第112話 【加代】
電話は、こず枝からだった。
礼二郎は注意深く、己の身に起きた変化を観察した。
「変化は……とくにないな」
警戒を継続しつつ、安堵した。
同時に、変化の無さに拍子抜けもしていた。
空中を漂う携帯を掴み、通話ボタンを押す。
『もしもし、レイ? あのね、ダンジョンのことなんだけど……』
こず枝の用件は、予想通りだった。
どうやって諦めさせようかと悩みつつ、礼二郎は廊下に出た。
〝奇蹟〟行使の形跡を探す。
何か変化はないか。
「こず枝。ダンジョン攻略はイライア師匠に禁止されてるだろ。【頭の鱗】も龍神様に返却したんだ。潜るとしたら、通常コースだぞ? 命がいくつあっても……」
説得の途中、違和感を感じた。
目の前の、廊下と階段にだ。
なんだ? なにがおかしい?
『でも、レイが一緒なら安全でしょ? なんならロリちゃんも一緒に行ってくれたら……』
そこから先、こず枝の言葉は耳に届かなかった。
ドクンッ!
心臓が大きく鼓動を打つ。
違和感の正体が判明した。
〝手摺り〟だ。
『ちょっと、レイ……』
礼二郎は携帯をポケットにねじ込み、階段を駆け下りた。
いつの間にか階段と二階廊下には〝手摺り〟が設置されていた。
ならば……。
「やはり、そうかッ!」
愕然と玄関を見つめた。
段差は〝スロープ〟になって、要所要所に〝手摺り〟のついた玄関を。
まずいッ! 〝認識〟してしまった!
【認識が現実を形作る】――魔術の基本理念だ。
つまり礼二郎の認識により……。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁッ!」
悲鳴だ。
この声は……ロリかッ!
走った。
「くそッ!」
ドアを開けた。
「くそッくそッくそッくそッ!」
思い出した。
思い出してしまった。
なぜ、加代が〝まずい味噌汁〟を作るのか――。
わからなかったんだ。
『どう? 美味しい?』
いつも不安そうな顔で聞いていた。
加代には〝味がわからなかった〟。
記憶だけを頼りに、母に教わった味噌汁を作っていたんだ。
礼二郎と源太は、それを毎日飲んでいた。
『あぁ、美味しいよ。これは母さんの味だ』
礼二郎も源太も、決まってこう言った。
嘘じゃない。
どんなにマズくても、しょっぱくても、あの味噌汁は美味しかった。
美味しかったんだ。
「くそッ、くそッ、ちくしょうッ。ちくしょォォッ!」
我知らず、礼二郎は泣いていた。
「頼むッ、どうかッ!」
誰ともなしに祈る。
「主殿。今の声は……」
「礼二郎、何があったのじゃ」
セレスとイライアの声に答える余裕は無い。
走りながら理解した。
足の遅い加代が、どうして陸上部なのか。
『礼兄ぃ。わたしね、陸上部に入って、思いっきり走る夢を見たんだぁ』
記憶の中、笑いながら、加代は言った。
包帯まみれの姿で。
車椅子に乗って。
「お願いだ……」
リビングを突っ切ってドアを開けた。
「もう思い出させないでくれッ」
脱衣所のドアを開ける。
「どうしたのにゃッ。しっかりするにゃッ」
「加代ちゃんッ。加代ちゃんッ」
扉を隔て、シャリーとロリの悲痛な声。
あぁ、神様、どうか……、神様、お願いしますッ、神様、どうか、どうか、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様、神様ッ、助けてくださいッ!
風呂の扉を開ける前から、礼二郎は号泣していた。
顔をぐしゃぐしゃにして、子供のように泣きわめいた。
お願いしますッ、お願いしますッ、止めてくださいッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、何でもしますからッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、お願いしますッ、僕はどうなってもかまいませんッ。どうか、加代を……。
声に出していたのだろうか。
思っていただけかもしれない。
その両方かも。
礼二郎は必死に祈っていた。
風呂場の扉を力任せに開ける。
扉の枠が礼二郎の怪力で、ぐにゃりとひしゃげた。
構わず叫ぶ!
「加代ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
「れいじろう様ッ! 加代ちゃんがッ! 加代ちゃんがぁぁッ!」
「ご主人様ッ! 加代が突然倒れたにゃッ!」
ロリとシャリーが裸で叫んだ。
ロリは泣きながら、裸の加代を抱きかかえていた。
意識を失った加代の身体は……ああ、なんてことだ……左半身がうっすらと黒ずんでいる。
しかし、まだ、
「ロリッ! 僕を気絶させるんだッ!」
まだ間に合うッ!
「え? ど、どうし……」
「早くしろぉぉぉぉぉぉッ!」
「は、はいッ!」
礼二郎が防御障壁を完全に解除した。
ズガンッ!
ロリの魔術が脳天を直撃する。
「主殿ッ!」「礼二郎ッ!」「ご主人様ッ!」「れいじろう様ッ!」
薄れゆく意識の中、セレス達の声を聞いた。
そして思い出した。
『加代に……僕の妹の加代に、〝普通の人生〟をッ!』
――15年前、僕は女神様にそう願ったんだ。
『私はあなたの願いを叶えましたよ。当初の契約通りに』
――占いの館で、女神様は言ったっけな。
――あぁ、そうだ。
――確かにその通りだ。
――女神ファシェル様、あんたは正しい。
――あんたは確かに願いを叶えてくれたよ。
そして礼二郎は意識を手放した。
――このくそったれ女神……め。
【後書き】
ふぅ……。
今回でようやく一番大きな伏線が回収できました。
この物語の題名の謎も解けたかと思います。
加代ちゃんがなぜいつもあんなに幸せそうだったのか。
加代ちゃんは普通の生活が楽しくて仕方なかったのです。
ご飯を食べるだけで幸せでした。
みんなと歩けるだけで、友達とたわいない話をするだけで、幸せをかみしめていました。
教室の一番後ろの席が加代ちゃんの指定席なのは、その名残です。
両親が亡くなって、生活が苦しいのに、一軒家住まいなのも、加代ちゃんのためです。
(両親の保険金を家のローンと、家のバリアフリー化につぎ込んだ)
樹利亜ちゃんや、トメ子ちゃんが悪役を演じたのは、強引に事実をねじ曲げた歪みの影響でしょう。
礼二郎が異世界から帰ったことを実感したのも、加代ちゃんの味噌汁を飲んだからでした。
そして礼二郎は、加代ちゃんの障害を自分のせいだと責め続けています。
だからこそ、セレス達と幸せになる自分が許せないのです。
礼二郎にとって何よりも優先するのが、妹の加代ちゃんだからです。
これは礼二郎自身が己にかけた呪いであり、呪縛と言えるでしょう。
礼二郎ののトラウマは、誕生日の秘密、兄との確執、などが関係してきます。
トラウマを解決しない限り、礼二郎が女性と付き合うことはありません。
そしてそれを解決しようと走り回っているのが、現在絶賛奮闘中の我らがミス……コホン。
あとは残っている大きな問題は
・龍神様とのバトル
・『加代ちゃんの幸せ二万KP』
ですね。
とりあえずは大きな節目まで書けたことを、読者の皆様に感謝致します。
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