001
晴れた空、見渡す限り青々と広がる草原。大きな隆起もなく、緩やかな丘がほつほつとあるくらい。馬の一頭でも駆け回れば絵になることだろう。
しかしその光景には動物の影は一切なく、小さな人影だけがよろよろと彷徨っていた。
「は、ら………へっ………」
バタリ、とその言葉を最後に倒れこんだ。それが最後、もとい最期の言葉になるやもしれないが、非情かな。辺りに人の気配はなく、それどころか屍になるのを待っているであろう大きな鳥が頭上で大きな円を描いて旋回してさえいる。
「…………ん?」
それから暫くして、救いの陰アリ。体を覆い隠すように外套を纏った人影が近づいてきた。
目深くフードを被ったその人影は屈んで倒れ伏した『それ』を小突く。
「行き倒れ…………こんな所にか?」
女性とも男性とも取れる低い、ハスキーの効いた声。
こんなのどかな地で伏す少年を疑いつつも、担ぎ上げる。
「こんな所で死なれても、な……」
少年を担いだまま歩みを進めるローブの誰かは不謹慎とは思いながらも変わらぬ景色に飽きた暇潰しに少年の倒れた経緯に想いを巡らす。
手持ち無沙汰な様子から察するに近場の村からこの先の村まで行くまでになにかトラブルでも起きた、というところだろうか。外傷が無いことさえ除けばそのセンが強い、のだが。
「……わからないな…………」
少年の腕に填まっている金の腕輪、物取りが見たら即座に奪いにかかるであろうこの高価そうな腕輪。
こんな物を持てるのは貴族や王族といった所謂上流階級の人間だと思うのだが、それならばお供の一人でもいないとおかしい。
あの臆病者たちは自分が死ぬのを何よりも恐れるのだから。
「ふ……他人の腹に探りを入れるものではない、ということか……」
わからない事に頭を働かせるのは不毛だ、それなら無心で歩こう。
目的地はもうすぐだ、どうしても気になるならば起きた少年に訊けばいいと自分に言い聞かせる。
唸る鉄板、溢れる肉汁、匂い立つ牛肉。ステーキ。キング・オブ・ビーフ。シンプル・イズ・ザ・ベスト。単純且つ王道、しかして一番美味しい牛肉の使い方。オニオンソースはお好みで。カロリーの魔物いざ食らわん。
「────肉ゥッ!」
腹の虫に起こされる。それを食えと叫ぶ声。肉、それはこの世で一番の食べ物。所説有り。
「やあ、おはよう。ちょうど食べやすくスライスしたところだが……食べるかい?」
「モチのロンよ!」
理性よりも本能が勝ったのか、「自分はどうしたんだ」や「あなたは誰?」なんて当たり前の言葉よりも肉を喰らった。分厚い肉に食らいついた。
この少年であれば理性が勝っても同じ事をしたかもしれないが。
自分の指ほどの厚みのある肉に犬歯をぐっ、と差し込む。
ジュワ、と破裂した水風船のように肉汁が溢れだし、一口に収まるようにスライスしてくれていたお陰で、その一切が口から零れ落ちることなく舌に滑り込む。
この液体はカロリーと旨味によって作られたハイブリッド。
ゴクリ、と生唾を飲み下すように咽を鳴らして飲む。そして、あらゆる器官が盤上一致で声をあげた。
「ンマアアアァァァイィィィ!」
立ち上がり身体を使ってその歓びを表す。スタンディングオベーション。静かな村の、ちょっとした小料理屋でスタンディングオベーション。
周りから何事かと視線が集まる。
「食事は静かにね?」
「あ、ごめんなさい」
着席してしずしずとおとなしく肉を頬張る。
集まっていた他の客からの視線も次第に散っていく。
二口三口水を一杯、と落ち着いたところで話を切り出す。
「さてさて一先ずお礼と行こう、ありがとさん。行き倒れを拾った挙げ句メシまで食わせる物好きのお蔭で助かったよ」
「それはよかった、私も物好きの甲斐があったよ」
愉快そうな笑顔が咲く。
「ところでキミの身に何があったのか訊いてもいいかな、もちろん言いたくなければそれでもいいが」
