第122話 『こず枝と龍神』
ひとしきり泣いた後、ようやくこず枝は腰を上げた。
ふと下駄箱の上に目をやる。
そこには花が生けられていた。
図鑑にも載っていない不思議な花だ。
こず枝はこの花が大好きだ。
なんといったって、この家にいるのは、こず枝と、この花だけなのだ。
この感情は、寂しさをペットで癒すみたいなものだろうか。
あれ?
この花っていつからここにあるんだっけ?
誰かから、もらったような……。
……ま、いいか。
散々泣いたからなのか、こず枝はスッキリした気分になっていた。
2階に上がり、自室へ入ると制服のスカートを脱いだ。
明日から春休みだ。
当分この制服を着ることはない。
明朝にでも、クリーニングに出すとしよう。
制服の上着を脱ぐ時、
「あ……」
ネックレスが外れて床に落ちた。
慌てて、それを拾う。
赤い宝石――『龍神の逆鱗』――のネックレスだ。
龍神サンダルパス=アルシェラからもらった、こず枝の宝物だ。
これを持っていると、龍神の恩恵があるらしい。
話によると、この宝石を身につけたこず枝が怒ると、特大の雷が落ちるそうだ。
それも、しゃれにならない規模の雷だ。
その話は眉唾ではない。
異世界組の面々(イライア以外)の怯え方からして、本当のことなのだ。
そんな有難いような恐ろしいようなペンダントを、大事そうに身につける。
服は動きやすいものを選んだ。
カバンから、お札のような金属片を取り出して、ズボンのポケットにしまった。
『イライアの護符』である。
これまた貴重な品だ。
なんと、身につけているだけで、外国語も理解できてしまうのだ。
しかも寒い冬でも、暑い夏でも、快適になる効果も付いている。
イライアから買ったら500万円(※知り合い価格で)らしい。
これがオークションに出たら、10億でも買う人がいるだろうな。
って、インチキだと思って、誰も入札しないか。
そんなチートアイテムを、こず枝は無料で手にすることができた。
龍神のおかげである。
「あとは、と」
携帯電話とお財布を、薄手のコートのポケットに突っ込んだ。
「うーん、今日は何を持って行こうかしら? この前はハンバーガーだったし……」
コートを羽織りながら、ブツブツと呟く。
あーでもない、こーでもない、とウンウン頭を捻った。
すると急にパッと明るい表情になり、叫んだ。
「そうだわ! あれなら!」
まるで世紀の大発明を思いついたかのようにポンと手を叩き、こず枝は部屋を飛び出した。
∮
1キロ平方はある広い空間の中央に、豪奢なテーブルがポツンと置いてあった。
卓上には、プラスチックのパックが大量に乗っている。
寂しい場所だ。
そこに腰を下ろす人物が二人。
そのうちの一人が、大きな声を上げた。
「うまい! これはなんという食べ物なのだ!……ホフホフ」
10歳ほどの少女だ。
黒目に金の瞳を爛々と輝かせている。
美しい少女であった。
金色の光り輝く長髪。
額には、エメラルド色の美しい宝石がはめ込まれている。
その少女が、夢中になって何かを頬張っている。
「おいしいでしょ、アルシェさん。これは『たこ焼き』って言うのよ?……ホフホフ」
たこ焼き――ある府民のソウルフードである。
こず枝も、一つ頬張った。
びっくりするほど美味しかった。
元親友達と喧嘩して以来、ご飯を美味しいと思うことはなかったのに。
いや。
その前からずっと、ご飯に味なんてしなかったような……。
いつからだっけ?
