第1話 【礼二郎と四人の美女】
「賢者様ぁぁぁッ!」「きゃぁーッ! 礼二郎さまぁーッ!」「賢者様ッ。ありがとーッ!」
大歓声だった。
この馬車を一目見ようと、大勢の民衆が通りを埋め尽くしている。
礼二郎の乗る馬車を、である。
礼二郎は、ガタガタと揺れる窓の目隠しをずらした。
こっそり外を覗き見る。
絶句。
マジか……。
なんちゅう人の数。
正直ドン引きだ。
いたたまれなくなり、視線を室内に移す。
うん、困った。
どうにも視線の持って行き場が見当たらない。
とある理由から、目が泳いでしまうのだ。
そんな礼二郎へ、対面に腰掛ける人物が、からかい声をかける。
「ククク、どうした、我が弟子よ。民草の声に応えてやらぬのか? 手の一つ二つ振ってやれば、どんな女子も、よりどりみどりじゃぞ?」
黒ずくめの女性だ。
黒いとんがり帽子、黒いドレスに黒目黒髪。
古来より伝わる、これは魔女の正装である。
この人物は――〝イライア=ラモーテ〟。
礼二郎が世界でもっとも尊敬して、この世で一番恐れている女性である。
妙齢の美人で、妖しい色気がムッチムチに溢れそうだ。
というか溢れている。
熟々した色気やらフェロモンやらが、だ。
普段から色っぽいと思っていたのだが、今日は特に顕著だった。
黒いドレスの胸元はもの凄い。
ウェルカムな感じで、大きく、大きく、おーきく、カモーンと開いている。
実際にGOしたら、DIEしちゃうのでやらないが……。
まだ石にはなりたくない。
しかしこのおっぱいの巨大なことよ。
今にもポロロンとこぼれ落ちそうだ。
授乳期間の赤ん坊が見たら大変だ。
ヨダレで窒息してしまうぞ。
真っ白いおっぱいに黒いドレス。
そのコントラストたるや、まさに芸術。
なに? 白黒ならパンダだろ、常考、だと?
ハッ! ど素人が! 話にならん!
この女性の前では、モノクロの熊どころか、海のギャング・シャチすらも、白い部分を脱いで作った白旗を振りながら、参りました、この配色はあなたのモノっす、と脱皮するしかあるまい。
白と黒。
それは、この女性にこそ、ふさわしい色なのだ。
異論は認めん。
そして、このおっぱいだ。
このおっぱいこそが、礼二郎の視線を所在なくさせている原因である。
経緯である。
結果であるのだ。
だが巷で噂の礼二郎は、腐っても紳士。
なので、たわわな胸は見ない体で、口を開いた。
「勘弁してください、師匠。苦手なんですよ、僕は女性全般が。――って、知ってますよね? わざと言ってますよね?」
などと言いつつも、チラリチラリとイライアの胸部へと、視線が吸い寄せられる。
くそっ、なんて吸引力だ。
まるでブラックホールだ。
いや見たことないけどさ。
それにしてもだ。
女性が苦手などと、どの口が言うのだろう。
我ながら情けない……。
だが、待て。
少しだけ待って欲しい。
言い訳をさせて欲しい。
大前提としての話をしよう。
男が女性の胸部に惹かれるのは、本能である。
なぜか?
神がそうお創りになられたからだ。
さらに言おう。
眼前の女性のように、ステキなわがままボディだ。
これこそは、その神が創りたもうた、まさに至高の一品。
いわば神の自信作だ。
それを見ないってのは、自然の摂理に反する行為ではないか?
失礼極まりない傍若無人な行いではないか?
神に対する叛逆行為ではないか?
っていうか、女性に対して失礼ではないか?
いや、失礼に違いない。
きっとそうだ。
うんうん。
そうだ、そうだ!
ヒューヒュー!
とゆーわけで、では失礼して、と……。
その時、幼い声が室内に響き渡った。
「イライア様、ひどいです! どうしていつも、れいじろう様をいじめるのですか!」
頬を膨らませて声を荒げたのは、美しい少女だった。
その少女が、ぷっくり頬を膨らませている。
イライアの発言に憤っているのだ。
彼女の名前は――〝ロリ〟(命名:礼二郎 ※つい魔がさして……すみません、フヒヒ) 。
見た目年齢は10才ほど(実年齢は不明)。
健康的に日焼けしたような肌に、白い髪、そして尖った耳。
いわゆる〝褐色ロリータ〟である。
最強魔女イライアに意見のできる、数少ない人物の1人でもある。
少女は礼二郎を神のように崇拝している。
困ったものである。
が、まんざらでもない。
なので、うかつなことはできない。
だって軽蔑されたくないじゃん?
