3:街の空気
街の匂いは嫌いじゃない。雑多な人間があふれかえる場所。広大な領地を誇る大国の王都。この街以外の場所は見たことがないけれど、きっと、栄えている方なのだと思う。
大通りは人通りでごった返していた。煉瓦造りの建物が立ち並ぶ大通りを歩いていると、おかしな話だけれど、わたしが人間なのだということを思い出させてくれる。森に居ると、ついつい忘れてしまいがちなことだ。
わたしは、広場を通り抜け、狭い路地に入り、一直線に町の外れの、ある区画へと向かう。
路地を抜ける度に、空気が澱んでいく気がする。そこは、法の手が届かない吹き溜まり。落ちぶれたものがたどり着く、人の道を一歩外れる手前の場所。
ここは楽だ。懐かしさを感じることは一切ないけれど、街の中で、わたしが宿なしであるということを許してくれる唯一の場所だ。
わたしが向かっているのは、いつも品物を買い取ってくれる店だ。そこには、わたしと同い年くらいの男の子が店番をしていて、良くしてくれている。彼がいなかったら、森に住み始めて早々に食いつめていたと思う。
その区画は、荒れ果てていた。国の上層部は何度か浄化を図ったらしいけれど、どうにもならなかった。酒におぼれた人間がうろつき、それは、浮浪者とも見分けがつかない。ぼろぼろの服をまとった女の人が、建物の陰に立っている。
酷い場所かもしれない。とはいえ、わたしはここが嫌いにはなれない。人は、きれい事だけでは生きてはいけないから。
それに、こんな場所があるからこそ、わたしのように人の道を外れた人間も、かろうじて生きていける。
街角で台の上に乗り、声を挙げて叫んでいる人がいた。
「この世は終末へと向かっている。その証拠に、魔物の量が増え、王族は私腹を肥やし、われわれの生活は苦しくなるばかりだ。今こそ救世主の存在が必要なのだ」
いつもの光景だった。入れ替わり立ち替わり、世を憂いている人間がいる。たまにこの街にやってくるけど、いつも違う人間が叫んでいる気がする。同じ宗派の違う人間なのか、それとも、前に立っていた人は、警備兵につかまってしまったのだろう。
この街では、というよりこの国では、たったひとつの神以外の信仰を一切禁止しているから、このような場所でなければ、すぐに街の警備兵につかまってしまう。彼の周りには、精気のないぼんやりとした表情の人々が群がっていた。
わたしも、薄々勘付いている。街にやってくる度に、空気が荒んでいる気がする。人々は何かに追い詰められたように生活していて、実際、魔物の襲撃も増しているようだ。
魔物が増えると町に傭兵が増える。さっき通った広場にも、鋼の鎧を身に付けた剣士やローブを纏った魔法使いらしき人たちが大勢いた。力を持った人たちが集まれたば、それだけ街は荒れる。魔物の襲撃は、街の雰囲気を変える。
けれど、わたしにはどうでもいいことだ。魔物がいくら増えようと、人々がいくら気に病んでいようと、わたしはわたしの人生だけで精いっぱいなのだ。
どうでもいいことを考えているうちに、目的の店に到着した。
「おう! リーズじゃねえか! 久しぶりだな。相変わらずとがってんな」
「うん、マイルスもね」
マイルスは台に肘をついて身を乗り出し、わたしの頭からつま先までを眺める。
「なによ」
「またそのマントかよ。ちゃんと洗ってんのか」
「これはこの前きてたやつとは別のやつ」
失礼なことを言うやつだ。わたしの格好は街で買った適当なクルトの毛を使った服と、それを隠すための大きな布を被った、いわば冒険者姿だ。
誰が何と言おうと、冒険者の格好!