最近、どうも記憶が曖昧になっている。
「〝たこやき〟か! 覚えたぞ! この前の〝はんばぁがぁ〟も美味かったが、これも負けず劣らずだな! ……ホフホフ」
少女――龍神サンダルパス=アルシェラ――は次々と、たこ焼きのパックを空にしていく。
それを見て、こず枝の心は、昔の幸せな頃に(ほんの少しだけ)戻った気がした。
幸せな頃……。
そんな時間が、わたしにあっただろうか。
――わからない。
あったとしたら、それはいつのことだろうか。
――わからない。
親友がいた頃だろうか。
――わからない。
それとも、家族が揃って笑っていた頃だろうか。
――わからない。わからない。わからない。わからない……。
「こず枝! いったいどうしたのだ!」
龍神アルシェの声で、ハッと我に帰る。
気がつくと、こず枝は涙を流していた。
∮
「こず枝や、気分は落ち着いたか?」
「ありがとう、アルシェさん。もう大丈夫よ」
こず枝は、龍神の頭を撫でた。
神に等しい少女はこず枝を見上げ、その歯には、青のりが大量についている。
かなりお間抜けな感じなのだが、かわいいので、あえて指摘はしない。
状況を説明すると、金髪の美少女は、こず枝の膝の上に頭を乗せている。
いわゆる膝枕である。
異世界組が見たら、なんて言うだろう。
なんと恐れ多いと卒倒するかもしれない。
恐らくそれに近い反応を示すだろう。
こんなに優しい人なのに、いったいなぜなのか?
セレス達がそんなにも龍神を恐れる理由が、こず枝にはわからない。
二人がいるのは、フッカフカのソファーの上だ。
少し前、今まであったテーブルは消え失せ、突如ソファーセットが現れたのだ。
これは、錬成術というらしい。
レベルが上がれば、わたしにもできるようになるのかな?
「何か悩みがあるのか? 誰かを殺したい奴がいるのなら我が……」
「ううん、違うの。ただ寂しいなって」
「寂しい? そなたの仲間は地上に腐るほどいるではないか。それなのに何が寂しいのだ?」
「どうしてだろうね。わかんないや。ねぇ、アルシェさんは寂しくないの? こんな場所にずっと一人で」
「ふむ、我が寂しいかどうか、か。そんなことなど、ついぞ考えたこともなかったな。というのも、こず枝には言ってなかったが、我には呪いが掛かっておるのだ」
「呪い?」
「生きとし生けるものに恐れられる呪いだ。なので我は迂闊に、ここを出るわけにはいかんのだ」
なるほど。
通りで異世界組が恐れ慄くわけだ。
龍神がこの世界に来てニュースになった時も、阿鼻叫喚だったし。
あれ? でも、それなら……。
「あの、アルシェさん? わたしはアルシェさんのこと、ぜんぜん怖くないんだけど?」
「たまにいるのだ。呪いの効かぬ輩がな。こず枝もそうなのであろう。だからこそ、こうやって我が甘えることができるのだ」
そういってこず枝のお腹に顔を埋めた。
ぐりぐりと押し付けられて、こしょばゆい。
「わたし以外にもいたの? 呪いの効かない人が」
「この二千年で三人だな。もちろん我が友イライア=ラモーテは別だが」
「え? たったの……三人?」
「うむ。そやつらは全員が我に戦いを挑んできおった。もちろん漏れなく返り討ちにしてやったぞ、ワハハハ!」
「そんな……」
ここへ来て、ようやくこず枝は気づいた。
この愛らしい人物が、二千年もの永きに渡って過ごしてきた、孤独の刻を。
だからか。
だから龍神は、こず枝にこんなにも心を開いたのだ。
こんなにも心を許したのだ。
「こず枝!? どうしたのだ!?」
龍神が頭を上げて、こず枝の横に座った。
こず枝は両手で顔を覆っている。
見られたくなかったのだ。
涙でクシャクシャな顔を。
甘ったれた情けない顔を。
「こ、こず枝や、どうか泣かないでおくれ。呪いのせいで、我は地上に出ることは叶わんのだ。だからこず枝の寂しさを癒すことが、我にはできぬ……」
「違うの……違うの……」
こず枝は己を恥じた。
目の前の少女は、こず枝なんかよりずっと辛い思いをしている。
圧倒的な孤独の中にいるのだ。
出会う人みなから恐れられ、避けられて。
誰とも会わないようにダンジョンの奥にずっと一人で、二千年も……。
それに比べて、自分はなんだ。
友達から裏切られたってだけだ。
地上に出れば普通に人と会えて、会話もできる。
作ろうと思えば友達だって作れる。
なのに、なんて甘えているのだ、わたしは。
そう気づいてしまった今。もう龍神に相談なんかできっこなかった。
恥ずかしくって、顔向けできない。
そんなこず枝に、龍神は焦ったように言った。
「そ、そうだ! 汝の親はまだ生きているのであろう? 親は無条件で子供を愛すると聞いておる。一度会いに行ってみてはどうだ?」