ってことで、おっぱいは諦めることにした。
トホホ。
そのとき、コホンと咳払いがひとつ。
礼二郎の左からだ。
「――ろろろろ、ロリの言うとおりです! いいいい、イライア殿も、お人が悪いですぞ!」
決死の震え声。
発言したのは女騎士だった。
金髪碧眼、容姿端麗。
年の頃は20才ほど。
まるで置物のように、ガッチガチに緊張している。
彼女の名前は――〝セレス〟。
正式名は長いので割愛。
フルプレート・アーマーと呼ばれる重装備だ。
物々しい装いである。
にもかかわらず、セレスの周囲に与える印象は柔らかいものだった。
ひとえに、彼女の温和な表情や、静かな佇まいが、見るものにそう感じさせるのだ。
その柔和な女騎士に、魔女が仕掛けた。
わざとらしく驚いたふうな表情を作る。
「おぅおぅ、我が弟子はずいぶんと慕われておるのぅ。そう怒るな。ほんの冗談じゃよ、ほんの、な」
と、やはり、からかうような口調である。
褐色少女ロリは、膨らませた頬をかわいらしい顔に戻した。
ニコリと笑顔になり、フンスと鼻息を一つ吐く。
ご機嫌な表情で再び窓に向き直り、足をパタパタする。
自分がからかわれているとは、露とも思っていない。
一方、セレスは。
こっそりと安堵の息を吐いた。
彼女が礼二郎達と行動を共にして、もう3年になる。
だが、イライアに意見するのは、いまだに緊張するらしい。
無理もない話だ。
なにせ、死ぬことになるのだ。
イライアの機嫌をほんの少し損ねただけで、だ。
それも、この場にいる全員(周囲の観客も含む)が、である。
これは比喩などではない。
心臓がキッチリ止まる意味での〝死〟だ。
死神さんが、カッキリ仕事に訪れるのだ。
しかも大仕事の大忙しだ。
無関係な観衆や御者に至っては、たまったものではない。
とんだとばっちりである。
言わば、10:0の貰い事故だ。
ここでようやく失言=死のサドンデスな地獄話が終わる。
と思いきや、退屈をこじらせた魔女は、それを許さなかった。
「ところで我が弟子よ。祝賀パーティーの、その後のことじゃが。お主は、どうするつもりなのじゃ?」
魔女の発言で、室内の空気が凍り付く。
右隣の褐色少女ロリは、とがった耳をピクピクさせている。
背を向けたまま、聞き耳を立てているのだ。
魔女の言う〝どうするつもり〟とは、明日の朝食なんて話ではない。
今まで魔王討伐を目標にしていた礼二郎等が、今からなにを目指して進むのかを聞いているのだ。
魔女の質問に答えたのは、だが礼二郎ではなく、女騎士セレスだった。
「主殿の実力ならば、宮廷魔術師として迎え入れられましょう。それも最高待遇で……」
自らの言葉に、唇を噛み締め俯く女騎士。
そこへ、しめしめ喰いついたとばかりに、魔女は眉を大袈裟につり上げる。
「そうなれば、お払い箱じゃなぁ。ワシ等全員がのう――もちろん、セレス、お主もじゃ」
魔女は満面の笑みだった。意地悪そうに、まぁ。
女騎士セレスが、ハッとした顔を上げた。
そして震えるほど強く拳を握りしめる。
魔女の言葉を否定しようとしたのだろう。
口を開いたが、言葉を発することなく、そのまま顔を伏せた。
言うまでもなく、これはイライアの冗談だ。
セレスにも、それはわかっている。
だが、剣でするようには、言葉の斬撃を受け流すことができない。
真面目過ぎるのだ、この女騎士は。
唇をかみしめ、セレスは涙を浮かべていた。
そのブルブルと震えるガントレットに、そっと添えるものがあった。
礼二郎の手だ。
女騎士は、驚いて顔を上げる。
「主殿……」
小さく呟く騎士。
潤んだ碧眼を見つめて、礼二郎は頷く。
そして意地悪な魔女へ向き直る。
「僕は宮廷には仕えません。たとえ、どんな条件を出されても……」
「ほほぅ。ならば、どうする?」
「放浪の旅に出ようかと」
「旅、じゃと? これからお主は爵位を授かるのじゃぞ? それを惜しげもなく、うち捨てると?」
「爵位など、僕には過ぎた身分です。それに、辺境には、いまだ魔物に怯える村がたくさんあるのです。僕の魔物討伐は、まだまだ終わりません」
「低い……お主は自分を低く見積もり過ぎじゃよ。それに無欲が過ぎる。――まぁ、堅苦しい宮廷なんぞは、ワシもごめんじゃがな。そこだけは同意じゃよ」
そこへあのぉ……と割って入る声。
女騎士セレスだ。
