11:暗闇の戦い
わたしは準備を終えて、洞窟内部の高台で息をひそめていた。
この洞窟は地中の水脈から水が漏れだし、岸壁を浸食している。天井からは水か浸み出して、常に水滴が落ちているから、地面はでこぼこ。歩きにくいことこのうえない。
さらには、小さな水たまりや池のような大きな水たまりが至る所にあって、油断すると足元がずぶぬれになってしまう。
そんなわけで、常日頃から暗闇に慣れているわたしでも、移動するのに苦労した。
もってこの洞窟の調べておけば良かったと後悔した。でもまさか、ここに敵をおびき寄せることになるなんて、思ってもみなかったから仕方ない。
それでも、最低限の作業はできた。後は相手を待ちうけるだけ。森に来たばかりの頃、魔物の縄張りに自分の意志で踏み込んだ時よりもずっと、心臓が高鳴っていた。
わたしは大きく深呼吸をして、心を落ち着かせる。自分の力を限界まで発揮できるように、精神集中の訓練は日頃から行っていた。
このまま、息をひそめていれば、諦めて帰ってくれるかもしれない、なんていう甘い考えが頭に浮かんだ。けれどすぐさまかき消す。
たしかに、移動する際にできるだけ痕跡を消すような訓練は積んでいる。今まで相手にした程度の盗賊であれば、それで充分だろうけど、今回の相手は力量が違う。わたしの残したわずかな痕跡から、この洞窟を必ず見つけるだろう。
洞窟に、足音が響いた。わたしでなければ絶対に感知できないようなかすかな音。消音スキルを取得しているに違いない。
「おううい。居るんだろお? 出てきなよ」
優しげで、でも耳にまとわりつく、いやな声がした。
「だんまりですかあ~? まあいい。おれはさ、別に誰も殺せとは言われてなんだよなあ。だから、箱さえあればどうでもいい。なあ? 出てきてくれねえかな」
と言いながら、弓使いは警戒を怠ってはいない。わたしを油断させるような言葉を吐いて、場所を知らせることを期待しているのだ。
「この箱っていったい何なの? あんたは誰?」
岩陰に隠れて、弓使いが聞こえる程度の声で言った。言葉を発してすぐに、わたしに向かって矢が飛んできた。隠れていた岩にはじかれ、矢が地面に落ちる音がした。
この暗闇のなか、声だけでわたしの居る場所を判断し、的確に射ってくる。なんて精度だ。
続いて、弓を引き絞る音が聞こえる。
「おっと、外れたか。誰かって? それはこっちの方が訊きたいところだな。この森の無数の罠ってのはあんたの仕業だろ。高度じゃないが、丁寧に作られている。いい仕事だ」
「まあね。褒めてもなんにも出ないけど」
「だろうな。お互いに自分のことを話したがらないのが分かったところで、具体的な話をしようや。お前の持ってる箱をよこせ。おれが言いたいのはこれだけだ」
「返したら命だけは何とかしてくれる?」
「ハハハ! わかってんだろ? 今さらガキのふりなんてするなよ。まったく、同情するよ。どういう経緯か知らねえが、大罪人にからまれるなんてな。巻き添えみたいなもんだが、その箱は誰にも知られちゃいけねえものらしくてな。お前はここでおれに殺されるんだよ」
「だと思った。だったら、わたしも手加減はしない」
「おうおう、やってみろよ。おれもせいぜいがんばらせてもらいますよ」
相手はわたしのことを甘く見ていた。とにかく良く喋る男だけど、力だけは本物だ。全力でかからなければならない。
まずは先手を取る!
わたしは高台から大きな岩を転がした。水の浸食で、岩を用意すること自体は簡単だった。でもそれを高崖まで持ってくるのには、ずいぶんと苦労した。
作業中は、こんなことをしても意味があるのか疑問だったけど、ようやくその時が来たわけだ。
わたしの身長ほどもある岩が、速度を増しながら、弓使いに向かって転がっていく。
当たれ!
「おっとあぶねえ」
残念ながら、弓使いの悲鳴は聞こえてこなかった。
ま、いいけどね。岩は当たらなくても、こちらに策があると牽制することはできた。
「こんな岩、よく準備したもんだ。運んでるところを思うと涙が出てくるね。この手の他にも何かあるんだろ?」
「さあて、どうかな」
「どうせたいしたもんじゃねえ。お前がろくなスキルを持ってないことはわかってんだよ」
「隠してるかもしれないじゃない」
「それはあり得ねえ。おれが喋ってる間に数度、命を狙うことはできた。だがお前はそれをやらなかった。これで充分だろ」
「でも、高いところに居るわたしの方が有利なのは変わらない」
「たしかに、それは認めざるを得ねえかもな。でもよお。弓を扱うからといって、ほかの職のスキルもとらねえってのは、少々読みが甘いんじゃねえか」
弓使いがステータスを開き、何事かを呟いた。すると彼の正面に光の球が浮かび上がり、彼の上空で強い光を放つ。
魔法スキルの一つ、光源魔法だ。洞窟内部が照らされて、わたしの居場所が明らかになる。こうなってはいくら岩を転がしても意味がない。
でも、それは想定済み!
