第123話 『こず枝の家族』
ポータルゲートを潜ると、そこはこず枝の部屋であった。
「う……」
足元がふらつく。
転移魔法を使うといつもこうだ。
この感覚はどうにも慣れない。
ゲートが消えると、こず枝はベッドに腰掛けた。
ふと顔を上げる。
洋服ダンスの少し上の壁に、焦げ付いた穴が空いている。
以前、こず枝が炎魔法で開けた穴である。
ポスターか何かで隠そうとも思ったが、そのままにしてある。
どうせ誰も来やしない。
穴のすぐ下には、写真が飾ってある。
小さな頃のこず枝の写真だ。
写真の中で、こず枝よりさらに小さな女の子と、少し年長の少年が笑っている。
ご近所に住む、大萩加代と大萩源太だ。
二人は兄妹で、ご両親はすでに他界している。
交通事故だった。
大萩兄弟は、両親に会おうと思っても会えないのだ。
「いいなぁ」
こず枝はつぶやいた。
不謹慎にも、大萩兄妹が少し羨ましいと思ってしまった。
「死んでしまった人には、いい思い出が、そのまんまだもんね」
もちろん、こんなことは誰にも言わない。
いや、言ってはいけない。
なぜなら、大萩兄妹の両親を殺したのは、こず枝の両親なのだから。
事故以来、こず枝の両親は毎日のように喧嘩をしていた。
こず枝は、子供ながらに、そんな両親を醜いと思っていた。
お互いに責任をなすりつけあってるだけだろうと。
「喧嘩しても、加代ちゃんのお父さんやお母さんが戻ってくるわけじゃないのにね。バカみたい」
こず枝は独りごちた。
結局こず枝の母は、そんな毎日に嫌気がさしたのか、家を出て行った。
こず枝を置いて。
高校生になった今なら、母は経済的事情などで、仕方なくこず枝を手放したのかもと、一応の納得ができる。
だが、小さなこず枝には、それがわからなかった。
直視し難い現実。
それを誤魔化す手段を、持ち合わせていなかった。
だから思った。
お母さんはわたしを捨てたんだ、と。
小さなこず枝は、しばらくの間、ずっと泣き暮らしていた。
幸いにして、こず枝の父は大手商社に勤めており、金銭的な苦労はしなかった。
忙しい父の代わり、出て行った母の代わりを、金で雇った家政婦が担った。
さすがプロだけあって、家政婦の仕事は完璧だった。
行き届いた掃除に、美味しい食事。
中には、こず枝の勉強を見てくれる人もいた。
だが、こず枝は家政婦が嫌いだった。
その人が嫌いってわけじゃない。
思い出の中の母親が、他人に侵食されているようで、不快だった。
キッチンを、寝室を、お風呂を、玄関さえ、他人に触れて欲しくなかった。
だからこず枝は勉強した。
掃除を、洗濯を、料理を。
中学2年になる頃には、一通りの家事ができるようになった。
その頃から、家政婦は来ていない。
父親は、そんなこず枝を褒めてくれた。
「これだけ家事ができるなら、いつでもお嫁さんに行けるな」
嬉しかった。
ようやく家族水入らずの生活ができる。
そう思った。
だが、違った。
手のかからなくなったこず枝に安心したのか、
父親は今まで以上に、仕事に打ち込むようになったのだ。
その頃から、こず枝は夕食を一人で食べることが多くなった。
父親に用意した食事は、次の日にはなくなっていたので、食べてはくれたのだろう。
それでもよかった。
朝食を二人で食べることができたのだから。
こず枝を捨てないでいてくれるのだから。
そして高校に入学して数ヶ月が経った頃。
父親の転勤が決まった。
ずっと入りたかった高校に入学して、ようやく新しい生活に慣れてきた頃だった。
「父さんについて来るか、ここで一人暮らしをするか――こず枝が選びなさい」
父はそう言った。
せっかく入った高校だけど、父を一人にするわけにはいかない。
こず枝は、ついて行くことを伝えようとした。
だが父の言葉が、それを拒んだ。
「でも、こず枝なら一人でも大丈夫だな」
ついて来るな。
こず枝には、父の言葉がそう聞こえた。
だが、真意を問いただすことは出来なかった。
もし本当に来て欲しくないのだとしたら……。
こず枝は捨てられたことになるのだから。
母にも父にも。
「そうね。わたしは残るわ。だからお父さんは安心してお仕事頑張って」
こず枝はそう答えた。
その時の笑顔は強張っていたのだと思う。
鈍感な父は気付いてなかっただろうけど。
……いや、気付いてたのかも。
その上で、気づかない振りをしたのかも。
それからはずっと一人で暮らしている。
最初のうちは、月に何度も父は顔を出してきた。
忙しい仕事の合間を縫って。
父が来るたびに、愛されているのを実感して、うれしかった。
だが年を追うごとに、その頻度は減り、今では正月すら顔を見せにこなくなった。
忙しいからと。
こず枝は立ち上がり、勉強机へ向かう。
一番下の引き出しを開け、手紙の束を取り出す。
それは父と母、それぞれから来た年賀状だった。
そのうちの一枚ずつを抜き出して、残りを引き出しに戻した。
手紙にはプリントされた新年の挨拶の定型文と、一言だけの手書きの文がある。
勉強頑張っているか? と父。
元気にしてますか? と母。
たったそれだけ。
こず枝が親から受け取る言葉は、それだけだった。
もしかしたら、その一言すら、めんどくさく思っていたのかも……。
どんどん不安が大きくなっていく。
ブンブンと首を振り、不吉な気持ちを追い払った。
こず枝は龍神の言葉を思い出す。
『親は無条件で子供を愛すると聞いておる。一度会いに行ってみてはどうだ?』
こず枝はその言葉を信じてみることにした。
何しろ、神様の言葉なのだ。
「会いに行こう。そして確かめるんだ」
こず枝のことを愛しているのか。
こず枝を捨てたことを後悔しているのか。
今まで逃げてきた問題に終止符を打つ。
今は時刻19時15分。
まだ間に合う。
こず枝は部屋を出た。
歩きながら、携帯を操作して調べた。
「この近くだと、どのタクシー会社かしら……ん?」
こず枝が足を止めた。
一階から音がしたのだ。
いや、確かに音がしている。
これはテレビの音だ。
「もしかして……お父さん?」
こず枝は走った。
我知らず、顔がほころぶ。
こず枝の孤独を感じて、帰ってきてくれたのか。
お前は一人じゃないよ。
愛してるよ、
そう言いに帰ってきてくれたんだ。
急いで階段を降り、リビングのドアを開けた。
だが、そこにいたのは、父ではなかった。
「……ここで何してるのよ、シャリー」
ソファーに腰を下ろして、テレビを見ながら、大量の菓子を食べていたのは、異世界からの客人――猫の獣人、シャリー=シャリフ――だった。
「にゃははは、勝手にお邪魔してるにゃん」




