第101話 【ファインプレイ】
帰りのホームルーム、担任である20代後半の男性教諭が、教卓を叩いた。
「静かにしなさいッ。――周辺に、不審者が徘徊しているとの通報があった。今日は、なるべく複数人で下校するように」
教室のざわめきが増す。
「変質者かしら? こわーいッ」
「襲われたらどうしようッ!」
「変態にも選ぶ権利がある」
「違いない」
「ひどーいッ!」
「ピンチになったら〝ヒーロー〟が来てくれるんじゃない?」
「変質者ごときで、ヒーローは動かないと思われ」
担任があきれるほどの喧噪を尻目に、葉子はチラリと後ろを振り返る。
カヨッペは、何か(多分手紙だ)を書きつつ、時折グラウンドを見ては、ソワソワしていた。
早く部活へ行き、走りたいに違いない。
お茶を掛けられ、モジャモジャだった髪は、真っ直ぐになっている。
陸上部の部室に置いてあるヘアアイロンを使ったのだ。
不審者……一人で帰るしかないカヨッペは大丈夫かしら、と葉子は前に向き直り、そして頭を振った。
(いくらなんでも、部活が終わる頃には、いなくなってるわよ……)
通報があったからには、警察にも連絡が行っているはずだ。
きっと大丈夫。
そう思ってはいても、葉子は不安を拭いきれなかった。
指導力の乏しい担任が叫ぶ。
「静かにしろぉッ! 日直、号令ッ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
下駄箱で、ナッツンが葉子の肩を揺さぶった。
「ねぇ、カヨッペ、なんだって? 早く読もうよ」
「……ちょっと待ちなさい」
まだ上履きの葉子が、あきれ顔で答えた。
急いで靴を履き替え、コートのポケットから、先ほどコッソリと受け取った黄色い手紙を取り出す。
どれどれ、とナッツンがピタリと葉子に身体をくっつけ、帰宅部二人は手紙に目を落とした。
【ヨーちゃん&ナッツンへ
今日も一日おつかれさま! 豚の件は気にしないで。
わたしのことが、かわいくて大好きなのはわかるけど、絶対に逆らっちゃダメだよ?
あと二ヶ月、3年が卒業するまでの辛抱なんだから。
それより、お弁当、びっくりしたでしょ?
前に言った、ホームステイのお姉さんが作ってくれたんだよ。
なんと、これから毎日作ってくれるんだって!
ほっぺが落っこちるくらい、美味しかったよ!
あーあ、二人にも食べさせてあげたかったなー。
残念だなぁ、ほんとに残念。フフフ。
じゃあ、また明日! 変態さんに掴まらないようにねッ!
PS:わたしは走って逃げるから心配無用! なんたって陸上部なんだからッ!
Dearカヨッペ】
〝Dear〟の使い方が間違っている手紙を読み終え、葉子はポカンと口を開けた。
ナッツンは目を丸くし、もう、と頬を膨らませた。
ズンズンと歩きだし、腕をぶんぶん振ると、立ち止まり、振り返った。
「ヨーちゃんも見たよね、あの弁当ッ。あれを毎日ですってッ? それを、わたし達は見てるだけなのッ? あーッ、悔しぃッ。――えっと、これはカヨッペに、じゃないからね」
腕だけで飽きたらず、強く足踏みまでして、ナッツンが悔しがった。
追いついた葉子は、深いため息で、それに答える。
「……わかってるわよ。あいつ等に、でしょ? わたしも悔しいけど、カヨッペの言うとおり、あと二ヶ月の辛抱よ。――それより、あのエビフライ見た? あんな太いエビ、レストランでしか見たことないわ」
「エビフライもすごかったけど、なんたって、あのステーキよッ。めっちゃ分厚くて、めっちゃ柔らかそうだったわ……。あー、思い出しただけでよだれが出ちゃうッ」
校門を出てからも、二人は明るく話をした。
葉子は思う。
現状を嘆いて、ただ落ち込むことは、相手の思う壺だ。
こんな嫌がらせで、わたし達の日常を、そして友情を台無しにされてたまるものか。
胸中で憤りつつ、平静を装う。
今だけではない。
この理不尽な状況になってから、ずっと平気な振りをしている。
