6.ファンブル
高校時代住んでいたアパートの近くに、深くて太い水路があった。
軽自動車一台がすっぽりとハマってしまうんじゃないかというくらい大きく口を開けた農業用水路だ。
この周りは昔、田んぼばかりだったと近所のおばあちゃんが言っていた。今もそこそこ広い水田が住宅街の中で肩身狭そうにぽつりぽつりと残っているが、水を送り届ける田が減っていく中、この水路の存在は不釣り合いで、都会化していく街にあって異質な幅の利かせ方をしているように思える。
実際、道をよく知らない人、夜道で足元が見えない人、酔っ払いなんかがよくここに落ちる。
そして、死ぬ。
死ぬために色々と”趣向”を凝らすことが小説でも実際の自殺でもよくある話だが、事実人は近所の水路に落っこちて死ねるのだから世話はない。
死というものは、危険は、意外と近くに潜んでいるなんて言い回しはよく聞くが、まさに死というやつはご近所さんで、気を抜くと向こうから気軽に声をかけてくるんだ。
『そんなところに落ちて死ぬなんて本当に運が悪いか、バカなんじゃないのか』
人は誰しも、自分は大丈夫だ、自分には関係ないと一見遠い危険を危険とも思わない潜在意識があるというのを、大学1年の時何となく履修した心理学の講義で聞いた。
『正常性バイアス』というものらしい。
街の中にはこういう深い水路が結構残っていると聞くが、一向にその水路を埋めてしまおうだとか、フタをかけようだとか、そんな意見は声高に挙がってこない。
『自分は大丈夫。そんなヘマなやつに付き合ってられない』
それでも溝に落ちて死ぬ人というのは年間で約10人いる。10人もいるのだ。
50万人の人口の街で年間の交通事故死者というのは、平均20人前後らしい。
比べればいかにこの10という数字の多さが恐ろしいかわかるはずなのに、皆その事実をバカにしてフタをしない。
高校生活最後の年、季節は秋になった。日が落ちる時間が早くなり、薄暗がりの中で道路と水路の境界もぼんやりとして見えにくい。そんな中、人は懐中電灯なんて持たないし、車や自転車はまだ灯火するには早いと油断をする。
ぼんやりと、なんとなくは見えているというのは、時に全く見えていない状態よりも危険だ。
それは見えているかどうか曖昧という事実以前に、少しでも”見えている”という事実しか捉えていない。
全く見えていなければ備えるか、そもそも一歩を踏み出さない。
見えていると過信するからこそ、その一歩を踏み外す。
”お母さんを殺さないか”
田村さんからの相談になにも答えず、一週間が過ぎた。
『〇〇町?丁目の住宅街の用水路に原付バイクが飛び込み転落しました。乗っていた42歳の男性は意識不明の重体で、通行人の119番通報で病院に搬送されましたが、頭を強く打っており、間もなく死亡が確認され――』
三人で囲む夜の食卓で、今日もそんなニュースが流れている。
ボクに特待生進学の話が持ち上がったのは、全国総合文化祭の結果が出るよりも少し前のことだった。
隣の県の私立大学からの話で、優秀で才能を持った学生を引き抜くための学費免除制度。
『これに応募してみろ、これしか手はないと思うんだ』
担任の先生がこれまでにないほど目を輝せて、申請用紙をぐいと突き出してきたのを覚えている。
急なことだった。大学に行くなど頭になく、ましてや芸術の大学など母さんのことを考えれば夢のまた夢だと思っていたボクからすれば。
毎度毎度、進路希望用紙を白紙同然の適当な志望校で提出していたボクへの処方箋に困り果てていた先生からすれば、会心の案だったのだろう。
実際良い大学だった。私立の中でも歴史は古く、卒業生には芸術に詳しい人でなくても知っているほどお茶の間を賑わせている著名人もたくさんいる名門大学。
そこに、4年間の学費を半額かつ入学金も免除で通えるという破格の条件での募集であった。
学費は年間ざっと見積もっても200万。
4年で800万。それが半分で済む。多分、普通の国立大学に行くのと同じくらいの学費で済む。
これまでの受賞歴に、今回の総合文化祭の結果が加われば合格間違いないと、担任は特売の電化製品を押しうるかのごとく息巻いて言う。
それでも、迷う。
それでも、母さんのことを思うと決して簡単な額の話ではない。さらに大学は遠い。今の自宅から通うことはできないので、下宿のお金だっている。そもそも母さんを置いて行くなど考えられない。
田村さんに頼るなんて、まず論外だ。
――――田村さん。
田村さんを頭に浮かべたと同時にボクの頭には2000万円の保険金が流れ込む。
しまったと思った。
違うんだとも思いたかった。
「先生、すみません」
その事実がどうしようもなく頭を侵食して、血が上り、ボクは進路指導室から一目散にトイレへ走った。
ボクは相談をしなかった。いや、相談できなかった。
