2.田村さん
「お母さんの仲良しなんだ。よろしくね、遥人くん」
嫌な予感はしていた。というか、嫌な像があったのだ。この人を母に近づけてはいけない。
当時小学4年生だったボクは、像の酷く濁ったこの男を前にして吐き気を催しながらそう感じたのを覚えている。
当時その嫌な感じを、”嫌な感じ”としか表現できなかったボクは、身体的にも精神的にもまだ子供だった。
母さんに紹介したい人がいると言われて一緒に行ったお店は、いつもボクがせがんでやっとのことで連れて行ってもらう近くのファミレスよりもずっと豪華でおしゃれなイタリア料理のお店だった。出てくる料理は大好きなデミグラスソースたっぷりのハンバーグではなくて、よくわからない赤みがかった一枚肉で、特に美味しくもなかった。
子供のボクにはまだ早い赤ワインの酸味で引き出された肉の旨みが、これでもかとしつこく口の中にまとわりついてきて、目の前の母の仲良しを名乗る男への嫌悪感を増幅させた。
地方銀行で働いているという男は見かけ実に清潔感があって、180センチはあろうかという背丈に紺色のスーツとシャープなフレームの眼鏡がよく似合っていた。文句のつけようがない好青年に見える。
「家の事も全部手伝ってるなんて、本当に偉いね遥人くんは。お母さんも安心だ」
「小学生でこんな上手な絵が描けるなんて参っちゃうな、本当にすごいよ」
まるで取引先の重役に対して丁寧なお世辞を述べるように接してくるこの男は、当時のボクにとってとにかく異物でしかなかった。何を話しかけられても全く頭に入ってこないその褒め言葉に、ボクは型を取ったように同じ笑顔でウン、ウンとだけうなずいていた。
その男の像はひどく濁っていた。当時小学校の教室でミドリガメを飼っていたのだけれど、夏休みの一か月半、生き物係が水槽の手入れを忘れてカメが餓死してしまったことある。男の像はさながらカメの死がいが浮かび強烈な腐臭を放っていたあの水槽の色だった。
ボクの横で母さんがそんな男と楽しそうに、時には頬を赤らめながら談笑しているのがにわかには信じられなかった。
この人を母に近づけてはいけない。
そう思う反面、普段仕事に疲れていても気丈に振る舞い優しい母が、この時だけは様々な物事から解放されてまるで少女のように活き活きと微笑むのを見ていると、ボクがそれを遮ることはできなかった。
母さんより2つ歳下のその男の名前は、田村という。
『あぁ、田村さん。もっと、もっと――』
食事での顔合わせから田村さんが我が家に取りつくまでは、ほんの一か月ほどの間だった。
3DKのアパートの一室で、昼間であろうがボクが隣の部屋にいようがお構いなしに田村さんは母さんのことを抱き、母さんの切ない声が部屋中に響いた。
和室で、キッチンで、浴室で、かまわず母さんの火照った声は時に笑い声にも似て、時に叫び声にも似て、時に舌をからめ合ってくぐもる。それは緩急つけながら毎日聞こえてきて、ボクにとって次第に環境音になっていく。
『欲しい、欲しいから、やめないで』
田村さんがしきりに母さんを求めたのと同じく、母さんも田村さんのことを求めていた。
最初こそボクがいるときに行為に及ぶのを母さんはひどく拒んでいたが、それを強引に払いのけ、胸をまさぐり、唇にかぶりつき、腹に手を這わせ、足をなめまわし、そして膣の奥を何度も求めてくる田村さんの獣のような求愛に呑まれていった。
修学旅行が終わって久しぶりにボクが自分の部屋にもどると、ボクのベットに母さんの甘い匂いとあの男の吐き気を催す匂いがまじりあっていたとき、ボクは何も言わずにシーツを捨てた。
そんな頻繁な愛肉の嵐の中にあって、ボクが実際にその行為の現場に直接鉢合わせたのは一度だけだ。
中学2年の夏、早朝家を出たあとに弁当を忘れたことに気づいて帰宅すると、ダイニングへと続く廊下で二人は立ったままお互いを求めあっていた。田村さんは背後から母さんの腰を両手で持ち何度も自分のモノを母さんの中へ打ち付けているところらしかった。
