第121話 『こず枝の拒絶』
「体育以外、パーフェクトだ。よく頑張ったな、菊水!」
担任の中年教師が、嬉しそうに言った。
その手には紙が一枚。
成績表だ。
こず枝がそれを受け取る。
クラスがどよめいている。
だが、当のこず枝本人は無表情だ。
何も言わずに席へ戻る。
チラチラと視線を感じる。
思わず舌打ちしそうになる。
ただただ鬱陶しい。
今までなら、西原桃子、小野寺理佐、黒井雪子が駆け寄ってきただろう。
すごいわね!
すごいじゃん!
まぁ結構やるジャン。でも体育は負けてないからネ!
そう言って、肩を叩いてきた。
だが今は違う。
彼女等とは、一言も口を聞いていない。
RINEも、すべて無視。
例の昼食からだ。
あの日以降、
あちらから話しかけてきても、こず枝はそっけない返事しかしなかった。
それでも最初は、ことあるごとに声をかけてきた。
だが、こず枝は決して態度を変えなかった。
すると次第に、声をかけてくる頻度が減った。
今や、目を合わすこともない。
当然、昼食も別々だ。
ずっと、いやいやながら付き合ってもらっていたのだ(別に頼んでないけど)。
つまり、今のこの状態は、彼女等が望んだ結果だと言える。
そうだ。
こず枝は彼女等のために、身を引いてあげたのだ。
∮
三学期の終業式も終わりを迎えた。
各々が帰り支度を始める。
こず枝も机の中身を整理していた。
すると、後ろから声がした。
「あの……ずえ?」
こず枝のことを〝ずえ〟と呼ぶのは一人しかいない。
ゆっくりと振り返った。
思った通りだ。
痩せっぽっちのノッポ――小野寺理佐だった。
「……なに?」
すぐに首を戻す。
拒絶の背を向けたまま、そっけなく返事をした。
「うちら、春休みさ、旅行にいこうって話してるんだよね。それで、あの……よかったら、ずえも……」
「悪いんだけど!」
バン、
こず枝は手に持った教科書を机に叩きつけて、振り返った。
元親友の顔を睨みつける。
小野寺理佐は泣きそうだった。
きっと勇気を振り絞って声をかけてきたのだろう。
こういったことは、いつも小野寺の役だ。
小野寺理佐は4人姉弟の長女だ。
だからなのか、頼り甲斐があって、こず枝はそんな彼女を尊敬していた。
過去の話だ。
今は、どうでもいい。
少し離れた場所では、西原桃子と黒井雪子が、おっかなびっくり、こちらの様子を伺っている。
申し訳なさそうな、祈るような表情だ。
こんな顔をした二人は、見たことがなかった。
いつも笑顔を絶やさない二人なのに。
そんな顔にさせたのは、他の誰でもない。
こず枝なのだ。
ズキンと心が疼く。
だが、それ以上に胸がムカついた。
「あんた達と馴れ合う気はないから。行くなら三人で行けば? 邪魔者のいない仲良しだけの旅行は、さぞ楽しいでしょうよ!」
心にもない言葉。
こう言えば相手が傷つくだろう、って言葉。
それを、ハッキリと、こず枝は言い放ってしまった。
もう取り返しはつかない。
思わず泣きそうになる。
だがスッキリした自分もいる。
そんなチグハグな心が痛い。
小野寺理佐は顔をクシャクシャにして、小さな声で言った。
「そっか……。ごめんね、ずえ」
小野寺は、肩を落として友達の元へと帰っていった。
あんなに落ち込む彼女を見るのは初めてだ。
こず枝の言葉は、予想通りの、いや、それ以上の効果を発揮したようだ。
無意識に手を伸ばしそうになる。
しかし我慢した。
もしかしたら、落ち込んだ演技かもしれない。
わたしを騙して、また陰で笑おうとでも言うのか。
もう騙されるものか。
強がってみても、ズキズキと心が痛んだ。
こず枝はカバンに教科書を詰め終えた。
教室前方の出口へ向かう。
教室を出るとき、一度だけ振り返った。
教室の後ろで、小野寺理佐が泣いていた。
泣いている理佐を、他の二人が慰めていた。
まさか、あの小野寺が泣くなんて……。
ズキズキと胸の痛みが増していく。
ガラガラガラ、ガシャ!
乱暴に引き戸を開けると、こず枝は早足に教室を出ていった。
ムカつく。
おどおどと話しかけてきた、小野寺の顔を思い出した。
ムカつく、ムカつく。
こず枝に拒絶されて泣いている、小野寺の姿を思い出した。
ムカつく、ムカつく、ムカつく。
それを慰める西原と黒井の姿も、最高に腹が立った。
いまさらなによ!
わたしを拒絶したのは、あんた達じゃない!
それなのに、なんでわたしを悪者にしようとしてんのよ!
ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく!
なによりムカつくのは、小野寺理佐に声をかけられて、嬉しかった自分自身だった。
もっと引き止めてよ!
無理矢理でも旅行に誘ってよ!
どうして簡単に引き下がるのよ!
未練たらたらで、卑屈で、理不尽だった。
そんな自分が嫌になる。
腹が立って、腹が立って仕方がなかった。
自分にも、みんなにも。
感情が抑えられない。
歩きながら、こず枝は涙を堪えていた。
泣いたら負けだ、と我慢した。
だが、学校を出た瞬間、
ポロリと、涙が溢れた。
そこからは止まらなかった。
ぼたぼたと涙を流しながら、こず枝は歩いた。
周りのギョッとした視線が痛い。
でもこず枝の心は、もっともっと痛かった。
去年の夏休みに、四人でプールや遊園地に行ったことを思い出す。
お腹が捩れるほど、みんなで笑い合った。
安いテイクアウトを、みんなで分け合って食べた。
誰々が誰々を好きだの、みんなでくだらない話をたくさんした。
あの時、あの時も、あの時も、あの時も。
ずっとずっと、こず枝は気を使われていたのだ。
楽しそうなフリをして、こず枝を騙していたんだ。
そう思うと、やるせない気持ちで、心が砕け散りそうになる。
家に着き、玄関のドアを開けて家に入る。
ドアが閉まると、こず枝は膝を折った。
自らの身体を力一杯抱きしめる。
そうして心がバラバラになるのを、必死に押さえつけた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
こず枝は叫んだ。
胸の痛みを絞り出すように叫んだ。
もう我慢しなくていい。
声も、涙も。
ここには誰もいないのだから。
誰もこず枝のことなど、気にしないのだから。
こず枝は気が済むまで泣いた。
大好きだった友達は、もうどこにもいない。
いや、そんなものは、最初からいなかったのだ。
ブクマ……




