8:逃走者は語る
案内するのはいいのだけれど、正直、気にならないといえばウソになる。
今まで案内したことのある人間は、すくなくとも、それ相応の装備を整えていた。一方この男の人は線が細いし、かといって、魔法スキルが使えるとも思えない。荷物は少しの食料と後はお金だけらしいし、ほかに小脇に大事そうに抱えた箱以外は、なにも持っていないようだった。
怪しい。どう考えても怪しい。
この森に、魔物がいるなんていうことは誰もが知っていることで、見るからに一人で歩き慣れていない感じのこの男の人が、たった一人で森に入ったということは、よほどのことがあったに違いない。
……なんてね。
こうやって、相手のことを想像するのは楽しい。
外から来た人間にとっては迷いの森とはいえ、わたしに歩き慣れた道だ。ただ歩いてばかりでは暇でしょうがない。多少通りにくくはあるけれど、草木を避けて通れば、魔物の縄張りに踏み入ることはないし、出てきても、スライムくらいだ。
というわけで、すこし飽きてきた。名前を言うのはともかくとして、なにか話してもらわないとつまらない。
「ところでさ」
「はい?」
「ケゼクに行ってなにすんの? 最近のことはよく知らないけど、王の独裁できつい国だって聞いたことあるし、あまりほかの国からの入国者を受け入れるとは思えないけど」
「それは、言えません」
「だよねー」
たしかに、なぜわざわざ森を通るのか言えないのに、目的地でなにをするかなんて言えないわな。
それからまた、黙って、草木をよけながら歩いていると、
「あなたはどうしてここに?」
男がようやく口を開いた。
「あ、それきいちゃう?」
「差し支えなければ」
「簡単に説明するとね。家から逃げ出したんだ。それで、行くところがなくなって、仕方なく森に住んでるってわけ」
「住んでるって、ここに?」
「あれ? 王都から来た人でしょ? 外から来た傭兵でもなければ『宿なしリーズ』って名前は有名だとは思ってたけど」
そう、悲しいことにわたしのあだ名は街で広まり過ぎてしまっている。どうしてそんなことになったかといえば、エルドがぺらぺらと喋っているからだ。わたしはあいつのそういうところが苦手だ。
「いえ……すみません」
「別に謝るような事でもないけどさ」
申し訳なさそうに、顔を伏せている男を見ると、なんだかかわいそうになる。わたしは仕方なく話を続ける。
「最初は苦労したよ。この森に魔物が出ることはさっきのノルグでもわかるだろうけど、縄張りが厳密に決まっているんだよね。それを見極めるために随分と時間がかかった。ま、そのおかげで、こうやって、あんたみたいな人を案内したり、お金をもらったりできるんだけど。あ!」
「はい!?」
わたしの声に男が驚いて立ち止まった。
「そこ、罠仕掛けてるから気をつけてね」
「はい……」
そこには木の葉で隠した捕縛罠が仕掛けられていた。魔物には効果はないけれど、小動物を捕まえるのには役に立つ。
「この罠というのは、すべてあなたが?」
「そうだよ? 木の実やキノコだけじゃ食べていけないからね。狩りもやるけど、時間がかかってしょうがないし、魚とる方がずっとましかな」
「なるほど……」
「そろそろ魔物のナワバリが近いから気をつけてね」
男はまわりをきょろきょろ見回した。
「特になにもしるしのようなものはないですが、分かるのですか?」
「まあね。長くここに居ると、そうでもなきゃ生きていけないから。あんたは見えないかもしれないけど、木の幹につけられた傷とか、地面が不自然にえぐられたりして、あいつらは自分の縄張りを主張してるんだ」
「すごい……」
「なにが?」
「あなたは、ほんとうにこの森に住んでいるのですね」
「だからそうだって言ってんじゃん!」
男の人の雰囲気が変わった。それは、野生動物が警戒を解くときの気配に似ていて、わたしは、その男の人が、多少は心を開いてくれたのだと思った。
ずっと警戒されているより、その方がいい。なにせ向こうは依頼者で、こっちは請負人。商売の関係は、信頼関係なくしてはやっていけない。
っていうのはマイルスの受け売りだけれど。
「私は、ユミルといいます」
「へ? ああ、名前?」
「はい。私は王都の財務管理室に所属していました」
「へー。お偉いさんじゃない。あ、敬語使った方がいいですか?」
「いえ、位としてはそれほど高くありませんし、私は敬語が苦手です」
「そ、じゃあいいや。それで、そのお城で働いてる人が、どうしてこの森に?」
わたしはそれとなく話を促した。別にお金さえもらえれば聞く必要もないことだけれど、そのあまりに怪しい様子が、わたしの興味を引いた。ひとりで生活して、森で生きることが習慣になると、面白いことはめったに起きない。それに、わたしは人と話すことに飢えていた。
男はしばらく黙って、決心するように、口を開いた。
