第95話 【(チート)女子高生日記】
★前書き★
この章では、〝異世界組〟や〝チェリー〟はほとんど出てきません。
物語のキーパーソンである、『菊水こず枝』と『大萩加代』の話です。
息を吸うたび、肺が凍りそうなほど冷たい1月の空気。
学校のグラウンドでは北風が吹き付けていた。
その極寒の地で体操服姿の生徒達は、ブリザードに晒された皇帝ペンギンがごとく、身を寄せ合っている。
「ピッ」
行われているのは体育の授業。内容は体力測定だ。
この記録は、三学期の体育の成績に直結する。
寒さに震える生徒達の顔には、緊張の色が濃い。
「ピッ」
体育教師の笛が、定期的に鳴る。
彼の上着は、薄い半袖シャツ1枚だけ。
うっすらと胸のポッチが透けている。
セクハラギリギリアウトな〝シースルー常夏中年男〟である。
多くの者が、正気かコイツ、頭おかしいんじゃないのと、舌打ちする代物だ。
この不快な物体が視界に入るたびにイラッとしながらも、待機中の女子生徒達は、ある話題で盛り上がっていた。
「さっむー。すごいよね。誘拐犯は、生きてるのが不思議なくらい、ボッコボコだって」
「子供を誘拐したんでしょ? 死ねばよかったのに。――おい、ホッカイロッ、お前は死ぬなッ、まだ仕事しろッ」
「空も飛ぶらしいわね。寒くないのかしら?」
「ヒーローですもの。防弾、防刃は言わずもがな、ワタクシのように、防寒対策もバッチリに決まってますわ、オーホッホッ」
「本物のヒーローなんて、エノケン(半袖体育教師、榎本賢治:38才独身♂)の結婚くらい、あり得ないって」
「ピッ!?」
「名前は〝イセカイダーチェリッシュ〟だっけ? 超ウケるッ。あと、超寒いんですけどぉッ」
「に、日本各地で目撃されてるんだよね。ぜ、全部、同じ〝ヒーロー〟かな? ガチガチガチ」
「全身緑色で、背中に〝女〟って書いてるんだよ? そんなの見間違えないでしょ。ヘークションッ」
「でも、こんな寒い中、一晩で日本の端から端まで、移動できる? そ、想像しただけで凍りそう」
「各県に一人いたりして。●◇道担当は、寒冷手当がついたりとか」
「ねえ、菊水はどう思う? ――菊水ってば」
「――え? ごめん、何の話だっけ?」
唐突に話を振られ、こず枝が顔を上げた。
話しかけた女の子は、こず枝の顔を覗き込む。
「噂のヒーローの話だヨ。――菊水、もしかして、ゾーン状態? さッすが優等生。気合いが違うネ」
「ピッ」
真っ黒に日焼けした女の子が、揶揄して挑発的に笑う。
小柄な、この女の子は、〝黒井雪子〟。
陸上部の(自称)エースだ。
菊水こず枝と黒井雪子は、出席番号が隣同士だ。
入学当初から、ずっと仲良くしている。
雪子は元々、おしとやかで、名前の通り、雪のように色白な女の子だったと聞く。
だが、中学で陸上部に入ったのが運の尽き。
中学1年の夏休み、炎天下の練習中のことだ。
塗っても塗っても汗で流れる日焼け止めに、雪子は見切りをつけた。
〝美白〟か〝部活〟か。
雪子にとって、究極の選択であった。
雪子は大いに悩んだ――わけではなく、結構あっさりと決断した。
結果、体育会系、熱血、色黒少女へと、フルモデルチェンジしたのだった。
「ピッ」
雪子は、気のいい女の子だ。
争いごとを率先して仲裁するような、平和主義者である。
人当たりも良い。
なのに、こと体育となると、豹変してしまう。
いつも、こず枝に突っかかってくるのだ。
理由は判明している。
本人から直接訊いたので間違いない。
っていうか、ライバル宣言をしてきた。
原因は、一学期の体力測定だ。
そのとき、雪子の記録を、こず枝が、ことごとく上回ってしまったのである。
スポーツ万能少女のプライドは、傷ついた。
なにせ、美白を犠牲にして手に入れた自信だったのだ。
こず枝の色白な肌が、さらに追い打ちをかけたのは、想像に難くない。
はあ、とこず枝は、こっそり息を吐いた。
「違うわよ。ちょっと考えごとをしてたの」
「ピッ」
気合い入ってるのは雪子のほうでしょッ。
と、こず枝は、喉まで出かかった。
雪子は、あっそ、と〝一見〟興味をなくしたように言うと、ヒーロー話に戻った。
こず枝は、もう一度息を吐くと、考えごと……と口の中で呟いた。
こず枝は、朝起きてからずっと、ある考えごとで頭がいっぱいだった。
『なんちゃって彼氏を、エッチに誘っちゃった件について』だ。
あのとき、こず枝と礼二郎は、心がつながっていた。礼二郎の〝スキルの効果〟だ。
(まさか、あの状況で断られるだなんて……)
こず枝に流れ込んできた、礼二郎の情報(主に性欲関連)は凄まじかった。
思春期男子の妄想力をなめていた。
それは、こず枝の想像を、遙かに超えていた。
