19:次なる脅威
魔術師との戦いから、一夜が明けた。
「むー! むー!」
などと唸っている無残なを見下ろして、わたしはこれからどうするべきかと考えを巡らせていた。
魔術師との戦いが終わり、わたしは、目を覚ます前に、彼女の口をふさいだ。使ったのは粘着質の液と布だ。口さえ閉じてしまえば魔法スキルは使えないし、あのうるさい声も聞かなくてすむ。
聖域で彼女と戦ったのは昨日のことで、未だに何の実感もわいていない。
倒れた魔術師を木に縛り付け、竜に協力してくれた礼を言いに行くと、わたしがはじめて聖域に踏み入れた時と同じような格好で、その威厳をたたえていた。
竜はわたしになにも教えてはくれなかった。王国の機密についてもどこか知っている様子だったけれど、結局は口を開かなかった。
出るときは、来る時よりも苦労した。なにしろ、魔術師を聖域に放置するわけにもいかず、背中に背負っていかなければならない。彼女の体が思いのほか軽かったのは良かったけれど、何度か休みを挟みながら、自分の家のある場所に戻った。
途中、魔術師が霧の巨人と争った跡を通り過ぎて、背筋が凍った。戦いによってめちゃくちゃに荒らされた木々を目の当たりにすると、ほんとうに生きていることが信じられなかった。
これからどうしようか、なんてことを考えても、いい案は浮かばない。わたしは、なるべく考えないようにして、黙々と歩いた。
家に着いたころには、日は完全に暮れていた。わたしは近くの木に魔術師を縛り付け、木に登って、自分の部屋に転がり込んだ。戦いが続き、わたしの体は限界を超えていた。布団に倒れ込んだ瞬間、記憶を失うように眠ってしまった。
――これが、昨日までの話。
今のわたしといえば、縄で両手を木にくくりつけられてむーむー言っている魔術師を見て、まったく途方に暮れていた。
場所は木がまばらで開けた空間。家の近くに置いておくと魔法を使われた時大変だと思ってここに連れて来た。
でもよくよく考えたら、魔法が使える状況になったら家とかどうでもよくない? というか死んじゃわない?
手は縛っているとはいえ、魔術師の口を開けさせるのは危険だ。なにかの拍子に手が自由になって、魔法を使われたら逃げ場がない。
また、弓使いの例もある。どういう手を使ったのかは分からないけれど、機密について喋ろうとした瞬間に、彼は絶命した。それがわかっていながら、彼女にうかつに喋らせるわけにはいかなかった。
やむを得ず戦うことはあっても、別に殺したいわけじゃない。
じゃあどうするかと言われたら、特に案が思いつかなかった。縄をほどいたら大人しく帰ってくれるわけでもなさそうだし、王国に戻って仲間を呼ばれてもやっかいだ。
「うーん」
魔術師を見下ろして考える。考える。考える。
……………………
「ま、いいか。とりあえずご飯にしよう」
「むー! むー!!」
もがく魔術師をひとまず置いて、炊事場に向かって歩き出した。
――その時だった。
はじめに感じたのは、強い光だった。
見上げると、日の光とは違う、強い光源があった。巨大な球体のような光の塊が、上空に浮かんで大きさを増していた。
わたしは瞬時に考えを巡らせ、判断する。あれは特大魔法に似たなにかだ。素早く魔術師に駆け寄って、勢いよく口に張り付けた布を引っぺがす。
「いったああ!!」
「状況はわかる?」
木に結び付けた縄を解きながら、口を押さえている魔術師に尋ねる。事態は一刻を争う。この際敵とか味方とか関係ない。
「一気にはがすことはないでしょうがよ!」
「いいから! あれは何!? 魔法?」
魔術師が空を見上げ、その顔に緊張が走る。
「なにあれ……あんなもの、見たことがない」
「もう! しっかりして!」
「まさかあたしの知らない魔法があったなんて……」
「やれるの!? やれないの!? このままじゃあなたも死んじゃうんだよ!」
「やるしかないでしょ。この場合」
魔術師がステータス画面を開き、構えて呪文を詠唱しはじめる。上空の光の球はゆっくりとこちらに向かっていた。
この状況で、わたしにできることはなにもない。つい昨日、戦った敵ではあるけれど、今は彼女に頼ることしかできなかった。
「相手のスキルが分からない以上、属性で打ち消すことはできないでしょうね。となるとやれることはひとつ。あたしの持つ最大魔法で威力を減衰。それとともに全力の防護壁スキルを発動する。あんたの命はどうだっていいけど、生きていたいならあたしのそばから離れないほうが良いわ」
「わかった」
わたしは即座に応え、彼女のそばに寄る。今ここで争っている場合じゃない。それは魔術師もわかっているようだった。
魔術師両手を挙げ、上空に魔法文字による陣が刻まれる。そこから現れたのは、上空の光の球ほどではないにしろ、巨大な球体の火炎スキルだ。まるでマグマのような魔力の塊が、魔法陣から浮き出てくる。
炎の塊はやがて陣から離れ、緩やかに光の球に向かっていく。
陣がとかれ、すぐに魔術師は防護スキルの詠唱を開始する。
「あたしの腕に触れて」
「うん」
魔術師の体にかけられたスキルがわたしの体に伝染する。体が青く光りはじめて、周囲に円蓋状の半透明の壁が形成されていく。
一方で、上空では光の球と、炎の球が激突しようとしていた。
「来る! 衝撃に備えて!」
魔術師の声に反応して、体をこわばらせた。
周囲が光で満たされた。何重にも張り巡らされた防御壁があるにもかかわらず、強い衝撃に揺さぶられ、吹き飛ばされた。
「いたたた……」
強い光で目がくらんで、周囲の状況がすぐには確認できなかった。
ようやく目が慣れてくると、そこに、あり得ないものが、存在していた。
「ふうむ。力を調整したのがまずかったか。もう少し強めでも良かったな」
周囲は広範囲にわたって木が吹き飛ばされていて、荒れ野となった広場の中心に男が立っていた。
彼の背中には白くて大きな羽が生えていた。
それはまるで……
「天使……?」
わたしは幻覚でも見ているというのだろうか、それとも、本で読んだことのある、神の住まう天界とでもいうのだろうか。
まさか、そんなはずはない。
でも、じゃあ目の前に居るのは?
