006
ウィネブが摘まみ出されてから数時間。未だ縛られたままのウィネブは椅子に座らせれていた。
「…………はあ、いい加減にこれを解いてくれ」
「そうはいきやせん。あれは姐さんの決めたこと、ならわしらは邪魔させんように努めやす」
「わかっているもう口出しする気はない…………その、もう済んでいるだろうからな、いろいろと。
ただこれからの宿について語らいたいというだけだ。ついでとはいえ世話になる身、旅を介して得た見聞を頼りに宿の助けになろう」
テーブルを挟んで仏頂面をしていたウコンとサコンが目頭を抑えて鼻を啜る。
「泣く事か?」と訊くと震える声で「ええ」と返された。頼れる者も少なく苦労してきたのだろう。
ロープはあまりに複雑な結び方をしていたので二人の手には負えず、仕方なく切った。
「ふう……始めに、宿を運営していくにしてもアイゼンの手助けをいつまでも受けていていいというわけではないのはわかっているな?」
二人がこくりと首を振る。
「なによりだ。この宿の問題としては荒くれ者からの営業妨害、これは私が相手をするから問題なし。悪評の流布についてはまず客が来なければ撤回のさせようがない」
「つまり今わしらにできる事は……?」
「客引き――——だが、その、君らではなくウェイトレスの彼女にしてもらった方がいいだろうね」
会話がつらい沈黙に包まれる。
接客業という観点からだと彼ら二人は向かないにもほどがある。
荒くれ者でも踵を返しそうな強面の男に「うちの店に寄らないか」なんて言われたら「暴行の後に身ぐるみ剥がされて奴隷商に売られるな」ぐらい考えてしまう。
「……懇意のギルドはいないのか? いた、でもいい。資金の目処がついたのだから戻ってきてもらう事もできるだろう」
「できやせん。わしらの尻に火が点いても残ってくれたギルドもいやしたがその報復として依頼が来なくなってやしたので、わしらから頼んで離れてもらいやした。
長く続いているギルドに取ってこの宿に関わる事は禁忌に等しいのが現状でやす」
「お手上げというわけか……」
冒険者という職業の性質上、主な収入は依頼という形で雑務をこなすことによって発生する金銭が報酬となる。
薬の材料になる植物や武具になる鉱物などを取得物としてアイゼンのように換金することもできるが日銭としては微々たるもの、故にギルドを組んだ冒険者らは依頼を絶やさぬよう宿屋と提携する。
宿側は冒険者らに仕事の斡旋を、冒険者らは宿の上客になることで相互利益を生む関係になる。これが都市に拠点を置くギルドの定石だ。
「作りゃいいじゃんか」
「なっ、アイゼン!」
いつの間にか立っていたアイゼンがウェイトレスから水の注がれたコップを受け取っていた。
「この痴れ者がぁ!」
「ががががアームロックはやめろバカ」
怒れるウィネブの拘束から抜けて取っ組み合いながら言葉を続ける。
「俺らで立ち上げたギルドに無所属のやつらを適当にぶっ込んで、依頼だ迷宮潜りだしてれば評判実績共に回復すんだろ」
「しかしアイゼンさんよ!」
「おおっとンな他人行儀な呼び方やめてもらおうか!」
ふと、手四つの姿勢で取っ組み合っていたウィネブの腕から力が抜ける。
「おまえ、まさか……」
「そうよその、まさかよ! 俺ぁここに骨を埋めるぜ、若旦那と呼びな!」
決めポーズをするアイゼンに呆れたウィネブが目頭を抑える。
何故これからの方針を決めたそばからひっくり返すようなことを言うのか。
いや、当人としては変わったというより付け加えた程度の気持ちなのかもしれない。
宿を拠点として迷宮を踏破する、冒険者としては正しい行程だが本気でレンと共に宿を営むというのなら命を落とす危険のある冒険者を兼業するべきではない。そのくらいわかっているだろうに。
「つーわけで娼館行ってくるね、五ラウンド目突入しようとしたら女将に本気で蹴り出されて悶々としてんだ。宿の事は任せろ~い!」
「任せろったって、アイゼ……若旦那ぁ⁉」
「いい、いい。行かせてやれ、ああは言っているがこの都市の地形を把握しに出たのだろう」
掴み所がなく、言葉が浮くように軽い男だが裏腹に真面目な所がある。
転移魔法の制約として移動する先は情景の細部まで思い浮かべないといけないらしい。
この規模の都市を隅々まで見ようとするとなら一日二日では足りないだろう。
