第96話 【スーパーパワー】
三時限目が終了した休み時間。
いつものように、こず枝は隣のクラスへ行った。
「レイッ」
教室の外から呼びかける。
すぐに大萩礼二郎がやって来た。
恥ずかしそうに、こず枝と目を合わさない。
こず枝が弁当を渡すと、い、いつもすまんな、と心底申し訳なさそうに、礼二郎は礼を言った。
言葉はしどろもどろで、目は泳いでいた。
挙動不審の理由を、こず枝は知っている。
〝昨夜の件〟だ。
恐らく、エッチを断ったことで、こず枝を傷つけてしまった、とでも思っているのだ。
オロオロとした、その様子を見ていると妙な気分になる。
不思議と、こず枝の中に残っていた小っ恥ずかしい気持ちは、薄れて消えた。
自分より興奮している人を見て、スッと冷めるのと同じ心理状態だろうか。
(事情を知ってるわたしが、レイを責めるわけないのに)
焦る礼二郎の仕草が、やけに可愛かった。
こず枝に、悪戯心が芽生える。
面白いから、わたしが怒ってると、誤解させたままにしておこう、と。
(ばかレイ……。これくらい、いい薬よ)
ん?――やっぱり、ちょっぴり、腹が立っているのかしら。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
昼休みになり、クラスメイトの大移動が始まる。
こず枝は席に着いたまま、お弁当を机に出し、待つ。
間を置かず、こず枝の元へ3人の女子生徒が現れた。
各々が椅子を用意して、こず枝を囲むように腰掛ける。
こず枝も含め、この4人は、いつもの仲良しメンバーだ。
黒井雪子も、その一人である。
机に着くなり、誰ともなく話題が持ち上がった。
それは、やはり〝ヒーロー〟についてだった。
突然降って沸いた、映画みたいな話なのだ。
誰もが(昼になっても)大興奮して、同じ話題を何度も繰り返している。
だが、こず枝は、冷静だった。
こず枝の〝常識〟は、この一週間で、ガラリと変わってしまった。
暴走〝毒蛇〟魔女イライアや、巨大龍サンダルパス=アルシエラや、ダンジョンのせいである。
〝ヒーロー〟については、特段驚くこともない。
そんなこともあるかもね、と当たり前のように捉えてしまっている。
そんなこず枝は、一歩引いたふうにして〝ヒーロー〟の話題に参加していた。
――そのこず枝を、黒井雪子は、密かに疑惑の眼差しで見つめていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
弁当を食べ終わると、こず枝はトイレに行く振りをして、教室を出た。
そそくさと一階へ降り、こっそりと体育用具室に入る。
ドアが閉まるのを確認し、キョロキョロと辺りを見渡す。
「あった」
棚の中に、目的の物を発見した。
手に取り、特に調整することなく、こず枝は右手でグリップを握りしめた。
「あら、まあ」
持っているのは〝握力測定器〟で、結果は〝測定不能〟だった。
こず枝の握力は 100キログラム以上ということだ。
左の測定結果も同じだった。
一学期に計ったとき、左右ともに30キロ前後だったと記憶している。
つまり、1年足らず(厳密にはこの一週間)で、こず枝の力は、三倍以上に強化されているのだ。
「驚いた。こんなに強くなっちゃってたのね」
他にも何か、測定できるものはないかしら、と室内を探索した。
そのとき、バンッ、と勢いよくドアが開いた。
「菊水、こんな所で、何してんのヨ」
颯爽と現れたのは、真っ黒に日焼けした女の子だった。
猜疑心満載の瞳で、こず枝をねめつける。
慌てて握力測定器を後ろに隠し、まるで初めて万引きで掴まった主婦がごとく、こず枝は焦った。
「ななな、何よ、雪子ッ。ストーキングッ?」
「誰がストーカーだヨ。あんな怪しい動きで出て行った、あんたが悪い。――で?」
「け、結果に不満だから、再計測しに来たのよッ」
「何でコソコソすんのヨ」
「だ、だって、かっこ悪いじゃない」
それから暫く、ゴチャゴチャ、しどろもどろと弁解をした。
やがて、「ふーん、まぁ、いいけどネ」と、疑いの光を目に宿したまま、雪子は出て行った。
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体育用具室を出たこず枝は、グラウンドに足を向けた。
なんとなく、雪子と顔を合わせ辛かったのだ。
靴を履き替えると、ぼーっと歩いた。
寒空の下、野球やサッカーに興じる生徒達が、視界の端に映る。
こず枝は、微塵も寒さを感じなかった。
全身に気力が満ちている。
どれほど強くなっているのか試したい気持ちが湧き上がる。
同時に、雪子に申し訳ないと思う気持ち。
ふたつの気持ちで、こず枝は揺れていた。
まさに血反吐を吐くほど、毎日の練習をがんばっている雪子を、こず枝は知っている。
コンマ一秒のタイムを縮めるため、どれだけの汗を流したのか、想像に難くない。
対し、大金とともに、ほんの一週間で、こず枝の得た力。
この力が、雪子の努力をバカにしている気がしてならない。
「こんなズルみたいな力、誰にも言えないよね……」
独りごちた。
礼二郎の苦労を、ほんの少し理解できた気がした。
そのとき、男子の絶叫が聞こえた。
瞬間、斜め後方から高速で近づく何かを、こず枝は察知する。
すい、と身体をずらす。
先ほどまで頭のあった場所を、野球ボールが勢いよく通過した。
こず枝は、何気なく手を伸ばし、それをキャッチした。
「あ……」
すぐに自分が、とんでもないことをしてしまったと気づいた。
こず枝は、猛スピードで〝去って行く〟ボールを、〝素手で〟キャッチしたのだ。
恐る恐る振り返る。
グローブをはめた丸刈りの男子が、口をぽかんと開けている。
「人違いですからッ」
我ながら、よく分からないことを叫んだ。
慌ててボールを、持ち主へ転がすと、逃げるように、こず枝はその場を去った。
――その一部始終を見ていた女子生徒は、立ち尽くしている。
「何なのヨ、今の……」
女子生徒――黒井雪子が青い顔で呟いた。