16:霧の巨人
……大変なことになってしまった。
わたしは、深い森のなかを魔術師を連れ立って歩いていた。知っている限り、最上位の魔術師が、背中から遠くない場所を歩いている。
下手な行動を起こしたら、たぶん一瞬で殺されてしまうだろう。
だけど、わたしはまだ生きている。魔術師がなにを考えているのかわからない。わたしを疑っているのか、それとも本気で信じているのか。
考えている余裕はない。わずかでも動揺を見せれば、怪しまれてしまう。精神感応スキルが、どれだけわたしの心の動きを読み取れるのかも気にかかる。
とにかく今は、魔術師にわたしの考えが知られないように行動するしかない。やれることはほとんど残っていないけれど……
「――るの?」
「へ?」
「なんでこの距離で聞こえないのよ。なんで森に住んでるのかって聞いてんの」
一瞬相手の言葉が理解できなくなって、息がつまった。それからすぐに普通の質問だと気づいて、
「……他に行くところがなかったから」
と答えた。どうもわたしはよほど追いつめられているらしい。
「ふうん。でもさ、途中で出ようとは思わなかったの? だって森でしょ? 美味しいものだってないだろうし、服だって……その下って、もしかして裸?」
「なわけない」
「そりゃそうか。もっといい生活をしようとかって思わなかったわけ? あたしには分かんないなあ。うえー、想像しただけでゾッとする。不便な生活なんて考えられない。だいたい、魔術師になるために必死に勉強したのだって、王都に住めるって思えばこそよ。なのに魔術学校ってなぜか森のなかにあるし、あー、いやなことを思い出してきた」
「思わない。この森を出たって、なにができるわけでもないし」
「なるほどねえ。あたしだったら真っ先に街に出ることを考えるけどな。魔術師じゃなかったら騎士とか、そうそう、知ってる? いまって割と女性の騎士が増えてるらしいのよ。だいたいさ、スキルなんてものがある以上、戦いにおいて男との差なんてあってないようなもんよね。身体強化系のスキルさえあれば、男にだって腕力で負けないし、これは文化の問題だと思うのよね。今までは女ってのは魔術師とかが多かったんだけれど、これからはもっと戦場に出るべきよ。確かに、危険は多いけれどそれにしたって――」
魔術師は、わたしに案内を頼んでから、森の道中、ひたすら喋り続けていた。内容のほとんどがひとりごとのようなもので、返答しなくてもいい個人的な話題を延々と続けていた。
森は深く、どこまでも続いている。木々が高くなり、密集しているから、日差しがここまで届いてこなくて、とても暗かった。
そしてそれは、目的の場所に近づいていることを意味していた。
「気をつけてね。すでに魔物の領域に入っている」
「念のために聞いておくけど、この道であってるのよね?」
「ええ、わたしが見かけた場所から、あなたの言う、ユミルさんが歩いていった方向を考えるとこっちで間違いはない」
緊張が走る。やはり疑われているのだろうか。けれど表情に出さないようにするだけで精一杯だった。自分でも、言葉が堅いことを自覚している。
「魔物のことだったら安心して。あたしにかかれば、たいていのやつは一撃ですんじゃうから」
「甘く見ると痛い目を見るよ」
「やだやだ、あんた、わたしの師匠みたいなことを言うのね。そうやって、油断するなとか、いつもうまくいくわけがないとか、周りのやつらはそんなことばっかり、あたしの出世がそんなに憎いのかしら。たしかに、人より優秀であることは認めるけど、それで悪く言われる筋合いはないってーの。あたしはね。早くこんな仕事終わらせたいのよ。あたしが王直属の戦闘職の一人だって話はしたっけ?」
「はじめて聞いた」
わたしは慎重に応えた。
「そうだっけ、でさ、今回のことだって、あたしが無理やり志願したのよ。だってさあ、直属部隊のなかで、あたしだけ扱いが微妙っていうかさ、っていうのも、魔術師って、使いどころがないからなんだよね。ちょっとした諍いとか、魔物の進行を止めるのに、大魔法っていらないでしょ? 認められるのに時間はかからなかったんだけど、それからが長くてね。最近全然活躍できてないってわけ」
「へえ」
「だからね、今回の機密奪還ってのは、あたしにとって絶対に外せない仕事なのよ。運よく弓使いのバカも帰ってこなかったし、これであたしが手がら総取りよ」
長いひとりごとを聞き流しながら、わたしは周囲の状況を確認する。魔術師の様子からすると、まだ、わたしの考えには気づいていないようだ。
実際、ここは森のなかでも特に危険な区域で、いつ魔物が現れてもおかしくない。それでも魔物に襲われていないのは、わたしは、縄張りギリギリのところを通り過ぎているからだ。