もう相談できるような状況はとおに過ぎ去ってしまった。
今日も料理は塩辛く、洗濯物は生乾きのまま箪笥へしまわれ、同じ調味料の買い置きが何本も増えた。
変わらず続くネグレクトセックスの中で母さんは衰弱し、まともに何かを論理的に解釈する力は残っていなかったように思う。
「遥人、今日のは美味しい?母さん特別頑張っちゃった」
「文化祭の結果、明日だっけ?え、まだ先?楽しみだね!」
それでも気丈だった。壊れる思考回路の中で、ボクにだけは。
止めれば良かったのか、もしそうだとすればどこで何を止めるべきだったのか。
ボクは田村さんの相談に対してその後も何の答えも返すことはなかった。
そうしている間に、田村さんは事を少しずつ実行に移し始める。
「ほら、ラクになる。飲むといい」
セックスの直後、そして就寝前、田村さんは母さんに薬を飲ませていた。
それが睡眠薬だというのは、母さんの服用後の様子を見ればすぐにわかった。
本当に死んでしまったかのように眠りにつき、正午ごろ目覚め、気だるい表情でやたらと水分を欲し、冷蔵庫の中の飲み物を片っ端から飲んでいき、また眠りにつく。
田村さんが休みの日にはセックスの頻度も多く、服用の頻度も激しいものだった。
何で目にしたのか忘れたが薬はハルシオンといった。浅い眠りを短時間で誘発させるもので、死に至るような劇物ではない。不眠に効く薬だが、過剰摂取は睡眠の質を著しく損ない、幻覚作用もある。
効能と副作用は後から知った。
「醤油が切れたね、コンビニで買ってきてくれないか」
事は唐突。秋雨の激しい平日の夜のことだった。
田村さんは母さんに何気なく告げる。母さんは薬の眠りから覚めてすぐ、もうろうとした意識の中で夕飯の準備を終えたばかりだった。
おぼつかない手つきで箸を握り、食事を運ぼうとする口元は痩せこけ、ボクの知る母さんの面影はこの時もうほとんどない。
「あぁ、あぁ、ほんとうね。買ってこなくちゃ」
田村さんの依頼に応えるというより、途切れ途切れの意識を立て直すように自分に言い聞かすその様は、チューニングが中途半端なラジオのようだった。
ボクは心の中で言葉にならない何かを叫びそうになりながら、口をつぐんでいる。
醤油は切れているどころか、キッチン戸棚の中には母さんが買い増してしまった置きが何本もある。
ボクは知っている。当然、田村さんも知っている。
つまりは、そういうことだ。
田村さんが一瞬だけちらとこちらを見たのがわかったが、ボクは目を合わせられない。
母さんが作った今月7度目のハンバーグを見下ろした。
雨は不規則に強さを増す風を伴ってアパートのスレート屋根に容赦なく打ち付けている。
その雨音はボクの背中に打ち付け、ボクに迫り、追い立ててくる。
声をかけるならーー
止めるならーー
叫ぶならーー
殺るならーー
ーー今なんだ。
足取りは、朧だった。とつ、とつ、と玄関へと向かう母さんの一歩一歩の足音が、ボクの心臓の拍動と共鳴して心の内を強い力でノックしてくる。
ボクの中で立ち上がらない気持ちを、必死ですがるようにノックする。
こめかみの辺りがじんじんと疼いて、鼻をツンと刺しても、ボクはそれを喉の奥から発することができなかった。
上着も羽織らず、傘も持たずに玄関を開けた母に、田村さんが笑顔で傘を手渡す。
「足元に気を付けて」
田村さんは言った。人はこういう時、どんな気持ちでそんな言葉を吐けるのだろう。
玄関が閉まる。閉まっていく。
その時、母さんはすっかり弱弱しくなってしまった笑顔で振り返って言った。
ボクを見て言った。
「遥人、行ってくるね」
ボクの膝が崩れ、押し留めていたものが全てあふれ出たのは玄関ドアが閉まり切った後だった。
「かあさん!」
きっと、母さんには届いていない。
それは雨のせいか、薬のせいか、ボクのせいか、わからない。
*
『妻がコンビニに買い物に行ってくると言ってから帰ってこない』
田村さんが警察へそんな通報をしたのは母さんが出て行ってから3時間後だった。
「遥人くん、君は僕と一緒に晩御飯を食べていて、外には一切出ていない。ここで君といたんだ、いいね?」
母さんが出ていった5分くらい後だったか、崩れ落ち動けないボクの肩に手を置いて田村さんが言い、外へ出て行き、またすぐに戻ってきた。
本当にすぐのことだった。戻ってきた田村さんの表情は無だったが、その身にまとう像は色味を亡くし、輪郭を亡くし、霧に包まれて帰ってきたことを覚えている。
同じ表情をした別人のように思えた。
田村さんの通報から間もなくしてアパートの周辺、コンビニまでの道のりを何台かのパトカーが行き交った。
外へ出ると暗闇の雨で狭まる視界の中、パトランプの真紅だけが煌々と揺らめいてコンビニまでの死線をなぞっていく。
そして捜索が道ではなく水路に移ったとき、母さんはすぐ見つかった。
