第11話 【バッチこーいッ】
扉をジッと見つめる。
もし次の瞬間入ってきたらと思うと、うかつに動けなかった。
扉の位置からちょうど斜め45度に見えるよう、ベッドへ腰掛けている。
この角度が一番、体が小さく見えるのだ。
鏡の前で、2時間研究した成果である。
もう3時間はこうしているだろう。
心臓は、今でもずっと早鐘を打っている。
クゥー……。
お腹が小さな音を鳴らした。
朝からなにも食べていなかった。
パレードの間、パーティーでなにを食べてやろうかと妄想していたのだが、いざドレスを着てパーティー会場へ向かおうとしたとき、イライアから召集がかかったのだ。
そのときの事を斜め45度で思い浮かべた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「娘共よ。ちと話がある」
パーティー用の着付けが終わった頃、漆黒のエレガントなドレスに身を包んだイライアが、唐突に言った。
伝説の魔女・イライアからそう言われて、断れる者がいるだろうか?
「話ですか?」「にゃんですかにゃ?」「ど、ど、ど、どんな話だろうか?」
「うむ、話というのは、男と女のアレのことじゃ」
「ア、アレですかッ?」「アレって、アレのことですかにゃッ?」「ふぇッ? お、お、お、男と女のアレッ?」
「実は、今日の昼間、馬車の中でワシはずっと礼二郎のやつに最強の発情魔術をかけておったのじゃ。それなのに、あやつときたら、ワシの乳をチラ見するばかりで、それ以上の反応をせんかったのじゃ。このワシの渾身の魔術じゃぞ? そこでようやく悟ったのじゃ。このまま待っていては、あやつがワシらとアレをする未来は、永劫に来ん、とな。そこで聞きたい。お主らは、あやつとアレを望むか?――ロリはどうじゃ?」
「イライア様が発情魔術を? それであの程度なんて……。 あの……ロリは、その……たい、です」
「シャリーはどうじゃ?」
「アチシは、いつでも、どこでも、オールシーズン、オールオッケーだにゃ」
「セレスはどうじゃ?」
「わ、わたしは、そんな、ふしだらな行為は、騎士として、従者として、ゴニョゴニョ……」
「というわけで、セレスはここでリタイアじゃ。今までご苦労じゃったな。ほれ、さっさと去ね。シッシッ。では、ロリとシャリーや、ワシら三人でこれからの……」
「わーっ! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃっ! リタイアじゃないです! したいです! すごくしたいですぅぅっ!」
「セレス様……」「にゃはは、セレスは、むっつりだにゃ」「お主……そこまで追い詰められておったのか」
「はぇ!? くっ、こ、殺せぇぇっ!」
「まぁ、待て。死ぬのは、アレしてからでも遅くはあるまい。じゃが、このままじゃと、あやつは未来永劫、手を出して来ることはないじゃろう。 10年間あれこれ試して失敗してきたワシが、そう断言しよう」
「ロリも……そう思います」「アチシも思うにゃ」「ど、ど、ど、どうしたらいいだろうか?」
「もし、の話じゃ。もし、あやつが、自分以外とアレをしっぽりとかましたら、お主らはどう思う?」
「しっぽり……。ロリは悲しいです。でも、ここにいるみんななら……納得できます」
「アチシも、かにゃしいけど、このメンツなら別にかまわないにゃ」
「わたしも構わない! そりゃ、わたしだけ、しっぽりと、その……ゴニョゴニョ」
「ふむ、お主達の気持ちはよくわかった。そこでじゃ。今晩、この中のひとりとアレをするよう、あやつにハッパをかけようと思うのじゃが、どうじゃ?」
「イライア様!?」「にゃ! イライア様ッ」「イライア殿!」
ロリ、シャリー、セレスはお互いの顔を見合わせて、大きく頷き――
「「「大賛成 (です!)(にゃ!)(だぁぁぁっ!)」」」
――叫んだのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その話が出ると、もう食事なんかできない。
ぽっこりお腹になるのがイヤだし、臭いも気になってしまうからだ。
口臭と言えば剣帝エバンスが有名だが、本人に自覚がないというのが恐ろしい。
もしかして、我知らずあんな地獄のような臭いをまき散らしているのではないか。
そう思うと、香辛料をふんだんに使った宮廷料理なぞもってのほかだった。
それに。
(む、むっつり)
女騎士セレスは、猫娘シャリーの言葉に思いのほかダメージを受けていた。
(わたしは、むっつりなのだろうか)
セレスは、自分の体を見つめた。
今、身に纏っているものは、一年前に購入し今日初めて着たものだ。
下着の用を果たさないであろう、布面積の小さなおパンツに、胸元の大きく開いたスケスケのネグリジェ。
――つまりは、臨戦態勢である。
この格好をしていながら「今日は、そんな気にならないの」なんて抜かす奴がいたら、詐欺で訴えられて、即有罪に違いない。
セレスは今日この日が来ることを、もう一年も前からずっと期待していたのだ。
(むっつりか。くっ、まったく持って否定できん!)
セレスは、むっつりな自分をしぶしぶ受け入れた。
しかし、いざアレをするときに相手をどう呼べばいいのだろうか。
主殿ー! では、あまりに色気がない。
かといって、命の恩人でもある主の礼二郎を、名前で呼べるだろうか。
「よし、練習してみるか。――コホンッ、れ、れいじ、ろう……んっ?」
セレスは目を丸くした。
なんだ、この高揚感は。
「れいじ、ろう。れいじろう。れいじろう。れいじろう! きゃぁー!」
セレスは布団に頭を突っ込み、叫んだ。
気持ちが高ぶりに高ぶり、足をバタバタとさせる。
「れいじろう、れいじろう、れいじろう、れいじろう、れいじろう、れいじろう、あぁ、れいじろうー!」
布団の中で、なんども、なんども、なんども叫んだ。
名前を呼ぶだけで、こんなに興奮するとは思いもしなかった。
最高潮に興奮したむっつり女騎士セレスは、布団をかぶったまま、延々と礼二郎の名前を呼び続けたのだった。
そのとき。コンコン。
待ちに待った音が聞こえた。
セレスは飛び上がるほど驚き、急いで定位置に45度で座り、髪を整えた。
そして、前もって用意したセリフを――
「きゃぎは、開いているぞ! ぐはぁぁっ!」
――噛んだのだった。