005
パリン。
グラスの割れた小さな音だったが気の張りつめたウィネブを驚かせるには十分だった。
「す、すいませんっ!」
「いんやー、おねーさんこそ怪我ない?」
「はい、大丈夫です……」
「ならよし、気をつけてね。んで、なんだっけ?」
大事そうな話の途中だったと聞き返すとウィネブは言葉の出かけた口を閉じて椅子に凭れる。
「…………いや、なんでもない。忘れてくれ」
「そうかい」
アイゼンが運ばれてきたお冷やを一息に飲み干す。
(茶々程度で濁すとは……難題そうだな)
グラスが割れたのはウェイトレスの不手際ではなく、アイゼンがトレーからグラスを転送して故意に割った。
アイゼンとウィネブの関係は数日宿を共にした同行者、案内人。それ以上でも以下でもない。
なれば要求に応えても応えなかろうと不義理とは言われまい。
しょうもない内容であれば多少の茶々にも構わず話を進めてくるだろう、そうであればテキトーにあしらう気だった。
ウィネブとここ数日寝食共にしてそんな事を持ちかけてくる人間でないとわかっていたが、案の定早々口にできる要求ではないらしい。
「それで、このあとおまえはどうするんだ?」
「あん? 娼館行くけど、おまえも来るか?」
運ばれてきたパスタをつつきながら答える。
「誰が行くかバカ。そうではなく今後、これからのおまえの生きる道を訊いている」
咳払いしてウィネブがパスタを巻きながらそれとなく訊いてくる。
このパスタが思いの外絶品だ。
「あー、それね。んー………そうねぇ、ぶっちゃけ今後遊んで暮らせるぐらいの金が入ったからねえ」
「そんなにか?」
「レングダル商会が抱える総資産の十二分の一、だったかな。まあついでの買い物でいくらか減ったが」
ウィネブが驚愕と共に辺りを見回した。
しかし閑古鳥が鳴く店内は二人組の厳つい男たちが煙草を吹かしているくらいで、あとはウェイトレスが床をモップ掛けしていた。
「……ならその腕輪を収入源に生活するのか?」
「そうさなぁ、生きるうえで苦労が少ないに越したことはないが別に平坦な日常を送りたいわけでもねえからなぁ……」
パスタを啄みながら唸る。これが放浪人の悲しいところだ。
勇者として転生したのなら魔王討伐だのと目的を目指して冒険すればいいが、勇者は別にいるらしいのでそれも叶わない。合流したいところだが各地を旅している人間に会うのは難題なので却下。
そもそも求められてこの世界に喚ばれたわけでもないので惰性に生きるしか道はない。
「まああれかね、当面はおまえにお供するさ」
「…………何故だ」
「一宿一飯の恩義ってやつだ。俺の転移魔法があれば野宿の心配もいらねえぞ」
揺れ動いているのかウィネブのパスタをつつく手が止まった。
「…………迷宮巡りばかりだぞ」
「構わんさ。構わんからその迷宮ってのがどういうものなのか教えてくれ」
テキトーな物言いに呆れつつも、ウィネブは食事を再開して迷宮の解説をする。
「迷宮というのは主に財宝を溜め込んだ魔物の巣を示す。その殆どが放棄された坑道や自然の洞窟で地下に伸びている」
「はいはい質問、なんで魔物が財宝なんざ溜め込んでんの?」
「さあな、魔物に訊け。ただ、研究家によると人間をおびき寄せるためと言われている。闊歩する魔王が仕組んでいる、ともな」
ううむ、たしかに効果的だ。
人間ほど欲深い生き物もいない、と思ったがこの世界には所謂ヒューマン族以外にも存在しているんだった。
要は知性と強欲は切り離せない関係にあるということで。
わざわざ魔物の住み処に来るということは少なからず腕に自信があるということだ。それも単独ではないだろう。編隊を組んだ蛮勇が売りの冒険者たち。
驕った愚者といえど戦力は戦力。人間サイドの戦力を放置しながらも削れるというわけだ。
「それとは別にもう一つ、初代勇者が後の世に降りかかる災厄にと残した遺物、西国風に言えばアーティファクトだな、それが収められている迷宮がある」
「ンな面倒なことせずに始めっからお国の金庫にでも入れときゃよかったじゃねえか」
「赤子に剣は命取り、相応の人格と能力が無ければ使いこなせないどころか身を滅ぼすということだ」