これが結構便利で、武器を収納するにも姿をかくすにもこれ以上の格好はないってくらいだ。傭兵が町に増えたことで、同じような格好の人間は大勢いて、ますます人目を気にすることがなくなっている。
「同じにしか見えないっての。多少は身なりを気をつけた方が良いぜ」
「関係ないでしょ! いいの! そういうのには興味がないんだから」
「そうかねえ。で、今日は何の用だ?」
わたしは大仰な演技をするように、こっそりと、盗品の入った袋をカウンターに置き、少しだけ中をのぞかせた。
「まじかよ! 景気が良いなあおい!」
「格安でもいいから買い取ってよ」
「わかってるよ。ただあんまり期待すんじゃねえぞ。盗品は売りさばくのが大変なんだ」
「いいのよ。だからどんなに安くたって構わない。とにかく多少のお金が入ればいいんだから」
「相変わらず物欲のねえ奴だ」
マイルスは袋を受け取って、中身を確かめる。ここはわたしの馴染みの店で、森に住むようになってからずっと世話になっている。彼は有能で店主からも認められていて、若くして店のほとんどを任されている。ここで売れなかったものはほとんどない。
「わたしは商売人じゃないからね」
「しかし、これから先なにかあるか分かったもんじゃねえだろ。最近魔物の動きが活発になってるっていうし、金はいくらあっても良いと思うがね」
「先のことなんて考えてたら、こんな生活やってないわ」
「ま、そりゃそうだろうな」
それから、マイルスは、鑑定に集中して袋のなかの品物を仕分けていく。その速さは、かなりのもので、この街で彼の右に出るものはないと言われているとかいないとか。
鑑定が終わったらしく、マイルスが顔をあげた。
「6千ガルドってところか。細かいところを言えば5892ガルドなんだが、まあ、おまけしとくよ」
マイルスは番台の下から金貨の入った袋を取り出して、台に置いた。
「捌くの大変でしょ。5千でもいいよ」
「バカ言うな。商売人が一度口に出した買い取り価格を下げるわけねえだろ」
「いつもすまないねえ」
わたしは袋を受け取り、マントの下に入れた。
「気にすんな。それより、最近マゴロの葉の需要が伸びてる。見つけたら持ってきてくれ」
「それってあれでしょ? 解毒剤の材料。なんでそんなものが?」
「魔物と傭兵の数が増えるとな。消耗品が足りなくなんだよ。一応他のやつにも声かけてるんだが、念のためな」
「わかった。見つけたらとっとくよ」
「よろしくな」
そうして、わたしは、店を離れた。6千などという大金を手に入れたのは久しぶりだ。意気揚々と、大通りへと向かう。
人通りが増えて来ると、たしかに自分の格好が気になってくる。でも、意匠のついた魔法使いの切るようなローブは似合わないし、鎧は動きづらいし、うーん。
自分の格好はとうの昔に諦めたつもりだったけれど、ふと、考える時もある。お姫さまのような服を着たいとは思わないけど、たまには、雑じゃない服を着てみるのも良いかもしれない。
「あ」
商店の立ち並ぶ市場に着いた。服なんかより、まずは美味しいものを食べよう。露店でなにかを食べるのは苦手だから、結局持って帰ることにはなるけれど、今日は奮発してうまい肉を買いたい。
市場に来たのは、ずいぶんと久しぶりだ。生活の大半のものは森で自分で作るし、よほどのことがなければ、ここにはやってこない。
わたしは今日食べる分の新鮮な肉や保存可能な干し肉。いくつかの野菜を買い込んでマントから取り出した袋に詰め込んだ。
広場と同じように人がごった返していた。魔法使いや剣士が仰々しい杖や剣を携えている。普段あまり見ることがない、巨漢の全身鎧もいて、大きな賑わいを見せていた。
外からやってきた人が多いからか、物価も上がっている。それはまあ、今のわたしにとってはどうでもいいことだけれど。
「ちょっと買い過ぎたかも」
