすごいことだ。


 強さを求め、己を日々鍛え上げてきた男が、死ぬ思いで掴んだ栄光。

 それをぽっと出の礼二郎に奪われたのだ。

 普通ならば、顔を合わせることすら拒むだろう。


 なのにこうして、気さくに話しかけてくる。口臭を吹きかけてくる。


 口は臭いが、地位や名声に、まったく執着しない、臭い竹を割ったような(口臭)好男子である。

 礼二郎は(口臭を除けば)そんなエバンスのことが大好きだった。

 


「謙遜だなんて、そんな……」

 

「そんなことよりレイジ、お前〝あの方〟から〝印〟をもらったそうだな。――どれ、見せてみろ」


 

 エバンスが臭い息を吐きながら、礼二郎の右手を強引に掴んだ。


 

「ん? 魔術で隠してるのか? いいから見せろ、バカやろう」

 


 臭い息を吐くエバンスには、バレバレだった。

 礼二郎が呪文を唱えると、右手の甲に、青く美しい幾何学模様が浮かび上がった。

 ハァ、と目に染みるほど悪臭のため息を放ち、エバンスは目を丸くして、礼二郎は目を白黒させた。

 


「これがイライア様の魔術印か……。もしかして、おいでになられているのか? 今、この会場に?」

 


 エバンスが真面目腐った顔で、臭い息を吐いた。

 信じられないくらい臭かった。

 


「えぇ、来てます。でも当然〝認識阻害魔術〟をかけてますよ。なので誰も気づかないでしょうけど」

 


 礼二郎の額に汗が浮かぶ。

 エバンスは臭い息を吐きながら、顔を青くした。

 


「嘘だろ。全員石にされちまうじゃねぇか……」

 

「どうどうどう。落ち着いてください。大丈夫ですよ。この10年で、師匠も大分落ち着きましたから――ただし〝年齢関連の話題〟に触れなければ、ですけど」

 


 話しながら、礼二郎は額の汗を拭った。

 この汗は、エバンスの臭いとは無関係である。 


 このとき礼二郎は戦っていたのだ。

 誰と? それは〝エバンスの魔法障壁〟と、だ。

 こいつは強敵だった。一筋縄ではいかない代物だ。


 種明かしをすると、礼二郎は無詠唱回復魔法かけ続けている。

 エバンスが話しかけてきた瞬間から、ずっとだ。


 その目的は、治療をすること。

 恩師であるエバンスの、強力頑固で強烈苛烈な歯周病を、だ。


 普通に回復魔法をかければいいのではって?

 素人の発想だ、それは。


 こと、エバンスに関しては、回復魔法をかけただけではダメなのだ。


 なぜなら、エバンスには、とんでもなく強固な対魔法障壁があるからだ。

 その防御は凄まじく、最高位の回復魔法すら、なんなくはじいてしまうほどだ。


 ではどうするか?

 実は、魔法を弾いたときに、障壁は僅かに窪むのだ。

 そして元に戻るまで、少し間がある。

 そこに隙があるのだ。


 つまり、障壁の窪みが完全に戻る前に、次の回復魔法をかける。さらに次、さらに次……。

 すると、少しずつだが〝障壁の窪み〟が深くなり、やがていつかは障壁を突破して穴となる。

 

 これは、礼二郎が発見した裏技だ。


 攻撃魔法はこの裏技に使えない。

 攻撃属性を持つ魔術は障壁に触れた瞬間、相手に気付かれてしまうからだ。

 攻撃魔法とは、害をなす行為であり、その害意はどうしても誤魔化しようがないのだ。


 ならば、回復魔法は?

 治療属性を持つ魔術は、害をなす行為とは対局に位置する。

 つまり害意がない。

 害意がないから、センサーに反応しない。

 ゆえに、人知れず障壁を突破する手段となり得るのだ。


 言うは易し。

 この裏技には、高速無詠唱と、とんでもない魔力量が必要だ。

 常人にはまず不可能であろう。しかし、修行を終え、最強魔女の魔術印を授かった今ならば……。

 

 現時点で、打ち込んだ回復魔法は130発。

 障壁は残り半分だ。


 ぶっちゃけ、こんなまどろっこしい真似をせずとも、本人に言えば、魔法障壁を解除してくれる。


 ではなぜそうしないのか?

