第125話 『こず枝のクラブ活動』
薄暗い店内。
大音量で音楽が鳴り響く。
広いフロアで、大勢の若者が狂ったように踊っている。
こず枝は、バーカウンターの椅子に腰掛け、目の前のグラスを見つめていた。
身動きひとつせず。
無表情で。
ここはクラブという場所らしい。
映画やドラマでは見たことあった。
実際に来たのは初めてだった。
まさか、自分の人生で、こんな場所へ来ることになるとは。
「これもクラブ活動って言うのかしら?」
独り言をつぶやく。
すると誰かが隣に座り、話しかけてきた。
「なぁお姉さん、最近よく見かけるね?」
もう何人目だろうか。
面倒なので、いちいち数えていない。
こず枝は目もくれず、今までと同じく無視を決め込む。
「なぁ、そんなつれない態度取るなよ。で、何飲んでんの?」
こず枝のグラスを奪い、男が勝手に口をつける。
「おいおい、なんだよ、これ。ただのジュースじゃねぇか。――マスター! カルアミルクをこの子に!」
「かしこまりました」
マスターと呼ばれる男性が応える。
手際良く二つの液体を合わせ、混ぜていく。
「どうぞ」
出来上がった茶色い液体の入ったグラスが、こず枝の置かれる。
「とりあえず乾杯しようぜ!」
男が酒の代金を支払うと、自分のグラスを、こず枝に近づけた。
こず枝は無視して、マスターに声をかける。
「オレンジジュースをお願い。あと、これは下げてもらえるかしら?」
男が口をつけたジュースと、男が頼んだ酒を前に押し出した。
「おうコラ……人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって」
一変、男がどすの利いた声を出した。
ハァ……。
こず枝はため息を吐いて、男の方へ体を向けた。
胸元を大きく開けたシャツに、金のネックレス。
汚い茶髪に、サングラスを頭にかけたチャラい男だった。
今まで散々女遊びをしてきたのだろう。
女は自分に従って当然。
そんな空気を、全面に押し出している。
一言でいうと、ムカつく男だ。
ちっ。
思わず舌打ちが出るほど腹が立った。
「飲みたいのなら、自分で飲みなさい」
こず枝は奢られた酒を、男の顔にぶちまけた。
「テメェ!」
瞬間、男が立ち上がって、こず枝に手を伸ばす。
だが、その手がこず枝に触れることはなかった。
「アチシの連れに、文句でもあるのかにゃ?」
男の手を掴んだのは、猫娘シャリーだった。
「邪魔しないでよ、シャリー」
「にゃはは、邪魔しなかったら、こいつを殺してたんじゃないかにゃ?」
シャリーが男の首を掴んで持ち上げた。
男の足が宙に浮く。
「命が惜しかったら、さっさと消えるにゃ」
男を無造作に放り投げた。
2メートルほど飛んだ男は、地面に倒れ込む。
「ひぃ!」
こちらを見ることなく、慌てて逃げていった。
日常茶飯事なのか、周囲の人間が騒ぎ立てることはない。
それとも、シャリーの持つ〝イライアの護符〟による認識阻害の効果だろうか。
「別に殺しやしないわよ」
ただし、二、三発ぶん殴ってやろうかとは思っていた。
新しくきたオレンジジュースの代金を払う。
「それはどうかにゃ?」
シャリーが隣に腰を下ろすと、マスターに牛乳を注文した。
「まだ落ち込んでるにゃ?」
「まぁね……」
こず枝は素直に答えた。
確かに落ち込んでいた。
それも、未だかつてないほどに。
「こず枝の父親が新しい家庭を持つのが、そんなにショックなのかにゃ?」
牛乳をペロペロと舐めながら猫娘が言った。
相変わらず歯に衣着せぬ発言だ。
だがその通りだった。
∮
数日前、こず枝は別の県に単身赴任している父の元を訪ねた。
爆音を奏でる改造車に乗ってだ。
あまりにうるさいので、少し離れた場所に停めてもらった。
少し歩いて、父のマンションの前に立った。
一人で住むにしては立派なマンションだった。
無駄に部屋が多いと、掃除が大変だろうに。
エントランスに入る鍵は持っている。
事前に連絡はしていない。
だって家族なんだから。
エレベーターを降りて、父の住む部屋の前に立つ。
突然現れて、どんな反応をするだろうか。
どうせ掃除もままならない生活だろう。
何日か泊まって、大掃除をしてあげよう。
父の驚く顔を想像しながら、こず枝は呼び鈴を鳴らした。
すぐに開く扉。
そして、久しぶりに会う父の姿。
「こ、こず枝……どうして、ここに……」
固まる父。
驚いた顔をしている。
だがそれはこず枝の想像していた顔ではなかった。
