007
道行く人々は振り返る。
上流層とまではいかずとも身なりの整った少年と、道端で拾ったぼろ布のようなものをまとった少女が手を繋いで、隣り合って歩いている。
片や奴隷の身であるのは明確、だのに少年はまるで友と遊ぶように連れだっている。
それが、奇妙で、物珍しくて。
「あ、あのっ、ご主人、様……」
「言わせといてごめんね、アイゼンでいいよ。アイゼンさん、とかで。
はい次、そちらさんの名前は?」
繋いでいた手がピクリと震え、少女は下唇を噛む。
「名前、は……ありません。如何様にも名付けください」
「名無しって事はないだろう、その発育なら奴隷小屋で産まれたってわけでもあるまい、に」
そこまで口にして、しまった、と思った。
そう、奴隷の間で産まれたのならばここまで健康的に肉付く事はない。
と、なれば拐われたか。それとも────売られたか。どちらにせよ思い出すには酷な記憶には違いない。
「……私は。質素だけど幸せで、安穏とした生活をしていた私は。死んだんです。だから、私には名前がないんです」
「ん…………過去と向き合えとは言わない。過去を聞き出そうともしない。ただ、その幸せに生きていた誰かは死んだのではなく旅行にでも出掛けたと思っておきな。そいつは近々帰ってくるだろうからね。
だから帰ってくるまではそうだね……ドリス、ドリスって名乗るといい」
「ドリス、ですか?」
「そ、ドリス。ンで困ったときはケ・セラ・セラと唱えるといい」
ケセラセラ、と奴隷の少女改めてドリスが小さく呟く。
「ちなみに『なるようになれ』って意味の言葉だ」
「なるようになれって、そんな乱雑な……」
「いいのさ、テキトーで」
「え……?」
「さっきも行ったけど元いた幸せなキミはその内帰ってくる。つまりドリスと名付けられた第二の人生は割りと早くおわっちまうわけだ、ならテキトーに生きていいじゃない。
風の向くまま気の向くまま。世間の奔流に身を任せて生きる。それでいいじゃない。現に俺もそうしてるし」
元の世界でなら意識の低いヤツ、目標を持たないヤツと蔑まれただろうがここでは気にしなくていい。
死が身近に寄り添い、皆が輝く未来よりも健やかな明日を尊ぶ世界。
生きて、必死に生きて。理由なんて無くとも生きていける。そう信じている世界。
元の世界は確かに発展していて、より生物として優れたのだろう。
しかし、生の本質を忘れてしまった。
人生は塗り絵ではない。決まった色も、塗り分けもない。人の歩んだ道こそが縦横無尽に走り書きされた線画であり、余人が勝手に色を付け、勝手に評価して、勝手に納得する。
なのに線を走らせ、色を置き、作品を誇る事を強いられる。
そういったものが当時を生きた自分には息苦しかった。だから、この世界の方が生きるのに向いている。
あの世界の、若くして死んだ阿伊染はどう彩られたのだろうか。気にならないでもない。
「まあそれはそれとして、目的地に到着です」
「服屋……服を買うんですか?」
「ニュアンス的に自分のだと思ってないみたいだけどキミの服だからね。俺はこんなファンシーな店の服着ないからね」
北国通りと呼ばれる大通りに店を構えた女性向けの服屋。周りの店に負けないよう主張する鮮やかな配色の大きな店看板には額に赤い宝石の付いたネコのような生き物が愛嬌振り撒いて描かれている。
特徴からすると宝石獣に違いない。
「私の服、ですか?」
「そーよその通りよ。いつまでも女の子がンな格好してるもんじゃないの。ほら入った入った」
何故、と疑問符を浮かべて納得していない様子のドリスの背中を押して店に入る。
チリン、と扉の鈴が鳴る。
「いらっしゃーい!」
奥の部屋から糸目の女性がするりと踊り出てくる。
店に入ってから「人生初の女子とお買い物。服を買ってあげるのだし実質これデートでは?」と思い至ったがオトナの階段を登ったアダルティな紳士なので表情には出さず心の中でガッツポーズをした。
「どんな服をお探しですかー?」
「どんな、と言われてもまた困るのだけれどもそれは一旦置いておき、この娘を見てどう思いますか店員サン」
「どうと言われましてもねぇ……」
口ではそう言いつつも律儀にドリスを観察する店員。
値踏みの視線に当てられたドリスの体が緊張で固まる。数刻前まで絶賛販売中の身であったので仕方ないのだが、これは難儀しそうだ。
ドリスには宿のウェイトレスとして働いて貰う気だったのだが、まずは他人からの視線に慣れてもらう必要があるらしい。
ううむ、蝉を卵から成虫まで育て上げたテイマー心が擽られる。
「たいへんかわいらしいのですけれどもぉ……残念なお召し物が足を引っ張ってぇ、ただかわいらしい止まり……ですかねぇ」
「エクセレント、百点満点の回答をどうも。それなら自分にはこの娘の良さを引き出せる服を選べると?」
「もちろん、服屋ですから!」
えへんと胸を張る店員。主張する程よい大きさの胸に心のカメラがシャッターを切る。ありがとうございます。
「時に、カワユイ女の子を好きに着せ替えたいと思った事は?」
「もちろん、服屋ですから!」
服屋関係あるか?