光源が強い光を放つと同時に、洞窟に住む魔物が目を覚ます。魔物化した蝙蝠、ラカムだ。習性は獰猛で凶悪。彼らは光を好まない。
「キイイイイイイイイイ!!」
普通の蝙蝠であれば、突然の光に逃げまどうところだろうけど、ラカムは違う。光を発するものは何であろうと、一斉に襲いかかる。
けれど、弓使いは冷静だった。腰の短剣を抜くと、ラカムに向かって的確に剣をふるう。興奮状態だったラカムも落ち着きを取り戻し、距離を取りながら威嚇をはじめた。
統制のとれた攻撃が、あらゆる方向から弓使いに襲いかかる。
ラカムの襲撃で、弓使いは無防備だ。今なら、あれを当てることができる。わたしは岩の陰から姿を現し、マントから――
ザッ
「つうっ!!」
鋭い矢の一撃が、肩の肉をえぐった。わたしはあまりの激痛に膝をつき、呻いた。
十数匹のラカムを相手にしながら、的確にこちらを狙ってきたのだ。なんていう、技術だ。
「ハハ、残念だったな。少し待っていろ。こいつらを始末したら、次はお前だ」
わたしをあざ笑うかのように言う。ラカムが斬られ、悲鳴をあげながら地面に落ちる音が響いていた。
甘かった。相手の力量を低く見過ぎていた。
肩から流れた血が、腕を伝って地面に落ちた。とにかく、血を止めなければならない。マントから取り出した布で、傷口をきつく巻く。
「ううっ!」
激痛が走る。思考が途切れる。
「おい、情けねえ声がここまで聞こえてんぞ。やっぱり女はそうでなくちゃな。命乞いをするなら、考えてやらねえこともねえぞ」
悔しかった。相手の言葉に、なにより自分の無力さに腹が立った。それは、傷口の痛みを忘れさせてくれるほどの怒りだった。
「なめ、るなあああああ!」
わたしは力を振り絞り、立ち上がった。そして、マントから取り出した皮袋を、全力で、投げた。
「これ以上、一体なにができんだよ」
弓使いは薄笑いを浮かべていた。完全に油断しきっていて、弓を構えることすらしていなかった。
それを今、後悔させてやる。
皮袋は、弓使いの体に当たって、はじけた。
液体が飛び散り、彼の服を赤く染めた。その中身はドルーシュ(魔物の生息地に繁殖する果実)をすり潰したものだ。
ボオオオオオオオオオ!!
そして、岩の間に隠しておいた角笛を吹く。重く、体を震わせるような音が、洞窟中に響き渡った。
ボオオオオオオオオオ!!
角笛に呼応するように、同じ音がした。
ラカムが攻撃をやめ、おびえるように住処へ引き返していく。そこでようやく、弓使いは異様な雰囲気に気づきはじめる。
「おいおい、なにしやがったってんだよ!」
言うわけ、ないでしょ。
この洞窟は、水が浸食していて、地面のいたるところに、水たまりがある。わたしのいる高台から見える、巨大な湖が、波打ち始めた。
洞窟全体が揺れる。未だかつて、試したことのない最終手段。これを使うということは、わたしの命も保証できないということ。でも、試す価値はある。
湖の水面が揺れ、そこから、黒く大きな、まるい体が現れる。この洞窟の主、グロオル。普段は、力尽きて落ちてきたラカムを食べて過ごしている魔物。湖に体をうずめ、滅多に出てくることのないその魔物は、ある特定の音にだけ反応する。
角笛に反応する理由は、よくわからない。鳴き声と似ているから、同族との戦いに備えているのだろう、とは推測できる。動き出したグロオルは、栄養を蓄えるため、周囲の魔物を襲いはじめる。
「ギイイ!!」
天井に張り付いたラカムが、グロオルの長い舌でとらえられた。逃げまどうラカムたちが、次々と捕食されていく。
その姿は、蛙に似ていた。もっとも、それは輪郭だけ見れば、というところで、ゴツゴツとした堅い皮膚が、鎧のように全身をおおっていて、水に濡れ、まがまがしく光っていた。
グロオルが、なにかに気づく。そう、好物の匂いがするはずだ。わたしが弓使いに向かって投げたもの。ドルーシュの香りに誘われて、その巨体を大きく揺すっている。
巨体が、湖から飛び出し、着地する。地面が大きく揺れた。
「まじかよ……」
弓使いが後ずさる。彼がそうなるのも仕方がない。魔物を狩る弓使いはいても、グロオルほど大きな魔物を相手にすることは滅多にないはずだ。
弓使いは、背を向けて逃げ出した。この場所は入口からそれほど遠くない。洞窟の外にでさえすれば、追ってくることはないと考えたんだろう。
その通りだ。でも甘い。
弓使いの動きが止まる。足を動かそうとしても、地面に張り付いて動かない。
「残念でした! あんたはもう逃げられないの!」
わたしが仕掛けた罠は、とても単純なもの。すり潰すと強力な粘着力を発揮するササクサの葉とスライムを混ぜて作った特製品で、強い衝撃を与えると柔らかく沈み込み、しばらくは身動きが取れなくなる。
グロオルは近づいてくる。ゆっくりと、様子をうかがいながら、鼻をひくひくさせて、方向を探りながらにじり寄ってくる。
弓使いはさっきまでの余裕を完全になくして、もがいていた。けれどもがけばもがくほど、ねばねばが体にからみついていく。足を引きはがそうと手を伸ばせば手がくっつき、やがて倒れ込んでしまう。
彼を、グロオルが見下ろしていた。
「うわあああああああああ!!!」
弓使いの叫び声が、洞窟内でこだました。




