13:危機の予兆
とはいえ、人が死ぬのは後味が悪い。
弓使いの死体から離れて、わたしは森の中をふらふらと歩きはじめていた。
今までも、森のなかで息絶えた人間は何度も見てきた。道に迷った挙句、魔物に襲われて、あるいは空腹から毒のある植物やキノコを食べて息絶えた死体を見るのは珍しくない。
それでも、人の命が消えていく瞬間を見るのは初めての経験だった。
一度目は命を狙われていたからそれどころではなかったけれど、弓使いは目の前でゆっくりと死んでいった。吐き気がこみ上げて来て、唾を飲み込む。いやな味がした。そこで初めて喉の渇きに気づく。ユミルと出会ってから、随分と時間が立っていた。
足が自然と調理場の方向に向かっていた。頭はぼんやりとしていて、はっきりしていない。なにかを考えようとすると、死んでいった弓使いの顔がちらついた。
川か水を汲んで口に含む。そこでようやく、少しだけ緊張が解けた。水を勢いよく飲みほして、大きく深呼吸をする。
「あー! こわかった!」
大声を出すと、気持ちが落ち着いた。落ち着くと、今度は弓使いに射られた傷がいたんだ。肩にあたりの肉をえぐった傷は、きつく縛って血を止めてはいたけど、放っておいていいようなものじゃない。
気づいてしまったせいか、痛みがだんだんと強くなっていた。
まずは冷静にならなくてはいけない。わたしの現在置かれている状況は悪い。弓使いの脅威は去ったけれど、次の追手が現れるのは確実だ。相手が罠感知スキルを持っていたから、大半の罠は残っていて、改めて仕掛ける必要はないけれど、だからといって油断はできない。
次はいったい何が来る? 弓使い以上の実力者だとしたら、わたしの力では、今度こそどうにもできないかもしれない。
考えながら、わたしは自分の家に向かっていた。まずは傷の処置をする必要がある。あまりに考え事が多くて、何度か転びそうになった。
肩の傷が痛んで、木を登るのにも一苦労した。部屋にたどり着いた頃には、体力のほとんどを使い果たしてしまっていた。戸棚から薬箱を取り、崩れ落ちるように床に座った。
マントと服を脱ぎ捨てて、傷を確認する。傷口が開き、赤く染まっていた。水で傷口を洗って、周りの水分を拭き取った後、薬箱から消毒と血止めのための傷薬(レヨンの葉と魔物の脂肪から取った油を混ぜ合わせたもの)を取り出して、すりこむ。
「いったあ……」
鋭い痛みが走り、わたしは顔をしかめた。後は傷口をふさぐ必要がある。傷が開かないように片手で抑えて、もう片方の手で粘着質の薬を塗る。弓使いとの戦いでも使った粘着剤の原料配分を変えたもので、一時的に傷が開かないようにするための処置だ。
本来なら、もっと時間をかけて傷が自然に治るのを待つべきだけれど、これからのことを考えて、とりあえず応急処置にした。
粘着剤が傷口を止めたのを確認してから、包帯を巻く。包帯といっても、怪我をした時のために煮沸しておいたぼろ布だ。痛みはまだ残っているけど、少しだけ楽になった気がした。
部屋に置いていた干し肉をつかみ、奥歯でかみしめた。今のわたしには、とにかく栄養が必要だ。もしも、もしも、回復スキルがあったら、と思う。この程度の傷なら、スキルを使用してしばらく放っておけば完全に治るはずだ。きっと、まったく傷も残らない。
一方わたしはどうだ。仮に傷が治ったとしても、その跡はしばらく残り続けるだろう。森に来てからできた傷が、体にいくつも刻まれている。子どもの頃の訓練でついた傷もあるから、どうでもいいことだけれど。
ここに住み始めて随分と傷に効く薬草に詳しくなった。薬草スキルを取っていれば、ひとつひとつ覚えるなんていう苦労をしなくても良かったのに。間違った草を煎じて、数日寝込んだことも一度や二度じゃない。
こんな時、ほんとうに、スキルがあったらよかったのにと思う。
まあ、思うだけなんだけれど。
包帯を巻き終えて、急激に睡魔に襲われた。そりゃあそうだろう。あれだけ動いて、張り詰めて、わたしの体は、頭は、限界を迎えていた。干し肉を食べたことも良くない。お腹が膨れると眠くなることは、分かっていたことなのに。