「主殿……その旅なのだが、わ、わたしもお供させてもらえないだろうか? そ、それは、わたしなんかが役に立つなんて、おこがましいと思うのだが、その……」
「もちろんだ。ついてきてくれるかい、セレス?」
礼二郎は笑んだ。
とても柔らかく。
「いいのかッ!? 本当に!? 冗談ではないのだな!? 信じていいのだな!? 後で撤回はしないのだな!?」
女騎士セレスは、数秒前とは見違えるような表情を浮かべた。しかし疑い深いな。
礼二郎と見つめ合い、そして笑い合った。
そのとき、もうッ、と幼い声がした。
「ズルイです、ズルイです、ズルイです! セレス様だけなんて、そんなのダメですッ! ロリもお供させてくださいッ! というか断られてもご一緒しますからッ! 絶対、絶対ついていきますからッ!」
真っ赤な顔、潤んだ瞳で、ロリが振り返る。こっちは異常に我が強いな。
礼二郎がその頭を撫でる。
幼児をなだめていると、もうひとつの声。
それも外からだ。
「にゃにゃッ? にゃんだか聞き捨てならないにゃんッ」
セレス側の窓に、逆さまの顔が現れた。
頭に大きな耳が二つ。
獣人の少女だ。
彼女の名は――〝シャリー=シャリフ〟。
種族は猫族で、年の頃は十代中頃。
一つだけ開いていた窓から、するすると室内へ滑り込む。
そしてイライアの隣に腰掛け終えると、大きく口を開いた。。
「ロリロリが行くなら、当然アチシも行くにゃん!」
馬車の上で、室内に耳を傾けていたのだろう。
大歓声の中、室内の会話を聞いていたとはな。
相変わらず恐ろしい地獄耳である。
その地獄耳な猫耳娘の顎を、慣れた手つきでイライアは撫でる。
「ククク、シャリーも、ワシ等と離れぬか。つまりは、いつものメンバーじゃな」
魔女の言葉に、礼二郎は目を丸くした。
「ワシ等? まさか……一緒に来てくれるのですか?」
他のメンバーはともかく、イライア師匠が?
日に当たるのはお肌に悪い、とすぐに不機嫌になるイライア師匠が?
驚く礼二郎を、魔女は平然と見つめる。
「当然であろう。ロリの護符が切れたらどうするのじゃ?」
「護符なら僕も」
「お主の護符では、持って三日じゃろう。ん? なんじゃその顔は。ワシの言葉が信じられぬと? ふむ――では、手を出すがよい」
「手を? まさか、師匠ッ」
恐る恐る、礼二郎がイライアに左手を差し出す。
それまでとは打って変わり、イライアの表情は真剣だ。
室内の空気がピンと張りつめる。
魔女は、自分の右手人差し指を、少し噛み切った。
浮かんだ血で、礼二郎の手に印を書いていく。
室内の全員が固唾を呑み見守るなか、イライアは呪文を唱える。
「我はイライア。我が魂の一部を、我が弟子、礼二郎に授けん。《ルゥ・クトゥス・アリ・セバル……》」
描かれた印が、まばゆい光を放つ。
「うッ」
反射的に目を閉じ――数秒の後、礼二郎は目を開けた。
右手の甲に、青い幾何学模様が、淡い光を発している。
「「「えーッ」」」
褐色少女ロリ、猫娘シャリー、女騎士セレスが、同時に声を上げた。
セレスは、興奮気味に身を乗り出す。
「これは……〝魔術印〟かッ?」
ロリとシャリーも、腰を上げ、マジマジと礼二郎の手を覗き込んだ。
「れいじろう様、すごいです! イライア様に認められたんですよ! 世界最強の魔女様に、です!」
「にゃにゃ! ご主人様の格が、さらに上がったにゃ! これでアチシもさらに食いっぱぐれが――じゃなくて、ご主人様、すごいですにゃ!」
おい、猫娘よ。いま食いっぱぐれっつったか?
いや、それよりも……。
自分の手に刻まれた印だ。
礼二郎は瞬きもせずに、ジッと見つめる。
これは、現実なのか?
「――なんじゃ? 我が弟子よ。うれしくないのか?」
魔女の言葉で、ハッと我に返る。
顔を上げると、魔女は柔らかく笑んでいた。
少し得意げなその顔を、礼二郎は呆然と見つめている。
【炎眼の魔女イライア=ラモーテ】
この世界最高、最恐にして最強の魔女。
生ける伝説であるイライアの魔術印。
礼二郎は伝説を、その身に宿したのだ。
つまり、この瞬間――礼二郎は世界最強と並ぶ魔道士となった。
「師匠……」
たったそれだけ。
辛うじて、たったそれだけを礼二郎は呟いた。
――できれば魔王討伐する前に欲しかったです。
と、喉まで出かかったが、死にたくないので言わなかった。