礼二郎の頭の中で、ものすごいことを、こず枝はされていた。
というか、こず枝役の妄想もしていた。
口では言えないようなことを、だ。
どこの雑技団だと、突っ込みが入るほどの体勢である。
それはそれは、ぐっちょんぐっちょんの、てんやわんやだった。
よくこんなことを考えながら、礼二郎は平然とした振りをしていられるものだ。
礼二郎に伝わったであろう、こず枝のリビドーも、相当だったに違いない。
それについては、思春期男子の妄想に当てられたから、と言い訳しておく。
つまり、二人の気持ちは(程度の差はあれ)一つだった。
なのに……。
「ピッ」
(やっぱり、加代ちゃんか……)
いざ、一線を越えることを意識すると、礼二郎の心は一変した。
途端に、妹の加代への複雑な思いに、塗り替えられたのだ。
その思いは、たとえば〝罪悪感〟であり〝後悔〟であり〝純粋な家族愛〟であった。
(加代ちゃん絡みなら、仕方ないか……)
実を言うと、そんなにショックは受けていない。
どころか、一線を越えなかったことに安堵しているくらいだ。
あのとき、そこまでですッ、と突然、影から現れた(そんなことできるのッ?)ロリには、感謝半分、恨み半分の複雑な乙女心なのだった。
加代と言えば、――と〝元気印な少女〟を、こず枝は思い浮かべた。
加代も中学で、雪子と同じく、陸上部に入っている。
なのに、不思議と加代は、色白のままだ。
ん? 加代ちゃん、いつから陸上部だっけ?
こず枝が首を傾げていると、雪子の声が聞こえた。
「――菊水ッ。次、あんたの番だヨ」
「ピッ」
雪子が、こず枝の肩を軽く叩いた。
そこへ、半袖体育教師の野太い声が上がる。
「次ぃッ、菊水こず枝ッ」
は、はい、と返事をする。
慌ててスタート地点へ移動した。
種目は〝走り幅跳び〟だ。
こず枝が構えると、半袖体育教師エノケンこと、榎本賢治38才独身♂は、つい先日お断りの知らせが届いたお見合いの恨みを晴らすように、笛を吹いた。
「ピッ」
合図に走りだし、こず枝は、ふと気づいた。
そう言えば、わたし全然寒くない?
〝イライアの護符〟は鞄に置いてきた。
護符の効果はここまで届かない。
外気温3度。
全然へっちゃらである。
なんなら、半袖1枚でも余裕だ。
エノケンと同種族だと思われたくないので、やらないけど。
昨日レベルが上がったからだろうか?
そこまで考え、定位置にたどり着いた。
そして、ついうっかり、全力でジャンプした。
「へ?」
思わず声が出た。
ものすごい跳躍だった。
瞬間、いつかダンジョンで、礼二郎が言ったことを思い出す。
『いいか、こず枝、体育で本気を出すんじゃないぞ。特に〝レベル5〟からは身体能力が格段に強化されるからな。絶対だぞ? 絶対に本気を出しちゃダメだぞ? ダメだぞ……ダメだぞ……ダメだぞ…………』
前振りのような礼二郎のセリフがBGMになる。
景色がスローモーションで流れる中、顔面蒼白となったこず枝は、確信した。
(こ、これ〝世界記録〟だッ)
すでに空中だ。
あとは、慣性の法則に従うのみ。
マズい、マズい、マズい、マズいわッ!
無意識に〝止まれ〟というふうに、両手を前へ突き出した。
刹那――頭に〝言葉〟が浮かぶ。
こず枝は夢中で、それを叫んだ。
「《衝撃波》!」
ボフッ、こず枝の手から、圧縮した空気が。
弾丸のようなスピードに急制動がかかる。
ザッ、砂場に足を着く。
測定係の女の子がメジャーで計測する。
2メートル20、と教えてくれた。
その子が、ドンマイ、と言わんばかりの顔をした。
つまり、平均を下回る記録であろう。
安堵の息を吐く。
気がつくと、全身が嫌な汗でびっちょりだ。
――その全てを、黒井雪子はジッと見ていた。
「ピッ」
エノケンは笛を吹いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
体育が終わり、――全ての記録で、平均を下回る結果をたたき出し、晴れやかな顔をした――こず枝が、教室で鼻歌交じりに着替えていると、背後から、突き刺すような視線を感じた。
振り返る。
それは黒井雪子だった。
こず枝は再び、嫌な汗を感じた。
「ど、どうしたの、雪子?」
「……菊水、あんた、手ェ抜いたでしョ」
はうあッ――こず枝の心臓が跳ね上がる。
がしかし、努めて冷静を、こず枝は装う。
「違うわよ。ちょっと風邪気味で、調子が出なかったの。ゴホッ、ゴホッ。――あーあ、今学期、体育の成績、絶望だなあ。ゴホッ」
言って、我ながら白々しい、と思った。
チラリとこず枝が、雪子の顔を窺う。
案の定、体育会系少女は、じっとりと疑惑の眼差しを、こず枝に向けている。
ど、どうしよう。