 それには理由がある。


 その理由とは――傷つきやすいのだ。

 この巨漢が、である。

 見た目とは裏腹に、驚くほど繊細なのが、この男――剣帝エバンスなのだ。


 なので『口が臭いのを治してあげます』なんて、言えるわけがない。


 そんなことを言おうものなら、エバンスの心は、帝国一の深さを誇るルーファン大渓谷がごとく深刻な傷を負うだろう。

 そして人知れず、山奥に二年は引きこもってしまうのだ。


 まるで、前髪を一ミリ切りすぎたからと登校拒否をする思春期な乙女のごとき男である。

 かといって、下手な嘘やごまかしは通用しないほど勘が鋭いってんだからタチが悪い。

 

 豪快に見えて、深く傷つきやすく、非常に繊細で、勘が異様に鋭い男。


 つまりひと言で言うと、エバンスは、とんでもなく面倒臭い男だった。


 その面倒な臭い男は、そわそわと周りを見渡している。

 礼二郎の苦労も知らず、暢気なものだ。

 


「イライア様に会っても、ともかく、年齢に関することを言わなければいいんだな? そうすれば命は助かるんだな?」

 

「ある盗賊は〝グヘヘ、少し年はいってるが、いい女じゃねぇか〟と言った瞬間、立派な石像になりました。そうならぬよう、どうかお気をつけください」

 

「そ、そうか。その盗賊も、悪気はなかったろうにな。しかし、イライア様の魔術印とは……。今やレイジは、剣だけじゃなく、魔法でも最強ってわけだ。もしかして、今なら龍神様にも勝てるんじゃないか?」

 


 エバンスが臭い口で、きな臭いことを言った。

 


「めったなこと言わないでください! あの方に聞こえでもしたら、すっ飛んで来ますよ!」

 

「勝てない、とは言わないんだな。――ふぅ、なんだか、遠い存在になっちまったなぁ」

 


 エバンスが臭い息で、水臭いことを言った。

 


「そんなこと……。どんなことがあろうとも、エバンスさんは、僕の尊敬する剣の師匠です。5年間の修行は僕の人生の宝物です」

 


 5年……そう、5年だ。

 礼二郎は、5年もの間、この口の臭い剣帝の指導を受けたのだった。


 160回目の回復魔法をかけながら、思い返す。

 辛く、楽しく、臭かった修業時代を……。


 とくに辛かったのは食事だった。

 どんなに美味しい料理も、エバンスと食卓を囲むと、ドブのような味になるのだ。

 かといって鼻をつまむと味がしないというジレンマ。


 ――くッ、あの頃に回復魔法が使えていたら。

 

 

「おいおい、自分より強い奴に師匠なんて呼ばれたら、ケツの穴がかゆくなっちまうぜ。まぁ、噂の賢者殿に慕われるのも悪い気分じゃないがな。ガッハッハ!」

 


 エバンスが少し目を潤ませ、豪快に笑った。

 少し目が潤んでいるのは、礼二郎と同じく修行時代を思い出しているからなのか。


 そして、臭いセリフに乗って、臭い唾液が礼二郎の顔に降り注ぐ。

 これはたまらんと、礼二郎は回復魔法を早めた。

 ちなみに周囲にいた人はとっくに逃げている。

 

 

(《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒール》……届け、届け、届け、届け、届け、届けぇッ)

 


 213回目の回復魔法をかけた、その時!

 ついにだ――ついに魔法障壁を抜けた。


 ――今だッ! くらえぃ!


(《最高位(エクストラ)治癒(・ヒール)》ッ)



 礼二郎は、最高の回復魔法を、渾身の魔力を持ってぶち込んだ。

 瞬間――エバンスの地獄じみた口臭が、フレグランスなスメルへと変化した。

 


(やったぞ……とうとうやった。僕はやり遂げたんだ)


 感無量。

 15年の悲願を達成した瞬間だった。

 まるで頑固な便秘を解消したOLのようにスッキリした礼二郎が、ニコリと笑みを浮かべた。

 


「エバンスさん、女性に声をかけないんですか? 綺麗な人がいっぱいいますよ?」

 

「いや……俺は、どうせ女から怖がられてんだ。声をかけてもみんな逃げちまうさ。――レイジも知ってるだろう?」

 


 エバンスが、辛気臭い顔をした。

 怖がられてるのではなくて、臭いんですよ、すごく、の言葉をグッと呑み込み、礼二郎はエバンスの肩に手を置いた。

 


「大丈夫ですよ。ほんの少し、特別なおまじないをかけときました。今ならよりどりみどりです。――僕を信じてくれませんか?」

 

「おまじないだって? そうか……レイジがそこまで言うなら……」

 


 よし、と気合いを入れると、エバンスが少し離れたテーブルへ歩いて行った。

 そして、震えながら、綺麗な女性に声をかけた。

 女性は振り返り、笑みを浮かべる。

 あら、エバンス様、光栄ですわ、とお辞儀をした。

 エバンスは、耳まで真っ赤にして、こっちこそ光栄っす、とズレた挨拶をすると照れ臭そうに笑った。

 それを見届けた礼二郎は、

 


(ここにいたら、邪魔臭くなりそうだな)



 そっと、その場を後に……と、忘れてた。

 

 エバンスの臭いのおかげで、無人となったテーブルに近づく。

 そしてほぼ手付かずのご馳走を、こころゆくまで堪能したのであった。

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