「おい、石を持っているのは貴様か?」
天使がわたしの方を見て言った。近くに転がっている魔術師は気を失っているのか、それとも死んでいるのか、まったく動かなくなっている。
状況が分からない。なにかを言い返せばいいのか、それとも逃げだせばいいのか、上手く考えがまとまらなかった。ただ、とてつもない恐怖がわたしを襲っていた。はじめて森でクロウに襲われた時よりも、ずっと恐ろしかった。
『貴様かと聞いているんだ!!!』
突然の衝撃に、わたしは膝をついた。頭を鈍器で殴られたような感覚だった。頭のなかに直接声が響き渡っていた。それは、魔術師が使っていた精神感応スキルを、より強力にしたようなものだった。
吐き気がして、地面に伏せたい気持ちを全力で押さえつける。今ここで、目を離しては駄目だ。わたしのなかの野生の勘がそう言っていた。
「し、知らない……」
なんとか絞り出した声は、ひどくか細いものだった。
男は、不自然に口角を挙げて、
「なんだ、喋れるじゃないか。そんな嘘はどうだっていい。早く渡せ」
と言った。その声には、わたしの体を刺し貫くような威圧感があった。
天使が近づいてくる。けれどわたしの体は、硬直魔法スキルをくらった時みたいに身動きが取れなくなっていた。
彼はわたしのすぐ前で立ち止まり、ゆっくりと見下ろした。
「しかし、自由に歩きまわるのもいいものだな。物に触れられるというのも新鮮な感覚だ」
天使が屈んで、わたしに向かって手を伸ばし、その細い指で首をつかんだ。天使は笑っていた。ほんとうに、嬉しくて仕方のないと言ったような笑い方だった。
「一瞬で破壊してしまうのも悪くはないが、こうやって、自分で手を下すのも悪くはない」
――その時
「キュウウウ!!!」
焼き尽くされた範囲外の森から、メルルクが飛び出してきた。普段では考えられないほどの速さでこちらに向かって突進してくる。
「なんだ?」
メルルクが、天使に向かって跳んだ。
「やめて!」
わたしの体を縛っていた恐怖が吹き飛んで、自分でも信じられないくらいの大声が出た。
「くだらん」
天使がわたしの首から手を離し、メルルクに向かって軽く手を振った。ギュ、とうめき声を発したメルルクは、地面にたたきつけられた。
それから、まったく動かなくなった。
「……!!」
わたしは声にならない声を挙げた。あいつが居なくなって、森で一人きりになったわたしの、数少ないともだち。それが、目の前で、動かなくなってしまった。
「ふん、邪魔が入ったな」
天使の指先がわたしの首をつかんだ。触れられたせいか、体が動かせなくなった。
「ああ、念のために聞いておこうか。石を渡す気になったか? どちらにせよ貴様は死ぬことになるが」
「あんただけは絶対に許さない。この石は死んだって渡さない」
わたしは、どうしようもなく無力だ。怒りが、体中を駆け巡っていた。けれど、相手を睨みつけることしかできなくて、悔しくてしょうがなかった。
「もう覚悟は決まっているということか」
「殺すならさっさとやればいい。わたしはあんたの良いなりにだけはならない。我を通すってことはね。自分の考えのためなら死んでも良いって思えることだから。そういうものだって、あいつが教えてくれた」
「あいつ……? まあいい。呼吸できずに死ぬのは苦しいぞ。ここまで手をかけさせてくれたんだ。お前は楽に死なせてやらん」
指の力が増して、わたしは首をつかまれたまま宙に浮いた。苦しい。
あーあ、わたしにもっと力があったらな。結局、こうなっちゃうんだ。数少ないともだちも、守ることができなかった。こんな人生なら、終わってしまっても良いかもしれない。もう一度、あいつに会えなかったことは残念だけれど。
「いつまで持つかな」
指の力がジワリジワリと強くなっていった。




