閑話8 【ミス・アンラッキー PART3】
金貨を見つめる。
匂いを嗅ぐ。
洗ってから、かじってみる。
何をやっているのか、よくわからなくなった。
改めて金貨を見る。
サイズは、500円玉より一回り大きい。
表には、見知らぬ文字が刻印されている。
ネットで調べても、どの国の言葉かすら分からずじまいだ。
裏には、美しい女性の横顔。
誰だろう。なんと言うか神秘的な女性だ。
このコインは、1月の下旬、礼二郎とのデートで、プレゼントされたものだ。
その日から、春香の運勢は変わった。
∮
最初は、〝漠然とした違和感〟だった。
何かおかしい。
何だか上手く行きすぎる。
なぜか、犬に追いかけられなくなった。
なぜか、不審者に話しかけられなくなった。
なぜか、痴漢にも遭わなくなった。
テレビや新聞の占いは、常に一位だった。
日本茶を入れると、必ず茶柱が立った。
買った生卵が全部双子だったときは、鳥肌が立った。
違和感はあれど、最初の頃は、まだうれしかった。
最近、春香史上、最高にラッキーッ! くらいに思っていた。
しかし、それが延々と続くにつれて、しだいに喜べなくなる。
〝漠然とした違和感〟は知らぬ間に、〝漠然とした不安〟へシフトチェンジしていた。
ある日、何の気なしに、コイントスをしてみる。
失敗だ。
やるんじゃなかったと後悔している。
でも、まさか何十回もやって、すべて当たるなんて、思わないよね?
その時の恐怖を、おわかり頂けるだろうか。
〝漠然とした不安〟は、〝明確な恐怖〟へフルモデルチェンジする。
おかし過ぎる。
異常事態だ。
ならば……と、さらなる検証をすべく、宝くじを1枚だけ購入する。
外れることを祈って宝くじを買ったのは、初めてだ。
今日の朝。
ははは、まさかね、と思いつつ、思い込みつつ、恐る恐る、薄目で、祈る気持ちで、そうっと新聞を確認する。
一等:136組 13587964
次に手元のクジを確認する。
136組 13……
そこまで見ると、春香はクジをバッグへしまう。
ゆっくり立ち上がって、洗面所へ移動する。
とっておきの化粧品を使って、バッチリメイクを決める。
髪をブローする。
ヨレヨレの寝巻きから、勝負服に着替える。
「よっしゃぁぁッ!」
鏡の前で気合いを入れる。
テーブルに戻ると、腰を下ろして、バッグから宝クジを取り出す。
数字を読む。
136組 13587964
新聞を確認する。
一等:136組 13587964
ふむふむ、当たっちょる。
何度か数字を確認した後に、スックと立ち上がると、深く深く息を吸い込み……、
「うそぉッ! 一等当たってるぅぅッ! すごぉぉい!」
棒読み気味で、叫ぶ。
ぴょんぴょん飛び跳ねて、はしゃぐ、はしゃぐ、はしゃぐ。
「どうしよう。どうしよう。何買っちゃおうかなぁ。るんるんッ!」
春香は、はしゃぎ続けた。
∮
5分が経過した頃、春香の態度は急変する。
立ち上がると、天井に向かって叫ぶ。
「ちょっと、いい加減にしてよッ! これ以上、何を期待してるのよッ! 欲しがりすぎでしょッ! もう無理よッ!」
暫く待つ。
何も起きない。
「あったまきたッ!」
春香は、ポスターを剥がす。
ーー見つけてやるッ!
花瓶の中に、手を突っ込む。
ーーどこかにあるはずよッ!
棚の後ろを、覗き込む。
ーーどこなのッ!
クローゼットの服を、残らず取り出す。
ーー隠しカメラはどこなのよッ!
∮
30分後
諦めた。
そして認める。
これドッキリじゃないや。
ガチのやつだ。
とっちらかった部屋の中で、春香は会社に電話をかける。
体調が悪いと嘘をつく。
人事兼、経理兼、総務部の吉永さん(40?才独身♀)は、生気の感じられない声で、そうですか、伝えておきますと、あっさりしたものだ。
時間は午前8時10分。
「さて、と」
春香はバケツをひっくり返したような部屋で呟く。
それから、無心で片付ける。
無我の境地だ。
軽く悟りを開いてしまう。
仏陀先輩チッスチース。
9時になると、ゆっくり歩いて銀行へ行った。
200万円を持って家へ帰る。
玄関をくぐると、バッグから200万を取り出す。
すると急に恐ろしくなり、我に返ると、悟りが吹っ飛んでいた。
俗世の皆様チッスチース。
ただいま春香は、煩悩と共に戻って参りました。
そして、痛恨の内定取り消し以来、久方ぶりに嘔吐したのだった。