外に出なくてはいけない。ここから逃げるにしろ、新しい罠を仕掛けるにしろ、動かなければ、追手がやってきた場合に対処できない。
だけど、わたしは結局、睡魔に打ち勝つことができなかった。
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また、夢を見た。
昨日見た夢とは違って、ひどくあいまいで、断片的だった。きっと疲れて、夢どころではなかったのだろう。
走り疲れたわたしは、しばらく地面に座り込んで、ただ、川の流れを眺めていた。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。別に、なにも悪いことはなかったじゃないか。毎日のつらい訓練の日々が終わって、新しい人生が始まる。新しい父も優しくて、わたしを大切にしてくれるし、弟と妹もなついてくれている。
それのなにが不満だったというのだろう。
自分のことが分からなくなって、ただただ途方に暮れた。
後悔しても遅い、すでに帰り道はわからなくなっている。じっとしていたら、魔物に襲われるか、餓死するかのどちらかだ。
わたしは、どちらでもいいと思っていた。もうなにも考えるのが嫌になっていた。
そんな時、あいつと出会った。
あいつは、わたしの考え方を、面白いと言ってくれた。
森で生きていくと決めた時も、スキルを取らないと決めた時も、あいつは、
「自分で決めたのなら、責任を取れよ」
とだけ言って、わたしにいろんなことを教えてくれた。
あの時、森を出ていたら、わたしは、まともな生活を送る道もあったのだろうか。王都に向かい、どこかの店の小間使いとして働くとか、人からものを恵んでもらいながら生きていくとか、あるいは……そんな道もあったのだろうか。
無理だ。あの頃のわたしは、一人で生きていけるほど強くはなかった。だから、森で生きる道しかなかったのだ。
あいつのおかげで、今わたしは生きている。
結局、最後まであいつがなんなのかわからなかった。いつも黒い服を着ていて、暑苦しいったらなかった。わたしがなにか質問しても、いつもくだらない話でごまかして、わたしがほんとうに聞きたい疑問には、ほとんど答えてはくれなかった。
そして、何一つわからないまま、あいつはわたしの前から姿を消した。
もしも、もう一度会えるとしたら、これだけは絶対に答えてもらいたい。人の生きる道を外れてしまったわたしに、生きる意味なんてあるんだろうか。大怪我をした時や、体調を崩した時なんかは特に、自分のことが分からなくなる。
でもきっと、そんな機会は訪れないだろうけれど。
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ハッと目を覚ました。外が騒がしい。起きたばかりで、体と頭を自由に動かせなかった。ぼやけた頭に鞭を打って、今やるべきことを考える。
とりあえずは着替えだ。戦いによって、消耗したものがいくつかある。それをマントの下に準備する。わたしにはスキルがない。だから、準備なしで外に出るわけにはいかなった。
外に出て森の状況を確認する。わたしが眠ってしまったばかりに、敵はもう近くまで来ているかも知れない。逃げるにせよ、立ち向かうにせよ。まずはあたりの状況からできるだけのことを確認したかった。
準備を整えながら、森の音に耳を傾ける。はるか遠くで聞こえる、動物たちの鳴き声、何者かに襲われているような、悲痛な叫び。一体、なにが起こっているというのだろう?
準備を整えて、扉を勢いよく開く。
わたしの居る場所から、そう遠くもない場所に、煙が上がっていた。あれは、薪なんかじゃない。森の木々が焼かれていた。
想定していないわけではなかったけれど、ついにやって来たのだ。
数多くのスキルを有し、極めたものは一国を滅ぼすともいわれている存在。
「魔術師ね……」
わたしは、木から降りて、火の気が上がっている方向へ走り出した。逃げることは考えなかった。自分のことを考えたら、逃走一択だ。なのに、森が燃えているのをみると、我慢できなかった。体が勝手に動き出していた。
わたしは今度こそ、死んでしまうかもしれない。