「予算を考えずにコーディネートしてあげたいと思った事は?」
「もちろん、服屋ですから!」
それも服屋関係あるのか?
「ならこの娘を任せよう。店員サンが少しでも似合うと思った物は買いだ。予算なら心配なく、酒場の店主がへりくだって靴を舐めるくらいある」
得た収入から数々の買い物や宿の抱えた不渡りを差し引いてもまだ半分は残っているので驚きだ。
この分だと有り金全て使い込みそうだが、そも労働で得た金ではないので娯楽に散財するのには後腐れなく、女の子のために使うのなら気前よく浪費できる。
「あ、あの……?」
「話に置いてきぼりガールよく聞いてね。俺は少し席を外します、女の子のキャッキャウフフに混ざるのは野暮だしそんな知識もないしね。
そんでまあ、基本は店員の為すがままになるだろうけどドリスが欲しいと思ったのがあればそれも買おう。というかそういう我が儘を言ってほしい」
「我が儘、ですか?」
「そ、我が儘。これからキミがドリスとして生きていく時は我が儘を言ってほしい。
『あ、これは私の我が儘だな』と思ったらその場で口にしてくれ。なんでそんな事をって感じだね、当たり前だけど。
それじゃあ一応訊いておくけど以前のキミ、ドリスになる前のキミは我が儘を言うお転婆娘だったかな?」
ドリスがかぶりを振る。
「だろうね。ならキミは変わらなきゃいけない。
顔も声も思想も性格も、何から何まで同じという他人は存在しない。してはいけない。以前のキミとドリスという少女を等式で結びたくないのであれば、キミは何かしらの変化を得なければならない。
だからキミは、ドリスは我が儘を言う娘になってほしい。それが主としてする初めての命令だよ」
「でも……」
ドリスの瞳は困惑と、恐怖で揺れている。もう少し喜びに類する感情を持って欲しいが仕方のない事だ。
無償の愛、返済義務のない善意。血を通わせた相手なら兎も角、今日あったばかりの人間からされれば怯える気持ちもわかる。
最初は甘く甘く甘やかしておき、後で語るも無惨な仕打ちをするような上げて落とす事でより深い絶望に落として悦ぶ奇々怪々な性癖を持つ輩もいる。
「はい、そういう時の合い言葉は?」
「合い言葉……えと、ケセラセラ?」
「飲み込みが早くてよろしい。そういうことよ、なるようになる、だ」
不安げなドリスの頭を撫でてやると、自分に言い聞かせるようもう一度ドリスが合い言葉を呟く。
一つ二つしか歳も変わらないであろうに何故こんな年上ムーヴしているのか我ながら甚だ疑問ではあるが、ドリスにはそうさせる魅力というか、庇護欲をくすぐるものがある。
「それじゃあ店員サン任せてよろし?」
「ええおまかせあれ。お客さんが十秒で戻ってきても二、三着は見繕いますよ!」
それは頼もしい、とドリスに目配せして店を出る。
とりあえずまたレングダル商会本部へと向かう。この都市に慣れていない以上迂闊な散索は悪手、行ったことのある場所で時間を潰すしかない。
どのみち商会本部へは立ち寄る予定だったのでちょうどいい。
「つーわけでまた来たぜ」
「一日に二度も買うようなモンは置いてねえぞ物好きボウズ」
「あるんだよ物好きボウズだから」
再び採掘師の元を訪れる。
ウィネブへプレゼントしたハウライトの他にも様々な宝石や鉱石の原石が売られているので個人的には宝物庫に等しい店になった。
「また石ころ買って誰かに渡すのか?」
「応さ、贈り物は他人と距離を詰める時の定石だからな」
互いに視線を寄越さずにただ石だけを見つめる。
店主は手元の鉱石をレンズ越しに、アイゼンは各々の石が持つ意味を大脳皮質から引き出しながら物色。
ドリスへ贈る物の目星はついた。あとは女将に贈る物を見出だしたいのだがたいへん悩む。
「おっさんは自分の女房に贈り物するとしたらどれ選ぶよ」
「誰も妻帯者つってねェだろうが」
「左手の薬指が他と不釣り合いに細い。それと作業机の目線より上にある棚に置かれた四角形。
作業で汚れないように、万が一にも鉱石の削りかすが飛んだ時のことを考えて布を被せてある小物が入ってるだろう箱。引き出しに入れないのは帰るときに忘れていかないためと考えると身につける物だと限られてくる。そうなると中にあるのは指輪だとかネックレスの装飾品。んで薬指に何かを長期的に填めていた形跡がある、となれば指輪。薬指ってことはマリッジリング、結婚指輪ってことだ。当たったかな?」