父の後ろには寝巻きを着た若い女性が立っていた。
女性は、こず枝のことを、父の娘だとわかったのだろう。
こず枝を見て、顔を青くしている。
あまりの事態に、こず枝も言葉を失った。
母と離婚して、もう6年。
父に恋人がいてもおかしくない。
それは仕方のないことだ。
こず枝がショックを受けたのは、玄関にある靴を見たからだった。
サイズからして、おそらく未就学児の靴。
それが数足。
「こず枝、違うんだ! この人は……」
父は言い訳をつらつらと並び立てた。
女性は、会社の部下であること。
真剣にお付き合いをしていること。
女性の境遇が、決して恵まれたものではないこと。
などなど。
「玄関じゃ何だし、上がってもらったら?」
平静を取り戻した女が言った。
その口調は、なぜだか、勝ち誇っているようだった。
笑みをたたえているが、こず枝を見るその視線は、敵を見るそれだった。
そう。
この家では、女が居住者で、こず枝はただの客なのだ。
それも、招かれざる客だ。
「突然来て、ごめんなさい……わたし、帰ります」
こず枝は逃げるように、その場を後にした。
温かい家族。
いつも誰かのいる、明るい家。
こず枝の求めるものが、そこにはあった。
ただし、こず枝はその一員ではなかった。
その場所で、こず枝は、ただの不穏分子だった。
家族の平穏を乱す者だった。
逃げ出したこず枝を、父は追ってはこなかった。
父は、新しい家族と共にいることを選んだのだ。
今頃、女もほっと胸を撫で下ろしていることだろう。
ほくそ笑んでいるのかもしれない。
この男は私の物よ、と。
∮
携帯が光った。
店内の音楽で気づかなかったが、着信があったらしい。
この数時間で3件。
すべて父からだ。
猫娘がめざとく携帯画面を見て、言った。
「かけ直さなくていいのかにゃ?」
「いいのよ。どうせ分かりきったことしか言わないんだから」
折り返してかけ直すことはしない。
何十件も溜まった言い訳だらけであろうメールは、開いてすらいない。
「で、何か話でもあるわけ? ないなら放っといてほしいんだけど」
「そんなにそっけない態度を取らないでほしいにゃ。アチシは、こず枝にプレゼントを渡したいだけなのにゃ」
シャリーがテーブルの上に小瓶をひとつ置いた。
コルクの様な栓がしてあり、中は赤い液体で満たされている。
「何……これ?」
こず枝が小瓶を手に取った。
真っ赤な液体は、うっすらと光を放っている。
思わず吸い込まれるような美しさだ。
「こず枝のレベルを上げる話は、覚えてるにゃ?」
「そりゃ覚えてるわよ」
数日前、三学期の終業式の日の夜に、シャリーが言ったことだ。
どんなに聞いても詳細は教えてくれなかったっけ。
「それを可能にするのが、この秘薬なのにゃ」
「これを飲めばレベルが上がるっていうの? でもあの時〝まだ条件を満たしていない〟って言ってなかったっけ?」
「こず枝はガッカリしてるにゃ? 自分をゴミみたいに簡単に捨てた親に」
ゴミみたい、か。
たしかにその通りだわ。
簡単になかったことにできない分、ゴミより始末に負えないけどね。
「何よ、急に」
「いいから答えるにゃ」
「……ガッカリどころじゃないわ。あの人たちにとって、わたしは邪魔者でしかなかったんだもの」
「そう思うのも仕方ないことにゃ。なんていったって、こず枝の親たちは、こず枝より新しい家族を選んだんにゃからにゃ。まったく、薄情な連中にゃ。アチシだったら許せないにゃ。でも人間なんてそんなものなのにゃ」
許せない、か。
たしかにその通りだわ。
女の人だけならまだしも、子供までいるだなんて。
そんなことされたら、わたしの場所なんてどこにもないじゃない。
「……そうね……勝手に産んでおいて、自分勝手に捨てた相手になんて、愛情なんか枯れ果てちゃったわ」
「それでいいのにゃ」
「は? あんたケンカ売ってるの? ぜんぜん良くないわよ」
ギロリと猫娘を睨みつける。
その視線を平然と受け止めて、猫は言った。
「龍神様の加護持ちとケンカ? にゃはは、それはご遠慮願いたいにゃ」
「じゃあ何が言いたいのよ?」
「まぁ落ち着くにゃ。つまり、今のこず枝は、条件を満たしているのにゃ。これは喜んでいいことなのにゃ」
「だから何なのよ、その条件って」
こず枝の質問に、シャリーがニヤリと笑った。
いつも通り、人懐っこい笑顔だ。
なのに、なぜだか背筋がゾワっとした。
そしてシャリーは言った。
「この薬が効力を発揮する条件は――〝人間に絶望すること〟なのにゃ」