んー、と間延びした声と共に肉を一口。
「何があったかと言うと……まあ空腹つーか貧血つーかで倒れてただけなんだけど、ここらの土地勘ない上に無一文で山ン中に放り出されて途方に暮れてたってワケだ」
「無一文で放り出された、と言うと旅商の馬車にでも乗せて貰ってたのかな」
「まあそんなところでいいや。ここより遠くて遠くてクッソ遠い国から来たんでね、右も左もどころか上も下もわからんのさ。そっちは任務か何かかい騎士サマ?」
茶を飲んでいた手が止まる。
「なんで私が騎士だと?」
「んーそうだなぁ、まず外套で隠しちゃいるがフルプレートの鎧着てるだろ。音立てないようにしてても顔の大きさと体格が不釣り合いだからすぐにわかる。単なる旅人だったらそんな移動に不便なものじゃなくてある程度の耐久性と機動性を両立させて胸当てとか脛当てと要所だけ守れるような軽装になるだろう。まあもちろん理由としては弱いな。
次に籠手の装飾。さっきからカップを取るために見えてた籠手の装飾が凝ってる。防具ってのは実用性があればいいからな、市販の物には装飾だとか紋章だとかは付いてない。そういうのは金持ちが職人に作らせるモンだ。んで、そんな物を着てるんなら貴族だとかに仕えてる騎士ぐらい、あるいは貴族そのものだろう、と推理してみたワケだ」
観念したようにふう、と一息吐くと深々と被っていたフードを下ろす。
中から出てきたのは金糸を束ねたような長く美しい髪、眉目秀麗な顔。
「正解だよ、私はたしかに騎士だ。まだ名乗っていなかったね、ウィネブだ。ウィネブ・グルスヴッヘル。私がここらを訪れたのは探し物を見つけにだ」
「どーも、俺はアイゼンだ。探し物ねぇ、聖杯でも見つけて王サマの足でも治すのかい?」
「聖杯、か。それでもいいかもしれないな……」
「そりゃどういう────」
陰りのある嘲笑をしたウィネブに追及をしようとした言葉は扉の蹴破られる音に遮られた。
「税金の回収に来ました~つってなギャハハ!」
「ぼくたちぃ~お金ないんで貰いに来ましたぁ~みんな恵んでくれるよなぁ?」
ナイフ片手に赤いスカーフを身につけた男たち。
疑うまでもなく山賊、あるいは盗賊だろうと思われる男たちが店内に散らばって客たちを脅しに回っている。
第一声からして知能の無さが窺える。
鼻水と一緒に脳髄をちり紙にくるんで捨ててしまったのだろう。かわいそうに。
「何人いるか、わかるかな?」
入り口を背にしたウィネブがカップの中身を空にして訊く。
「うーんと、店内に八人。外にあと何人か、たぶん外のどれかが親玉だろう」
「ありがとう。ときにアイゼン、腕は立つ方かな?」
「あー、そう、だな。たぶんそれほど強くはない。強くなれはするけど現状はチンピラに毛が生えた程度だ」
「そうか、だったキミは隠れ――——」
「なーにべらべら喋ってんだ!」
盗賊の一人がテーブルを蹴り飛ばすと食器が散乱して割れる。
木製の床にウィネブが飲んでいた赤い紅茶が染み込む。
盗賊がこれ見よがしに刃渡り十五センチほどのナイフを見せびらかして脅す。
ちょうどいい、とアイゼンがそのナイフに意識を向けて念じると瞬く間にナイフがアイゼンの手に収まる。
「てめえらもさっさと金を────あ?」
手元からナイフが消え、呆気に取られたのを好機と一閃。
盗賊の喉に一文字の傷が刻まれ、血が噴き出す。遅れて喉元を両手で抑え崩れ落ちる盗賊。
「しかしまあ、この通り思い切りがいい」
「なるほど、なら協力してもらおう」
噴き出る血を浴びながら会話する二人。
事態に気づいた他の盗賊たちが怒鳴りながら駆け寄ってくる。
「さて」
振り返ることなく椅子を後方へ蹴り飛ばし向かってきた盗賊に先制すると振り返ると同時に外套を脱ぎ捨てて視界を遮る。
「がぁ⁉」
外套を払った一人目掛けてウィネブが腰の剣を抜いて一突き。