口に出てしまうくらい、袋を重く感じた。これから森に返らなければならないと思うと、憂鬱になる。
市場を出て、街の中央の広場に戻る。広場からは、巨大な城が見えた。この町を守る、というより、支配する大きな力。わたしは、貴族の人間を見たことがない。たまに、大勢の従者と騎士を引き連れて、遊行に出かけるらしいけど、それに出くわしたことがない。
太陽の光が、長い年月で白色がくすんだ城を照らしていた。わたしは、そこに何か不穏なものを感じて、目をそらした。いやな予感がした。
「よお! 宿なし! 久しいな!」
「げっ」
白銀の鎧を着た大男がこちらに向かって手を挙げていた。満面の笑みで、気色悪いことこの上ない。やだやだ。
「げっ、とはなんだ。再開を喜びあおうじゃないか。なあ! 宿なし!」
「その言い方が嫌いだっつってんの」
わたしは小声でつぶやいた。
「ん? なんだって!?」
「なんでもない!」
わたしは底抜けに明るい大男を見上げる。王国の誇る騎士団の団長、エルドだ。磨かれた鎧が白く輝いていた。
この大男との付き合いは長い。昔、まだわたしが今以上にとがっていた頃、些細なことで口論になり、街なかで大立ち回りをやってのけたのだ。
とはいっても、わたしが何かしたわけじゃない。武器も罠もなしに、こんないかつい男に傷なんてつけられるはずがない。ただわたしは、町なかのあらゆるものを使って、壁や馬車、人を使って、死に物狂いで逃げ続けただけだ。
ただそれだけのことなのに、あいつはいやにわたしのことを気に入ったらしく。町で見かける度に話しかけてくる。あの時の騒ぎを考えると、わたしは警備兵につかまっても良いくらいなのに、特におとがめなしで、ほんとによくわからない。
「まだ、森に住んでいるのだろう?」
「当然よ」
「いかんなあ、それはいかん。年頃の娘が」
「それ毎回言うけど、なんなの? どうしろっていうのよ」
「だから以前から言っているだろうが、我が騎士団に加われば、衣食住の心配はいらぬと。お前の力は居まだ未知数。騎士団は王国の精鋭なれど、訓練をすれば上級騎士も夢ではない」
「やだ」
「なぜだ」
「騎士だけは絶対やなの」
「前回もこのようなやり取りをしたとは思うが、理由を教えてくれぬか」
「いやだったらいやだっていってんの」
「ふむ。ならば仕方ない」
そこで、エルドの表情が厳しくなる。わたしはかつてその顔を見たことがある。街で暴れた時は、本気ではなかったはずだけれど、ほんの少しだけ垣間見えた、怖い顔。人を殺しても何とも思わないような、きっと戦場でだけ見せる顔だ。
「では早くここから去ることだな。我が王国はスキルを取得していない人間を許してはいない。本来であればここで切り捨てても良いのだがな」
「わかってる」
「だが、騎士団に入るというなら別だ。私は諦めるつもりはないからな。気が変わったらいつでも言うといい。なんなら兵舎を訪ねて来てくれても構わん。我が騎士団はいつでも歓迎するぞ。宿なしだろうが賊だろうが、大切なのは任務を遂行する鋼の意志だからな」
「気が変わったらね」
変わることなんて絶対にないけど。
わたしは、エルドに背を向けて、人ごみの中に紛れた。考えてみると、スキルを取得していない身で、こうして街なかを歩けるというのは、運がいいことなのかもしれない。エルドの言うとおり、わたしの存在は完全に違法で、いつ捕まってもおかしくはない。
でも……
「ま、感謝するつもりはないけどね」
食糧を詰め込んだ袋の重みを感じながら、わたしは街を出た。日はまだ高く、暗くなる前には森のすみかに戻ることができるだろう。
街を出る時、いつもさびしくなる。わたしが、普通の生活に戻れないことを改めて感じる。
だめだ。考えてはいけない。
わたしは走り出した。なにも考えないようにするには走るのが一番だ。袋の重みが足に伝わった。やはり街は苦手かもしれない。