「(しれっとことわざみたいのが出たな)でも国から派遣された兵士が回収して王様の手に渡るんじゃ意味ないだろ」
「いいや、初代勇者が遺物の護り手として契約した聖竜族は並大抵の戦士では倒せないからな、遺物が誰の手に渡るにしても力ある兵士たちが存在しているという事実に繋がるからいいのさ」
そういうものかねえ、と納得しないままパスタをつつこうとしたらフォークの先には皿しかおらず、いつの間にか完食していた。
「魔物たちの迷宮は主に下へ伸びるのが多いことから地下迷宮。勇者が遺物を残した迷宮は塔が多い事から天守塔と呼ばれている」
ふと何故、異世界なのに日本語だ英語だが浸透しているのかとかなんで文字が読めたのかとか疑問に思ったが解明するには今生を費やす必要が感じられたのでファンタジーの恩恵として処理することにした。
「てぇことはあれか、俺らは基本後者を巡るわけか」
「そうとも言い切れなくてな、魔物たちの集めた財宝といっても不定形な物だ。
絢爛な装飾の宝剣と思っていたら実は神代に打たれた名剣だったりするからな、どちらも踏破するつもりだ」
「なるほどね、おまえの探し物は武器ってわけだ」
「っ、抜け目のないやつめ……」
ふふんと得意気に鼻を鳴らしているとウィネブの背後から自分たちを除けば唯一の客である強面の二人組が此方に向かってきた。
こんな状況悪い事しか起こらないだろうに、不思議と嫌な予感はしなかった。
「お兄さん方、話は聞かせてもらいやした」
「どっからだよ」
「地図を取り出したあたりからです」
「始めっからじゃねーかテメー。んで、なんの用事だよ」
アイゼンがひっそりと机の下に潜らせた手に短剣を握らせる。
始めから聞かれていたとなると遺物をいくつも所持している事、莫大な資産を得た事が知れている。
それを踏まえたうえで怪しげな男たちが話しかけてきたとなると世間話で終わる気がしない。
ちらりとウィネブに目配せすると、同じ事を考えているようで目で返答してきた。
幸いと言うべきか周りに客はおらずウェイトレスも遠い。荒事になろうとすぐさま鎮圧できる自信がある。
そう身構えていると、
「────わしらに金を貸してくだせえっ!」
カタギではない風体の男二人がその場で頭を地面に擦り付けた。ジャパニーズソーリー、もとい異世界土下座。
湯水のように軽口を叩くアイゼンも流石の事態に言葉を失った。ウィネブも言うに及ばずだ。
「…………あー……理由を聞かないとなんとも言えないな」
「お、おい」
反対するウィネブを目で制する。
このテの輩は見た目ほど怪しい存在ではない。融資をして金を出させたら殺す、なんて事をするつもりの人間はまず頭を下げない。
人間としての自尊心よりも個人としての誇りの方が大事なタイプだからだ。
「不祥事と女に対しては鼻が利くから安心しろって」
「安心する要素が一つもないぞ」
「まあまあ、話してくれ」
「ありがとうございやす、実はですね────」
二人はこの宿屋の従業員で、顔を伏せたまま今この宿がどういう状況にあるのかを連々と語る。
要約するとこの宿は都市一の老舗で、今まで上手くやっていたがここ数年は営業不振。世代交代で宿屋の主人がすげ代わった途端に営業妨害が発生した、と。
ざっくばらんに言うとご近所トラブルというわけだ。
「えーと、ウコンとサコン……だっけ?」
ヘイと面を上げる男二人。
顔に斜線状の傷がある角刈りの男がウコン。頭を丸めた身長百九十センチの大男がサコン。
あきらかに営業不振の片棒を担いでいるであろう極道スタイルだが今は捨て置く。
「話はわかった、金を貸すのにも問題ない。が、そもそも宿の主人が頭を下げるのが筋ってもんだろ?」
「……仰る通りで。しかし今、この宿の主は床に伏せておりまして…………」
「病か、かまわんよ。一言二言話せれば十分だ」
二十数世紀で培われた抗体は滅多なことでは犯されない。
もちろん風土病であればその限りではないが、如何に清潔を保つかのノウハウがある分対策も取りやすい。
「医者も匙を投げた正体不明の病でして、それでも?」
「お目通り願いたいね。それに医術には造詣がある、俺ならわかるかもしれない」