斬りかかってきた刃を、小さな盾が一体化した左腕の大きな籠手で弾いてそのまま左手で殴り飛ばす。
外套の下から露になったのは白銀の鎧。滴る血が一層輝きを際立たせる。
「騎士ってそんなインファイトするモンだったっけ」
いつの間にか前方に回っていたアイゼンがナイフを両手に歩いてくる。
その後ろには血溜まりに伏す五つの亡骸。
「手が早いんだな」
「そりゃ失敬、イーブンになるよう三人だけにした方がよかったか?」
「いや、まだ残っているからね、問題ない」
その言葉が合図だったかのように入り口が壁ごと吹き飛ぶ。
「オイオイ、パース狂ってんぞ何頭身だよおデブちゃん……」
店と同じくらいの身長、大木のような太い腕。禿げ上がった頭と奇怪な顔。トロールと呼称されるティターン族とは異なる流れを汲んだ巨人族の一種である。
「チッ、ちんたらしてると思ったら全員死んでやがる。おいデカブツさっさと片付けろ!」
頭領と思われる男に蹴られると呻き声でトロールが返事をする。
樹木をそのまま引き抜いたかのような大きな棍棒を振りかぶる。
「おっ、やべ!」
アイゼンの姿が消えたかと思うとトロールの頭にしがみついてナイフを突き立てていた。
「全然刺さんねえ! おいウィネブ、外でないと客が死ぬぞ!」
棍棒が降り下ろされるのは中断されたものの頭上のアイゼンをどうにかしようと暴れまわるトロールの足下にウィネブが駆ける。
「わかってる、そいつは任せた!」
トロールの横を抜けて盗賊団の頭領と鍔競り合うウィネブ。
「えぇ……普通任せますぅ? こんなでっかいのよ? レイドボスよ?」
掴みかかる手を右に左にと避けてはいるがこれではキリがない。
何度も何度も頭にナイフを突き刺してはいるが綿を刺しているようで手応えがない。
かといってダメージを与えられる必殺の武器があるかと言われれば――――あるにはあるが、こんな場所で使える代物ではない。
ウィネブの剣を借りようにも向こうは向こうで剣戟響く打ち合いの真っ最中。
どうしたものかと揺られていると、トロールが棍棒を放し、ズドンと重々しい音を立てて落ちる。
「それがあったか!」
捕まえようと迫る両手から逃れ、トロールの頭から飛び降りるとパチンと指を鳴らす。
それに応えて現れたナイフを手にトロールの踵、アキレス腱を斬る。
「ごおお──!」
トロールが仰向けに倒れ、目を白黒させる。
アイゼンが再び指を鳴らすと現れたナイフがトロールの目に突き刺さる。
両目を手で押さえ悶えるトロールに、息をつく間も与えまいともう一度アイゼンが指を鳴らす。
傍らに転がっていたトロールの棍棒が上空に出現し、主の腹目掛けて降り注ぐ。
「ヘイヘーイもう一丁!」
パチンと指を鳴らすとまた棍棒が降り注ぐ。
何度も何度も何度も、トロールが動かなくなるまで繰り返していると背後から声をかけられる。
「終わったのか?」
「おう、オーバーキルの真っ最中だ見ろこの軽やかな屈伸。そっちこそ終わったのか?」
「ご覧の通りだよ」
そう言われたので作業を中断して振り返ると、血の池を作りながら膝を突き絶命している頭領の姿があった。
おっかない、とは思いつつも声には出さず店に戻る。
「ああ、ありがとう。君たちは恩人だ! お代は結構だよ!」
「あ、そう? 一文無しだったからラッキ――――と、思ったが」
アイゼンがパチンと指を鳴らす思いついたように上着の袖口に手を入れると、その手にはどこにしまっていたのか金色の塊が収まっていた。
「ほいこれ。店の修復に出費も嵩むだろ? ああそうだ、メシ代チャラにしてくれる代わりに宿取ってくれないか、一文無しなんでね」
「こ、これ本物の金塊じゃあないか! もちろんだよ宿屋なんていくらでも紹介してあげるさ!」
サンキューと言いながら店の片付けを手伝うアイゼン。
「…………」
ウィネブはその背中を複雑な目で見ていた。