第113話 【たったひとつの策】
「ここは……」
目覚めた礼二郎は、周囲に目をやった。
見覚えのある部屋――イライアの部屋だ。
だが全体的に色合いが薄く、灰色がかっている。
「目が覚めたか、礼二郎」
言って現れたのは、イライアだ。
「師匠……ここは……」
言いかけて礼二郎は思い出した。
――加代は……どうなった!?
「師匠! 加代は! 加代はどこですか!」
「落ち着くが良い、加代なら無事じゃよ。相変わらず意識は戻っておらぬが、お主が気を失った途端に苦しそうな表情が和らぎよった」
「そ、それでどこに! 今、加代は、どこにいるんですか!」
「だから落ち着けと言うておる。ここは別位相世界じゃ。加代は元の世界ゆえ、会うことはかなわん」
「別位相世界……」
別位相世界とは、イライアの空間魔術を応用して作った、現実に似た世界である。
そういえば礼二郎も何度か連れてきて貰ったことはあった。
そのときは洞窟だったので、今と大分感じが違う。
だから気づかなかったのだ。
別位相空間は、元の世界と『情報』が断絶している。
つまり今の状況には最適と言えよう。
「師匠、ありがとうございます……」
「礼はよい。それよりも何があった? なぜ加代はあんなことになったのじゃ?」
「それは……」
礼二郎は包み隠さずにすべてを話した。
神器のこと。
ヒーロー活動のこと。
奇蹟ポイントのこと。
礼二郎が女神ファシェルに願ったことを。
女神ファシェルの叶えたことを。
そして、礼二郎と加代が子供の頃、事故に遭ったことを。
すべてを話し終えると、イライアは少し顔を顰めただけで、すぐにいつもの表情に戻った。
決してイライアが薄情なわけではない。
切迫した状況になればなるだけ、冷静さが必要だと、イライアは知っているのだ。
「……なるほどのう。やっと全てが繋がったわい」
「隠すようなマネをして申し訳ありません……」
「よい。事情が事情じゃ。それに加代のことは、お主も忘れておったのじゃから仕方あるまい。――さて、これからどうすればよいやら」
「僕がここにいる限り、加代の症状は悪化しないでしょうか?」
「すでに世界は認識を変えてしまったからのう。残念じゃが……」
「なら、僕が死ねば加代は……」
「たわけ! お主が死んでも世界が認識したという事実は変わらぬわ! 簡単に諦めるでない! それでもワシの弟子か!」
「すみません……」
「そのKPとやらを使って、こう願ってみよ。『加代の身体を健康にするように』と」
「は、はい。――《ステータス・オープン》」
礼二郎がイライアの言った通りに願うと、文字が現れた。
【大萩加代の障害治療】――20590KP(※ただし時間が経過するごとに必要KPは増加する)
「なんだよ、これ……」
「何と書いてあるのじゃ?」
「はい……ここには……」
礼二郎は見たままを説明した。
「ふむ、やはりのう……」
「何かわかったのですか?」
「うむ、世界が戻るにつれて、修正に要するエネルギーが――つまり使用する奇蹟の総量が大きくなっておるのじゃよ」
「加代の身体が以前の状態に近づけばそれだけ、ということでしょうか?」
「そうじゃ」
「いっそこのまま僕がここから出なければ……」
「この空間とて、時間の流れから切り離されているわけではない。ゆっくりじゃが、時は進んでおる。そのKPとやらは、今どうなっておる?」
言われて礼二郎はもう一度ステータスウィンドウの文字を読んだ。
すると……
【大萩加代の障害治療】――20591KP(※時間が経過するごとに必要KPは増加する)
先ほど20590だった数値が増えている。
「――師匠! ふ、増えています! 必要KPが、さっきよりも!」
「そうか……。つまり以前の状態に戻り続けているということじゃ。加代の身体が、今この瞬間もな」
「そんな……。それじゃ、もう……」
たった500KPを貯めるのに、礼二郎は2ヶ月かかったのだ。
恐らく、この空間を出ると、加代の治療に必要なKPは爆発的に増加する。
それはすなわち、加代の症状が悪化することを意味する。
だが、ここにいる限りKPを稼ぐこともできない。
つまり……打つ手無しだ。
加代は、また以前の状態に戻ってしまうのだ。
味覚も無く、歩けもしない、火傷だらけの身体へと……。
絶望の礼二郎の耳に、だがイライアの声が届いた。
「方法は……ある」
まさか、この絶望的な状況を打破する策がある、だって!?
礼儀も忘れて、礼二郎はイライアの肩を強く掴んだ。
「ど、どんな! どんな方法なんですか!」
「……じゃが、できることなら、この方法は取って欲しくないのじゃ」
悲痛な表情で、イライアは顔を背けた。
「加代のためなら、なんだってします! なんだってできます! 師匠、どうか……」
「…………」
「どうか……師匠!」
「…………」
「師匠ッ!!!」
涙ながらの礼二郎の言葉に、ようやくイライアは小さな声で応じた。
「……奇蹟じゃよ。女神ファシェルの奇蹟を、もう一度使うのじゃ」
「奇蹟……」
「ただし、今度はお主に使うのじゃ。奇蹟ポイントとやらは、どれだけ残っておる?」
「……3ポイントです。たったこれだけじゃ、どんな小さな願いだって……」
「いや、恐らく叶う。礼二郎、こう願ってみよ――」
それから暫くイライアは辛そうな、泣きそうな表情のまま礼二郎を見つめた。
そして、自らを強く掴む礼二郎の手に己の手をそっと添えて、未だかつて無いほど重そうに口を開いた。
「『大萩礼二郎を世界の認識から除外するように』と……」