この魔術師には、普通の魔物をぶつけるだけじゃだめだ。もっと強力で、全てを薙ぎ払ってしまうような、そんな力を持った強力な魔物じゃなくちゃいけない。
「なにかがいるわね」
さすがは魔術師だ。わずかな魔力の揺らぎを感じ取っている。わたしも気づいていた。この森の、おそらく最強の魔物が、姿を現そうとしていた。
「だからここは危ないって。逃げた方が」
「でも、やつが向かったのはこちらで間違いないんでしょう?」
「たしかにそうだけど!」
「任せなさいよ。あたしを誰だと思ってんのよ」
彼女は期待通りの言葉を言ってくれた。
その姿は、未だ捉えどころがない。澱んだ魔力に流れが生まれ、わたしたちの正面の木々の間に、形を作りはじめる。
現れたのは、澱んだ魔力が生み出す、霧の巨人だった。森から頭が出そうなほどに大きな体を持ち、自ら攻撃する際にしか実体化せず、斬撃や打撃をまったく受け付けない。
霧の巨人は、自分の領域に侵入する意志あるものを排除する。
魔術師は即座にステータス画面を開き、構えを取った。
「こりゃまた大層なもんが出て来たわね」
「だから、勝てるわけがないんだって!」
霧の巨人は森の奥深くの、ある場所を守っている。攻撃する意思を持たなければ、人間には危害を加えない。けれど、その力は、おそらくグロオルを超えている。
かつて一度だけ、わたしは霧の巨人が動くところを見たことがある。
ギアロ(二足歩行のトカゲ。人間大の大きさで、人語は解さないが、道具を使う知性は持っている)の集団に追われて迷い込んだ時。振り下ろした巨人の一撃は、ほとんどのギアロをひき肉みたいに潰してしまった。それ以来、この場所に足を踏み入れたことはない。
後は、この場をどう切り抜けるかだ。混乱に乗じてこの場を去り、
「――こいつに魔術師を始末してもらう。ってところかな」
!!
わたしの心の声を読むように、魔術師が口にした。驚きのあまり、体が固まる。口のなかも乾いていた。
「いやさ、分かっててあえて、あんたを生かしてたんだけどね。あんたほんとに、スキル使えないみたいだね。あたしがいくら隙を見せても、なんにも手を出してこないもんだから、確信しちゃった」
「な、なんのことよ」
「だめだめ。もうわかってるんだから。一体どんな面白い嘘をついてくれるかと思って泳がせておいたけど、こいつでもう最後?」
完全に読まれていた。わたしの演技などまったく無意味だったというわけだ。
けれど、魔術師は甘く見ている。霧の巨人は人間がどうにかできるような相手じゃない。
ごおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
巨人は、魔術師に向かって咆哮し、その巨大な手を振り上げた。
だけど――
「燃えろ!」
魔術師の詠唱が早かった。巨大な火炎弾が、霧の巨人に激突し、大きく態勢を崩す。
ぐおおおお!!
「こいつをぶつければ何とかなるって、そう思ったんでしょ。違うんだなあ。あたしをそんじょそこらの魔術師と一緒にしてもらっちゃ困るっての。これでも、王国所属魔術師の最高位をもらってるんだから。ちなみに、あたし以外にその称号をもらってるやつはいるけど、100年以上前なんだよね。それだけすごいってこと。あんたはそこでじっとしてて、あいつを始末してから、ゆっくり話を聞きましょう。いくらあんたでも、逆らう気をなくしちゃったでしょ?」
わたしは走り出した。考えはすでに読まれているわけで、なりふり構ってはいられない。とにかくこの場所をいかに切り抜けるかだ。
霧の巨人が倒される、なんてことは考えたくないけど、この魔術師なら、それができるかもしれない。
「ふふ、悪あがきってわけ? いいわ、どんな手を使ってくるの?」
わたしは魔術師に背を向け、霧の巨人に向かって全速力で走った。
背中から魔法で打たれる可能性もあったけれど、そんときゃそん時だ!
巨人はわたしの動きに反応し、手のひらでわたしを潰そうと構えている。スキルもない生身であの攻撃を受けたら、わたしは絶対に死んでしまう。
けれど、この手しか思いつかなかった。巨大な手が、わたしに、迫り、
「んのやろう!」
走った勢いで前に跳び、寸前のところで、下をくぐり抜けた。
後ろで、地面の爆ぜる音がした。失敗していたら、今ごろ体がぐちゃぐちゃになっていたかもしれない。巨人の足元をすり抜け、森の奥へ飛び込んだ。
わたしは、次の策を考えざるを得なくなった。だけど、残されているのはあとひとつ。その策は、成功するとはとても思えないもので、策といえるようなものじゃない。それでもわたしは、森のなかを深く、突き進んで行った。