「…………わかりやした、ご案内いたしやす」
ウコンとサコンが顔を見合わせると立ち上がり、ウェイトレスに一言耳打ちする。
案内に従いカウンター席近くの階段から上に上がる。さきほどから黙りこくったウィネブは疑り深く、左手を剣の柄に置いたままだった。
階を二つほど上がって三階の廊下を突き当たった部屋の前で待つように言われて待機する。
ウコンが説明をするために先に部屋へ入る。
「襖だ……」
木枠に紙が張られた引き戸。知っているものとは少し異なるが面影がある。
ぼそりと漏れた言葉をサコンが拾う。
「もしや、ひんがしのお方ですかい?」
「ん、まあそんなもんだ。あんたらもだろ、名前の雰囲気でわかる」
漢字を当てるならば右近と左近あたりが相応しい。
対になる名前だが二人は兄弟なのだろうか。
「いえ、わしらは昔ひんがしの国から渡来してきた者らの子孫でして、実際にひんがしの土を踏んだこたぁございやせん」
「老舗つってたしな、なるほどそういうのもあるか」
国籍は日本でも血は純潔の外国というのもよくある話だ。
もしかするとヒューマン族の中でもまた人種の分類があるのかもしれない。国籍ではなく生物学的に。そうなるとまた興味深い。
知的好奇心が鎌首をもたげていると、襖が開かれウコンが顔を見せた。
「お上がりくだせえ」
靴を脱いで入るアイゼンを見て、そのまま上がろうとしたウィネブが慌てて鉄靴を脱ごうとするがそれには脛当ても外さないといけないので、渋々といった様子で鎧自体を消した。
病人と会うのに武装しているのもおかしいと自分に言い聞かせている風だった。
部屋の奥に進み、ウコンに手伝われながら上体を起こすその人物を見てアイゼンに衝撃が走った。
「女将、黒髪の方がアイゼンさんでやす」
「ごほっ…………どんな物好き爺が来るかと思えば、まだガキじゃあないかい」
咳き込む女性、目測にして齢二十後半。
色白く、握れば折れそうな華奢な首や腕。
強気な目付きをしているが病に参っているのか黒耀の瞳の光は淡い。が、深奥には折れることない屈強な生命の光を灯している。
「好きだ」
「はぁ?」
「おっと心の声が。改めまして若女将、俺は名をアイゼンという」
「ごほっ……レンだ」
一応は挨拶を返す女将。当たり前ではあるがその瞳は警戒色が強く、見定めている様子だった。
「さて、話は聞いていると思うが俺には融資する意思がある。が、要求する条件、というか見返りが二つある」
「お、おい、無償で貸してやらんのか?」
大事な交渉を切り出そうとした矢先に背後から小声でウィネブにせっつかれる。
「あのなあ、俺も聖人君子じゃねえんだ見返りの一つや二つ要求するっての」
「弱きを助け、強きを挫くのが正義だろう!」
「俺は弱きを嬲り強きを弄ぶ外道なんでな。つーかせめて要求の内容聞くまでお黙り」
「ぐ……」
言いたい事はあるが内容を聞いてから異を唱えろという意見も一理あるので素直にウィネブは引き下がる。
「それじゃあ失礼して。まず一つ目、宿の料金、それから飯代、これを無償にしてもらうこと。ついでに後ろの騎士サマの分も。
もちろんこれは俺の援助無しに宿が立ち行くようになるまででいい。安定したら融資者からただの常連客になるから安心してくれ」
「それくらいかまわないよ。元よりあんたの金だしね」
心の中でガッツポーズ。これで拠点が手に入った。
たとえどこに旅立とうが転移でいつでも戻ってこれる。これで野宿の心配もなしだ。
経験してわかったが現代っ子に野営はつらい。
虫が湧いたり夜警で交代交代に見張りに起きるのはまだいいがいつ猛獣や野盗が襲ってくるかしれない状況下では満足に睡眠がとれない。由々しき問題だった。
「そりゃ上々……時に女将、あんたも東の血筋かい? 綺麗で艶やかな黒髪をしている」
「そうさ、代々同じ血筋が継いで先代がアタシの祖父。おっ死ぬ前に急いで継いだのさ」
世辞に無反応でちょっと傷心。
「ふむ、両親は?」
「さあてね、父親は東の国に帰りたいと出てって行方知れず、母親はアタシを産んですぐ病で他界…………今思えばこれも遺伝だったのかねえ…………ごほっ!