「私の話を聞いてくれますか? ひとりでは、抱えきれないと悩んでいました」
「いいよ。どうせ国境までは時間かかるし。歩きながらでいい?」
「構いません。聞いて、そして忘れてください。どうせ、誰にも信じてもらえないような話ですし、私が罪人であることには変わりありません」
罪人、という言葉に少し反応する。でも見たところ悪いことをやりそうな人ではない。
「懺悔ってわけ?」
「ええ、すみません」
「いいよ。人の話を忘れるのには自信があるし」
「ありがとうございます」
そして男は話しはじめた。
「私は、自分の国を疑ったことはありません。ですがどうしても納得できないことがありました。私には、親友とも呼べる仲の良い友人がいました。彼は、結婚を控えていましたが、ある時突然、姿を消しました」
「なにそれわくわくする話じゃない」
「人が突然姿を消す。たしかに興味深い話です。ですが私にとっては酷く深刻な問題でした。彼の仕事は、特殊でした。城の宝物庫の管理。選ばれた血筋、選ばれた優秀な人間にしか任されない非常に位の高い仕事でした。今でも何故彼と私が仲良くなることができたのか不思議でしょうがありません」
彼はそこで一息つく。その友人との思い出を噛みしめているのかもしれなかった。
「私は、彼の失踪の原因を探すため、彼の仕事について調べはじめました。ですが、調べれば調べるほど警備が厳重で、特に彼が任されていた宝物庫の最深部の情報は、全くといっていいほど手に入りませんでした。ですがその過程で得られた情報もありました。私は財務管理の立場から、その場所に大変多くの国費が費やされていることを知りました」
「宝を守るのにお金が居るの?」
「ええ、宝物庫の特に重要な品物に関しては、その周囲に結界が張られているのです。魔法スキルによって魔力で防護壁を作り、侵入者を許さないというわけですね。結界自体は一度張ってしまえばそれで終わりですが、維持に費用がかかります。通常は定期的な点検や魔力供給を行う魔石の取り換えだけで、それほど多くの費用は必要ありません」
「じゃあ、なにに使ってるんだろ?」
「それはわたしも疑問に思いました。調べた末に判明したのは、問題は規模だったということです。魔法については不勉強なので詳細な説明はできませんが、結界の規模によって費用は大きく変わります。簡単な結界であれば、その辺の魔法をかじった人間にも作れますが、最高級の結界となれば、王国一の魔術師を雇う必要がある。さらに、結界は強くなればなるほど魔力を必要とするため、巨大な魔力を秘めた魔石が必要になる。そのどちらも、途方もない金額がかかります」
わたしは考える。王国がそこまでして守りたいものとは、一体何なんだろう。
「そこで、人がいなくなったってことは……」
「はい、調べていくうちに、私の友人が生きているという考えを諦めました。彼はなんらかの機密に触れ、そして、亡きものとされた。彼の妻に話を聞いたところ、それらしい不自然な行動も見受けられました。彼はある日を境に急に部屋にこもるようになり、仕事の話を一切しなくなったそうです」
「でも、どこか別の国に逃げ出したって可能性もあるんじゃない?」
「確かに、その可能性も残されています。ですが、城の内部では彼の死について誰もが口を閉ざしている。城の何者かが逃げたという騒ぎにもなっておらず、はじめから彼などいなかったように城のあらゆる書類から彼の名前が消されていたのです」
「なるほどねえ」
彼の言葉は熱を帯び始めた。きっと、今まで誰もこの話をすることができなくて、押しつぶされそうになっていたのだろう。彼の言葉は止まらなかった。
「私はさらに調査を進めました。糸口は、倉庫の奥で埃を被っていた城の設計図です。今では使われることのない、高価な紙で作られていましたが、長い時を経てぼろぼろになっていました。ですが、わずかな痕跡を頼りに、宝物庫の最深部の設計を読み取ることができました」
わたしは息をのむ。いよいよ核心に近づいていると感じた。
「それで?」
「城の内部では考えられないほどに結界が何重にも張られていました。その設計所によれば、あらゆるものを拒む完全な結界を目指し、多くの人材が投入されたことが分かりました」
「そんなに大事業だったら、記録とかに残ってそうだけど」
「いいえ、設計図だけです。それも、破棄するのを偶然逃れたような保存状態で、正式な記録にはなにも残されていません。ここからは私の推測なのですが。もしかすると……」
「もしかすると?」
「いえ、やめておきましょう。とにかく、私は設計図を手に入れたことで、宝物庫への道の手掛かりを見つけることができました」
「っていうことは、今持ってるものって……」
「そうです。わたしが持っていこの箱は、宝物庫から盗み出したものです」
彼の眼は血走っていた。