ナッツンも同じ気持ちだろう。
だから、あいつらのことは極力話題に出さない。
陰口を言ってスッキリすることも、不平を言って落ち込むことも、わたし達は断固拒否する。
一番辛いのは、カヨッペなんだ。
わたしとナッツンの二人だけで、気持ちの整理をしない。
しちゃいけない。
するときは、三人一緒に、だ。
改めて強く思い、葉子は唇をかみしめた。
感情が溢れ出す。
まずい、と思い、上を向くと、ナッツンがハンカチを差し出した。
「……ヨーちゃん、泣いちゃダメだよ」
葉子はハンカチを受け取り、両目に押し当てた。
「泣くもんかッ。――泣いてたまるもんですかッ」
言って、勢いよく鼻をすすった。
葉子の背中をさすってくれた、ナッツンの手が止まる。
あれは……とナッツンが小さく呟いた。
ハンカチを外し、ナッツンの視線を追うと、そこには白いワンボックスカーが停まっていた。
二人の怪しい若い男が乗って、こちらを見ている。
目があったのか、ナッツンは、急いで視線を外した。
「……ねえ、ヨーちゃん。あれが〝不審者〟かしら?」
ナッツンの問いに、葉子はもう一度鼻をすすり、
「スンッ……うん、そうかも。――あいつら、こっちを見てたよね?」
「どうする? 通報する?」
「そうね。でもそれだけじゃ……。そうだッ」
言うと、葉子は鞄からペンを、ポケットから紙――カヨッペの手紙を、取り出した。
「ナッツン。車のナンバーを読み上げて」
「なるほど、了解ッ。――えっと、○○〝わ〟の3874よ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「はぁ……」
葉子は自室の机に座り、肩を落とした。
「お母さん、すごく怒ってるなぁ……」
先ほどの夕食時のことを、葉子は思い出す。
――鬼のような形相をした母親は、葉子と口を利かないどころか、目も合わそうとしなかった。
葉子は、深く溜め息を落とし、独りごちる。
「お弁当のおかずを、もうちょっと豪華にって言っただけなのに……」
家に帰り、母親へ弁当箱を渡し、それを言ったとたん、葉子はしこたま怒られた。
そのことも思い出し、もう一度溜め息をはいた。
――しかし、ネタとしてはなかなかね。
ふと思い、早速カヨッペ宛の手紙に、顛末を書き始めた。
体を張ったネタを面白おかしく書き終え、そう言えば、と葉子は顔を上げた。
「あの〝不審者〟はどうなったかしら」
不審者を発見した葉子とナッツンは、情報を警察に通報した。
だが、特に被害のない状況だからか、警察は腰が重かった。
一応注意して巡回するようにします、と、そっけない対応に、ナッツンは、納税者を何だと思っているんだ、と憤慨した。
そもそも、中学生なので、税金は消費税くらいしか払っていないのだが。
まるで高額納税者のように振る舞うナッツンの様子を思い返し、ふふ、と笑ったとき、携帯が鳴り、葉子は飛び上がった。
〝RINE〟や〝メール〟ではなく、〝通話〟の着信だ。
表示を見る。知らない番号だった。
時計に目をやると、午後7時過ぎ。
ドクン、と心臓が脈打つ。
なぜか、カヨッペの顔が思い浮かんだ。
恐る恐る通話ボタンを押し、耳に当てる。
『――もしもし、いきなり電話して申し訳ありません』
若い男性の声で、相手は前置きして、
『大萩加代の兄で、大萩礼二郎という者です。そちらは高橋葉子さんでしょうか?』
カヨッペのお兄さんッ、と葉子は慌てて、姿勢を正した。
「は、はいッ。葉子ですッ。葉子はわたしですッ」
なぜお兄さんが、どうしてわたしに、どうやって番号を、と次々に疑問が、葉子の頭に浮かぶ。
その中で何よりも気になることを、葉子は口にした。
「もしかして、カヨッペ……加代ちゃんに、なにかあったんですかッ?」
お願い、違うと言って……。葉子は祈った。
だが、無常にも、願いは叶わなかった。
『……加代が、まだ帰らないんです』
葉子は全身から血の気が引くのを感じた。