昼も過ぎてそろそろ日も落ちてくるころだ。すぐ帰ってくるだろう。
…………あいつなら本当に娼館に行った可能性も大いにあるが。
「はあ、ウィネブの兄貴が言うなら……」
「帰ってきたらウィネブの兄貴からも言ってくださいよ……」
「ちょっと待ておまえら」
奥に引っ込もうとした男二人の首根っこを掴んで座らせる。
「なぜ、私が、兄貴なんだ」
「そりゃアイゼ、若旦那のお連れさんですし」
「正直若旦那より頼りになりそうですし」
早速従業員の心を取りこぼしているが大丈夫なのかアイツは。
しかし、よくない。これはよくない。
ウコンにサコンが少年少女であったなら敬われて悦に入らないこともなかったが現実はどうだ、顔面凶器と言って差し支えない男たちが年下であろうを兄と呼ぶ。
周囲の目を考えただけで顔を覆いたくなる。
それよりなにより、と思ったが今言うことでもない。
「兄貴はやめろ、ウィネブでいい。それよりもおまえたち二人は外回りに行ってこい。
敬遠されていても恩情のある相手はいるだろう。それに『金の問題は無くなった、宿は続けられる』そう告げるだけでも変わるものがある」
「そ、そうか。おいサコン行くぞ、オズマのジジイを煽ってやらあ!」
意気揚々と飛び出していったウコンとサコンを見送り、ウィネブがため息を吐く。
本音としては早く遺物捜索の旅に戻りたいところだが、乗りかかった船、今さら外野には戻れない。
それに、寝床の無償提供というのは言葉にならないくらいにありがたい。
元より路銀は多くない身、少しでも出費が抑えられるに越したことはない。
……どこに居ても帰ってこれるのは、あの男のお蔭という制約付きだが。
「…………忙しくなりそうだな、この宿は」
「あなたも忙しくなるんですよ」
にっこりと笑うウェイトレスに苦笑いを返して運ばれてきた水を一口飲んだ。
大鐘塔。この都市では外壁の次に背の高い建造物で下方には孤児院を担う教会がある。
一日の境に独りでに鳴る特別な鐘で都市に住む人間は鐘の音を合図に仕事を切り上げ昼食を摂る。
鐘の手入れに時たま人が訪れるくらいで、日頃は滅多に人が来ない。
アイゼンは、そこから景色を一望していた。
「ンーやっぱ高い所は気持ちいい。全体を見渡せるしな。もうちょい細かいディテールまで見ないと転移は無理だけどそれはそれ、ここをマイフェイバリットスポットに認定します」
喧騒から遠く、爽やかな風が流れてくる。薫風が緑の香りを運んできて心が安らぐ。
一人になりたい時には持ってこいの場所だ。
「さて────」
念のために後方確認。右ヨシ左ヨシ。
深呼吸を一つ。
「ォォォォォオオオオオオアアアアアアアァァァァアアアァァァァァ………………!」
知的生物とは到底思えない魑魅魍魎染みた呻き声が鐘の内側に反響する。
鐘を手で抑えて頭を打ち付ける奇行も相まってもはや純粋な狂人だ。
後に「鐘が独りでに鳴るのは教会に封印された悪魔が呻き声と共に暴れているから」、という噂が立つのだが知る由もない。
「やーーーーーーっちゃったなオイ異世界オイオイ。風俗でもないのに出会って即日だぞオイすげえなオイ異世界」
しれっと貞操を捧げた事と女将との睦事を反芻して、頭のネジがいくつか落ちた。
金のチカラって凄い、改めてそう思った。金、暴力、某。ううむ、悲しいことにこれ世の真理よな。
我ながら死んだ直後でも冷静にドア・イン・ザ・フェイスで取り引きしたの優秀すぎて褒め称えたいな。賛美歌でも作ってしまいそうだ。贈る相手は自分なのに。
チート扱いなんて中世ファンタジーには高校までの義務教育知識を持ち込むだけで十分だ。
そも現代に十数年生きた身体を持ち越せただけでも反則行為。文字通り地力が違う。
もちろん魔力だなんだとのフワッフワした不思議エネルギーの分は含めず、いや、それを差し引いたって荒事に首を突っ込まなければ死ぬ事は早々ない。
長寿というだけで生物という単位ではパフォーマンスが上回っている事になる。
この世界にとって風邪は大事かもしれないがなんのその、此方は一日寝ていれば治る。
それほどまでに、衛生面がおざなりな世界での抗体、耐性というのは凄まじい。
下品な話だが、病に強い、単純であるがそれだけで子種をねだる貴族も多いだろう。
(スンゴイ悶々とする、本当に娼館行くか?)