……で、回りくどい世間話なんてせずにさっさと用件を言いな。どのみちこの宿を残すためには首を縦に振るしかないんだ」
きっ、と衰弱した目で、それでいて誇りを失わない鋭い眼光に心をくすぐられる。
やはり愛しい、という思いとついでに言葉にする羞恥が湧いた。
「男が女に求める事柄なんてそういくつも無いと思うがな?」
「!」
「貴様ァッ!」
「うごごご……なんでおまえがいの一番に手ぇ出してんのぉ……?」
憤慨したウィネブにアイゼンが締め上げられる。
襟を掴まれ持ち上げられているので気道が締まってアイゼンの顔が青くなる。ウィネブは本気で怒っているようだ。
「まったく……病人のカラダを求めるなんて物好きにも程があるね。おまえたちは手出しするんじゃあないよ」
女将が傍に控えていたウコンとサコンに釘を刺す。
「な・に・が要求の内容を聞いてからだ! 今この場で貴様を断罪するっ!」
「ぐぬぬ……ィエスケープエァンドブゥワインドゥ!」
アイゼンが転移で拘束から抜け出し、袖から取り出したウロープでウィネブを縛り上げる。
「ほっほっほ、どうだこの見事な梯子前手縛りと一本縛り。女の子にあんな事やこんな事するために必死に覚えたんだ抜け出せまい」
「くそっ、おい解け腐れ外道!」
「はぁん……その状態でそういう態度とっちゃうわけ……」
アイゼンが両手をほぐすように柔軟すると関節から小気味いい音が弾ける。
「な、バカ、おいやめろ…………男同士だぞ!」
「…………へぇ、そういう事言うんだ…………と思わせといて、お二人さん、今から俺は女将と素敵な時間を過ごすからこの無様な騎士サマを下に運んでもらっていいかな」
ウコンとサコンは女将の顔を伺うが、何も指示されないのを確認してウィネブを担いで階段を降りていった。
担がれたウィネブから散々な悪態を吐かれたが今から始まる出来事を考えれば毛ほども気にする必要はない。
「いざ実食、と行きたいところではあるけども。触診するぞ女将」
「しょく……医者の真似事でもしようってかい」
「そーよお医者さんプレイよ。瞳孔……はいいや暗くて見えんし、口開けて舌出してくれ」
いそいそと女将の枕元に膝を寄せるアイゼン。
出会って間も無く得体の知れない男ではあるが、少なくとも今は悪意を感じないと女将も素直に従う。
…………初対面でカラダを求めてきた男に悪意も何も無いと思うが。
(咳をしていたが咽頭に腫れ……なし、舌も歯茎も血色はいい。熱……もない)
淡々と、真剣な眼差しでレンのコンディションをチェックする。
ぬらぬらと鈍く照り返す口腔に邪な劣情を抱くがそれはそれ、今出すべき感情ではないと邪念を断つ。
(ぬ、脈が弱いな……俺はこんなにドキドキしているというのに)
レンの首筋や手首に指を当てて脈拍を数えるがどうにも少ない。しかしながら触診でこれといった異常は見られなかった。
ぬう、とアイゼンが唸る。女体なので乳がんだ子宮頸がんだと固有のものもあるのだろうが如何せん触診程度ではわからない。
それに、元の世界には存在しない、この世界特有の病気という可能性もある。
「なんにせよこりゃあ普通の病気じゃねえな……」
「今さら都合よく治るだなんて思っちゃいないさ」
物憂げに吐き捨てるレンにアイゼンはかける言葉もなく、気不味そうに額を指で掻く。
「じゃあ本題に入ろう女将、実を言うと本来要求は前者の一つだけのつもりだったんだ。というか宿の主が女って知らなかったしな。
なにが言いたいのかというと、だ。女将、惚れた。俺はレンに一目惚れした」
「────」
「それでも出会って早々カラダを要求するなって話だろうがなんというか一秒一瞬でも自分のものにしたいと思ったおおう恥ずかしいこと言ってる俺って独占欲強かったんだな女々しいがまあそれも愛嬌ということで女将好きだそれはそれとしてもういいか襲っていいかちなみに女将は初めてか俺は初めてだ故に至らないこともあるだろうがしかしそこは若さ迸る熱いパトスで乗り切るから安心してくれ女将好きだあっ暴発しそうさっきの触診で火が点いた女将もう触っていいか触るぞ女将あっでもこういうのってどこから触ればいいんだわからんぞ女将好きだ海外エロフラだったら腕とか脚だけどどうなんだろう好きだ女将あっ爆発しそうもういいや愛のままに我が儘に触るぞ女将好きだ」
「あ、あんたちょいと待ちぃひぃ⁉ きゅ、急に触るんじゃないよっ!」
頬に手を添えられ、指で耳をくすぐられたレンが上擦った悲鳴を上げる。
大人らしく退廃的でアダルティな雰囲気を纏っていた女将からの意外なかわいらしい悲鳴で男心に燃料が投下されていく。
ガソリンどころではない。ニトログリセリンだ。爆発しそう。どことは言わないが。
「ああ、女将は耳が敏感なのかカワユイなぁ……」
「こ、らぁ……人の、話、を…………っ」
声が艶やかになるのに気をよくしてアイゼンのボディタッチが増える。
一応は、真っ昼間だった。