母さんが死んだ。
自宅アパートからコンビニまでの間にある農業用水路に転落して死んだ。
転落時の外傷ではなく、雨の増水が原因の溺死だったということだ。
「道と水路の境界が分かりづらい上にこの豪雨ですから――本当に、お気の毒としか――」
発見した警察官は後日の事情聴取のようなもので息を詰まらせ言った。
この警察官がお人よしだったからとか、そんなことは直接の関わりはなかったにせよ、ことは事故として簡単に処理されて終わってしまった。
そこには拍子抜けするほど”事件性”という要素が顔を見せず、一連の出来事に疑問を呈す切れ者刑事も、現場に残された些細な証拠を発見する一般人も現れることなく一瞬で収束した。
捜索、葬儀、聴取、その全てが淡々として、群がり集まった人々はお悔やみの言葉をそこそこに述べると蜘蛛の子を散らしたように誰もいなくなった。
現実は、ドラマで観るほど勧善懲悪でないのはもちろん、何事もなかったかのように淡泊に流れていくものなのだと、ボクはその残酷さを知る。
世の中の完全犯罪というやつは、野球でいう完全試合のように荘厳な響きを一切伴わず、さらりと身近にあると思われてならない。
身の回りに起こる数多の不慮の事故、年10人死ぬという水路の事故、そのうちいくつかは母さんと同じような真実を孕んでいるのではないかと錯覚するほどに。
そして、母さんが落ちた水路には今日もフタがされる気配はない。
保険金は程なくして僕の名義の口座に振り込まれることとなった。
当初の”契約”の通り半分の1000万円が僕のもとに残った。通帳に並ぶイチとゼロ七つを眺めながら、命の値段とはなんと薄っぺらいものだろうと考える。母さんの血肉がこの一円一円になり果てたのかと考えてみると、なんと薄っぺらいものか。
別にこのゼロが八つに増えたって九つに増えたって、この薄っぺらな虚無の感覚は決して消えることはない。さながらそう、霧中に浮かぶ金塊を遠目で眺めているような、そんな感じ。
ボクは母さんを水路に突き落とした直後であろう田村さんの変わり果てた像を思った。事を果たし、きっと彼の胸中にも同じような霧がもっと濃く、視界を遮るように立ち込めていったのかと思うと、あれほどまでに嫌悪の対象だった男が哀れにも思えた。
『どんなモノでもよく見ておくのよ遥人、あなたの心が、きっと豊かになっていくの』
母さんの写真を見るたび、母さんの墓に手を合わせるたび、母さんの口癖が皮肉のように脳裏にこだましてくる。
自分がしてしまったこと、いや何もできなかったという現実から目を逸らすことを許さない言葉となってボクの心に刺さる。
どんなモノでも――
――どんなモノでもだ。
ボクは先生が勧めてくれた芸大への進学を決めた。
田村さんはこれを境に仕事を辞め、NHK教育を眺める廃人と化した。母に手をかけた後の彼は実態すらも霧のように朧で、仕事も自分から辞めたというよりは退職を促されてのことだったろう。傍から見れば、妻を突然失ったショックで心神喪失というあまりに悲劇的なモデルにすっぽりとハマってしまうわけなのだから。
田村さんの分け前となった1000万円も結局のところ、今の共同生活の資金としてボクが全て管理をしている。彼からそのお金に手を付けることは一度としてなかった。
ボクに計画を持ち掛けたときの田村さんはきっと、このお金を元手にして別の場所へ抜け出そうとしていたのだろう。
違う家族の温もりを求めて。自分だけを求めてくれる存在を探して。
けれど計画を持ち出したその時から、彼の像は言葉で言い表せぬほど濁り切り、形容しがたい形にまで変異してしまっていた。そんな人間が今更人並みの温もりだとか安息を求めること自体がお門違いだと薄々察しはついていた。
どれだけねじ曲がり、いびつな愛情であったとしても、一度は狂おしいまでに求めた存在を殺めることが、人の心にいかほどの影を落とすのか、その重さに耐えうるのか、よくよく考えてみれば、ボクはあの時この結末を予想できたはずなのだ。それでもボクは何もできなかった。
いや、しなかった。
ボクは、どこかで願っていた。
なにもせず、この現実(家族)から抜け出せるのなら――
『芸大』という切符を手に、ここから脱出できるのなら――
壊れてしまった母さんを、今更救う意味はなんだと。
本当に母さんを救いたいのなら、その分岐点はもっともっと最初だったはずなのだ。
子供らしく駄々をこねて田村の侵入を拒絶すべきだったのだ。
奴との食卓でハンバーグを投げつけるべきだったのだ。
隣の部屋から漏れる喘ぎ声を止めてかかるべきだったのだ。
修学旅行から帰った日、母さんと奴の匂いが混じるシーツで奴の首を絞めてかかるべきだったのだ。
もう、遅い。
ボクは、一人で歩き出してしまった。
母さんが沈んでいく水路にフタをして。