第17話 【ホーム・ビター・ホーム】
礼二郎は立ち尽くしていた。
目の前は、懐かしの我が家である。
兄弟三人で住むには、大きすぎるほどの一軒家だ。
15年ぶりに見ると、思ったより大きな家だった。
周りの家と比べるからだろうか?
台所の窓には、人影がチラチラと見える。
今は、午後7時30分ほど。
兄の源太が帰る時間ではない。
おそらく妹の加代だろう。
こういう場合、どうすればいいのだろう。
客観的に見ると、家出少年が持ち金尽きて帰ってきた構図だ。
実際には、異世界で15年も修行して魔王を倒したと来ている。
礼二郎は、一番大事であろう第一声を考えに考えた、その結果。
「フッ、わからん」
いくら考えてもわからなかった。
第一案……「ただいま。今日のご飯なに?」
第二案……「ここはどこ? 僕は誰? ご飯なに?」
第三案……「ただいま。ちょっと魔王倒してきた。ご飯なに?」
お察しの通り礼二郎はお腹が減っている。
それはともかく。
第一案は、ノリのいい家族なら通用するだろうが、あいにく礼二郎の大萩家はノリが悪い。最悪と言ってもいいだろう。
第二案は、なかなかいいかも知れない。どこまで覚えているかの設定――その見極めが肝心だな。しかし、この作戦を選ぶと、いつぼろが出るのかわからない状態で、今後ずっと過ごさねばならないのだ。なかなかに茨の道である。
第三案は、正直一番自信がある。なぜなら、礼二郎は魔法が使えるからだ。しかも、嘘ではないので気持ちも楽だ。
しかし、礼二郎は女神の言ったことが気になっていた。
『礼二郎が、際だった存在として世間一般に認識されると、魔王が誕生する』
あのインチキ女神は、そう言ったのだ。
たしかに説得力がある。
現時点で礼二郎は、たいした力を持っていない。
しかし、ある条件を満たすだけで、礼二郎は世界最強になってしまうのだ。
もしそれがテレビに流れよう物なら、即座に魔王誕生の条件がビンゴしてしまうだろう。
なので、極力目立たない方がいい。
兄の源太は大丈夫だろうが、中学2年の妹はまさに中二病ど真ん中である。
魔法なんて知ったら、ご近所、同級生はおろか、SNSに拡散、ネットで全世界へ配信するに違いない。
『うちの兄が、魔王討伐した件について』
掲示板にそう書こう物なら、アクセスがすごいことになるだろう。
他人事なら、礼二郎もアクセスするかもしれない。
なぜならおもしろそうだからだ。
なので、妹の前で能力は使えない。
15年の異世界生活で身についた、ついうっかり魔法を使う癖も直さないといかん。
(むむ、せっかくの能力が足かせにしかなっていないな)
こうなれば、物でご機嫌を取るか?
ポケットの中には、結構なお金が裸で入っている。
親切なお姉さんが、なんと1万円も貸してくれたのだ。
おかげで、タクシーに乗ることができた。
電車を使ってもよかったのだが、少しでも早く帰りたかったのだ。
まぁ、走ればもっと早いのだが。
『貸してあげる代わりに、絶対連絡をちょうだいッ。これ、わたしの番号だからッ。携帯を持たせてくれないっていうなら、お姉さんが契約してあげるわッ』
親切なお姉さん――佐々木春香さんは、そこまで言ってくれた。
日本って、そんな親切な国だっけ?
なんてことを考えていた、そのとき。
(む? 誰か、こちらへ向かってきてるな)
礼二郎は、懐かしい気配を感じた。
「え? 礼兄ぃ?」
買い物袋を下げた制服姿の妹――大萩加代だった。
礼二郎、実に15年ぶりの再会である。
「加代ッ」
礼二郎は懐かしさのあまりか、妹に抱きついた。
「ちょっッ。なに抱きついてんのッ。お金取るよッ」
妹の1ヶ月と礼二郎の15年――その体感差が生み出した温度差は顕著で残酷だった。
「す、すまん。つい懐かしくてな」
つまり、今家にいるのは兄の源太というわけだ。
仕事が早く終わったのだろうか?
いつも8時過ぎに帰宅していたはずだが。
「礼兄ぃ、だよね? じゃなかったら今の通報案件なんだけど」
「通報は必要ない。お前の兄、礼二郎本人だ。さぁ、その携帯から指を離すがいい」
「なんで、めがねかけてないの?」
「めがね? まぁ気にするな」
「なんでニキビが治ってるの?」
「それも気にするな」
「なんで天然パーマが治ってるの?」
「それも気にしちゃいかん」
「別人じゃんッ」
「別人にみえるかもしれんが、礼二郎なのだ。やめろッ。通話ボタンを押すんじゃないッ」
それから妹が納得するまで20分かかった。
思い出話をすれば一発なのだが、注意が必要だった。
大萩家では両親の話はタブーなのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「つまり、自分探しの旅に出て、無事自分を見つけて、ついでに天然パーマも治ったから帰ってきたわけ?」
「うむ、有り体に言うとそうだな。加代はなぜこんな時間に出歩いている?」
大嘘であった。
礼二郎はとっさに――
第四案『思春期暴走、自分探しツアー帰り』
――をひらめいたのだった。
「夕飯の買い出しだよ。自分探しか。まぁそう言う年頃なんだろうね。わたしのクラスでも家出して帰ってこない子がいるし」
「わかってくれたか?」
「うん。わたしはいいけど、源兄ぃにそれを言ったら、多分めちゃくちゃ怒られるよ?」
「仕方あるまい。多少の叱責は甘んじて受けよう」
「あのさぁ、そのオジサンみたいなしゃべりはなんなの? それが自分探しで見つけた新しいキャラ?」
「このしゃべりは多分治らない。すまんが慣れてくれ」
「まぁ、いいけどさぁ。でもいいなぁ。髪の毛サラサラじゃん」
大萩加代はそう言って、礼二郎の髪をサラサラと触った。
加代はくせ毛を気にして、毎朝何十分もかけて髪をまっすぐにしている。
ダンジョンに生える薬草を使えば、くせ毛はすぐに直せるのだ。
可能ならば、妹のために持って帰ってあげたかった。
「源兄ぃ、もうすぐ帰ってくるよ? 覚悟はいい?」
玄関の鍵を開けながら、妹が脅すような低い声をだした。
「覚悟はしてい……え? まだ帰ってないのか? じゃあ家にいるのは」
「ただいまーッ」
妹・加代が大きな声を出す。
リビングに続くドアの奥から、パタパタとスリッパの音が聞こえた。
「加代ちゃん、おかえりな……え? れ、レイ? レイなの?」
「こず枝? 菊水こず枝か? どうして僕の家に」
「こず枝さんは、礼兄ぃがいなくなってから毎日来てくれてるんだよ?」
礼二郎の家の中にいたエプロン姿の女性は、〝菊水こず枝〟だった。
こず枝は礼二郎の幼なじみで、同級生で、そして初恋の女性である。