店主が作業をしていた手を止めてふと目線より上に置かれた棚を見る。
図星、のようだ。
「気持ちの悪いヤツめ……」
「まあ彫金師のじいさんから聞いたんだけどな」
「ハナからそう言えばいいじゃねえか」
「やーよ、人づてに聞いた話だけじゃあ鵜呑みにしないのよ俺。他人に話すのは確証を得たときだけさね」
ため息を吐いた店主が加工していた鉱石を置き、席を立ってカウンターに肘をつく。
「……贈らねェよ、仕事は家庭に持ち込まねェ主義だ」
「かぁっくいーーけど何のために質問したかわかってねえのかコンチクショウ」
「女がなに贈られれば喜ぶなんて知るかよ。もうすぐ彫金師のジジイが来るからおとなしくしてろ」
「コーラルなんていいと思うよワシ」
ギョッとした店主が振り向くと作業机に腰かけた老人が、自身の白く長い髭でこよりを作りながら加工途中の鉱石を手にとって眺めていた。
彼こそが件の彫金師、ハウライトを石ころから装飾品に昇華してくれた人物である。
「てめっ、いつの間に」
「コーラル……珊瑚か! ううん確かにアリだな。赤か白か、悩み所だな」
赤は夫婦愛を、白は健康を意味するんだったか。
「んじゃあ赤珊瑚にするとして、健康面でもう一つ欲しいな…………と、これは……」
翡翠の色をした鉱石を木箱の中から取り出す。
「おいこら素手で触んな、エメラルドなんざガキの丈には合わねェよ」
翠玉、五大宝石と呼ばれるダイヤモンドやルビーと並ぶ宝石の一つ。
生命と再生のシンボルでアクアマリンやヘリオドールと同じ緑柱石の変種。
たしかに健康を祈る相手に渡すのなら最適と言えるだろう。
が、これは違う。エメラルド、ではない。
「これとこれ、あと……これか。机借りるぞ」
「おい勝手にっ!」
カウンターを飛び越えて作業机に木箱の中から選出した塊を並べると彫金師はそそくさと席を空ける。
蝋燭の灯に鉱石を透かして拡大レンズでよく観察する。
やはり、鮮やかな翡翠の中にエメラルドにはあるべき線が見えない。
「何がしたいんだおまえは」
「これ、エメラルドじゃないぞ」
「なに? ってオイ!」
アイゼンが鉱石を金槌で軽く叩くと砕けた欠片が机に散らばる。
焦って詰め寄ってきた店主にその欠片を集めて見せつける。
「ほら、割れた欠片。どれも似たような形だろ?」
「それがなんだってんだ」
「エメラルドなら劈開がないからこんな綺麗に割れないはずだ。それにほら」
アイゼンが虚空からナイフを取り出して刃に欠片の一つを押し付けると一文字の傷がつく。
「エメラルドのモース硬度って七だか八だろ? こんなナイフで切った位じゃあ傷なんて付かないはずだ」
「たしかに……じゃあそれはなんなんだ?」
「これは翠銅鉱つって、まあ特に説明するような特徴もないんだけど、とりあえずエメラルドじゃねえってこった。
そもそもエメラルドって六方晶系だろ? これ三方晶系だしエメラルドならもっと中に傷がある」
「……詳しいじゃねェか」
そう言って店主は手帳を取り出して走り書きをする。
今挙げられた特徴をメモしているらしい。手帳には日本語でも英語でもないが何故か読める文字でラザルスと書かれている。
ラザルス、それが店主の名前なのだろう。
「ほー、エメラルドの中は傷だらけだったのか。知らんかったわい」
「ん、まあ宝石として売り出されてるエメラルドはオイルだとかで中の傷が消されてるからな。
それより形をどうするかだな、女将に贈るのは翠銅鉱と赤珊瑚だとして、指輪……は女将の白魚のように白く細長く美しい指には似合わん。イヤリング……は女将の体に穴を空けるとか正気か?」
「イヤーカフなんてどうじゃ?」
「んーーーー女将はなーーーー美人だからなーーーー着飾るというよりは素材の良さを前に出していきたいかんじだからなーーーーーー」
愛しい人への贈り物で悩む。嬉しい苦悶だ。
と、ここで妙案閃く。
「簪、じいさん簪わかるか簪!」
「おーわかるとも、あの箸みたいなやつじゃろ?」
「箸もわかんのね。赤珊瑚と翠銅鉱を使った簪を頼む」
「しかしおまえさんの話を聞く限りその翠銅鉱とやらは加工が難しそうじゃな」
「へいへいお代は弾みますよーっと」
「こりゃどうも」と彫金師がわざとらしく額を叩く。
「そうそう、あとこれ。これはペンダントにしてくれ。細かい装飾はじいさんに任せるよ」
「どこか行くのかい?」
「女の子迎えに行くからおめかしを、な」