女将を想うと頬が緩むがそれはそれ。無慈悲ながらも愛と性欲は別のもの。
このまま放置しておくと女将に夜這いを仕掛けそうなので発散しておくのもまた彼女のためになる。と、思っておきたい。
「……や……イヤ……っ!」
「このっ…………の……分際で!」
心地よい風に乗って心地悪い言葉が流れてきた。
降りかかったわけでもない面倒事には首を突っ込みたくはないが、この耳に届いてしまった以上は縁有り。
然らば男アイゼン向かう他なく。
ナチュラルハイなのは言うに及ばず。
◇ ◇ ◇
商業都市ブルンスムンニは立地上、関所の役割を担っている。国を跨ぐ門など他にいくらでもあるが都市を挟む以上、安全面はピカイチ。
中心部にはレングダル商会の本拠地が円状にぐるりと構えられ、そこから各国へ向けて大通りが三本伸びている。
大通りの道からはまたいくつもの道に繋がっていて、さながら迷路のように入り組んでいる。
冒険者が始めに訪れる迷宮ブルンスムンニと言われるほどに複雑で、それ故に人目につかない、治安の悪い区画も存在する。
そう、今まさに少女が暴力を振るわれているように。
「イヤっ、やめてっ!」
「このっ……おとなしくしろ!」
腹の出た奴隷商の男に殴られた少女が地面に倒れる。
元より土汚れたぼろ布を継ぎ接ぎした服もどきが色濃く土色に染まる。
奴隷。本来なら少女という呼称も使われない、労働力としての奴隷という一単位。
道行く人は少なからず存在する。濁った瞳の若者や慎ましくも健全な生活を送る老婆さえも。
さりとて視界の端で行われる暴行を気にかける者はいない。
奴隷が殴られる。ありふれた光景だ。小鳥が花を啄むのと同じ、野良犬が道に糞をするのと同じ。
歯牙にかける必要もない、ただの自然事象。
運がよければこのまま終わり、悪ければさらなる暴力、陵辱が行われる。
それだけ、たったそれだけなのだ、彼らにとって。
虫を踏むのに躊躇はいらない。草を毟るのに躊躇はいらない。ただそれと同列な事が行われるだけ。
────今回を除いて。
「天誅!」
「痛ァ⁉」
男の頬に硬貨が勢いよく叩きつけられる。
「俺ぁ岡っ引きでもねえし銭も寛永通宝じゃねえがそこは倒れろぃ!」
「このガキ……いきなり出てきてなんだおまえは!」
「犬笛にむせび泣く男、スパイッ……なんでもねえや。
いやーこっちの世界では問題なくても婦女暴行を見逃せるほど冷めきってなくてね、おやめなさいって言いに来たワケだ」
本来なら放っておく。自分から助けに入ったりなどしない。耳にした程度では意識も向かない。目にしたのなら五分五分。求められれば九分九里。
しかし今は熱冷めやらぬウルトラハイ。気分がよければ周りに善行の一つや二つしてやろう、そんな気分。
「偽善者め……こいつは奴隷だ、俺の商品だ! どうしようと俺の勝手だろう!」
「おっ、テンプレート。いいよじゃあ買う買う、おいくらハウマッチ?」
「ちっ、なら銀貨十……いや三十! 銀貨三十枚だ!」
ぼったくり。足下を見られている。銀貨は主に家具や上質な雑貨の売買で取り扱われるものだ。日用品での出番なら専ら銅貨が相応しい。
まあ、奴隷とはいえ人間が日用品と同列の価値なのは考えものだが。
「はいはい銀貨ね、ならそれ拾っていいよお買い上げ。お釣りもいりゃあせん」
アイゼンの指の先、男の足下に視線が行く。
先ほど投げつけられた銭、もといヴェスター金貨。
宝飾や資産に類するもので取り扱われる価値の硬貨。
思わぬ物を見た奴隷商が目を丸くしながらも慌てて拾う。
「ほーれほれ、一枚じゃ足りんかそれそれ拾ってこーい」
明後日の方向に金貨が緩やかに放られると、欲望を剥き出しにした奴隷商が走り去る。
もちろん転送して回収してあるので見つかるはずもなく、欲深ければいつまでも地べたを這いずり回っているだろう。
「さてお嬢さん、一連の流れを見てたならわかる通りご主人様です」
怯えた目をした少女に語りかける。
亜麻色の髪はひどく痛んでいて、頬には泥が付いている。
「あの、私、金貨なんてそんな、そんな価値無いですよ?」
「そうなの、じゃあそんくらいの価値が出るようにがんばってね。ほら立って、行くよ」
少女はきっと忘れない。どん底にあった自分を引き上げてくれたその手を。
橙色に侵される空を背に見たそのしまりのない笑顔を。