ボクが玄関ドアを開けた瞬間、母さんは硬直して今にも全身がパズルのように崩れ落ちてしまいそうにおぼろげな輪郭で唇を震わせていたが、漏れる吐息には抑えることのできない快楽が混じっていた。
ドアを抑えたまま乾いた目で二人を見つめるボクに、田村さんは母さんの腰をおさえたまま平然と言う。
「あぁ、おかえり」
ボクはこの時、カメの死がいの浮いていたあの汚水がとっぷりと母さんの中に流れ込んでいくような像を見た。この世で一番醜いものだ。
ボクは何も答えずドアを閉め、学校へ行った。
「ただいま」
帰宅するとリビングへと続く長いホールには、ぼうっと弱弱しい間接照明がともって足元を照らす。人感センサーで勝手に灯るこの明かりが、いつも僕に”おかえり”と返す。
築三年、新築で募集がかかると同時に申し込みを入れた2LDK、専有面積68.24㎡、LDKは対面型カウンター付きのキッチンで便利がよく、二つの洋室にはウォークインクローゼットがついていることが売りの物件だった。
三階建て物件の三階角部屋、高い建物が少ない郊外にあって、地上8メートルからの眺めでも最寄り駅まで広がる多くの家々を見下ろせる少しプレミアムな眺望を備えている。
家賃は、85000円。地方都市のファミリー向け物件としては少し高級な価格帯らしい。
「ただいま、田村さん」
テレビの映像がだけが青白く光るリビング。ソファに腰かけた田村さんは答えない。
田村さんは相変わらずNHK教育の番組だけを眺め続けている。今の時間は小学生向けの教育番組の時間だ。小学校中学年くらいの男女がキレの良いダンスを踊る光景に田村さんはうっすらと笑みを浮かべている。
僕は何も置かれていないダイニングテーブルに、いつものようにコンビニ弁当とペットボトルのお茶だけを並べると、無言でリビングを出る。
こんな生活が、三年。
ボクが晴れて芸大生となって、三年。
ボクが田村さんとの二人暮らしを始めて、三年。
「朝と夕方、食事をくれないか。それだけ頼むよ、遥人くん」
入居初日、この一言を最後に田村さんとの会話は無く、三年。
田村さんが両親を早くに亡くし天涯孤独の身の上であるということは、母さんに取りついた後に知ったことだった。
傍から見れば身寄りのない中で一人強く生計を立ててきた心の強い青年。
だけど母さんの身体をむさぼり求めていた獣のような一面は、愛情にこの上なく飢えた者のする所業のように思える。
いや、親から、友から、恋人から、とにかく愛というものを知らない生き物が初めてそれらしいモノに触れて依存しきっているような、底なしに求めているような、そんな風にボクの目には映った。
普段、母さんと交わるとき以外の田村さんはやはり紳士的に見えて、近所からの評判というのもシングルマザーの家に住み着いた男としては不思議と悪いものを聞いたことがない。もっとも、ボクの耳に入らないよう大人たちが気を遣ったのかもしれないが。
母さんがいなくなってから田村さんは仕事を辞め、家に閉じこもってNHK教育ばかりを眺めるようになった。
早朝の幼児教育番組から主婦向けの料理番組、アニメ、自然ドキュメンタリー、深夜一時の放送終了を迎えてまた寝床に入る。特に教育番組は子供たちの笑顔に合わせてうっすらと笑みを浮かべるのが実に不気味だったが、三年も経つと慣れる。
何度か料理番組で出てきた料理が食べてみたいと書置きがあったが、無視した。
「僕はね遥人くん、キミがとても羨ましいんだよ。君はゼロから何かを生み出すことができるのだから」
いつのことだったか、3人での生活が当たり前のように染みついてきたころ、夕飯の席で田村さんが言ったことを覚えている。
田村さんは初めて会ったときから変わらず、ボクのことを上滑りな言葉で褒めることをやめなかった。ほとんどの言葉が右から左へ抜けていく中で残った印象の断片。
「僕なんて横から流れてくる数字を確かめてはまた横に流すだけの仕事だ。ゼロは忌むべきもののって概念しかない」
銀行員ってそんなつまらない仕事なのだろうかと少し考えたけれど、単純に田村さんにも銀行の仕事にも興味がなくて頭から抜けていく。
「キミはキミが思った通りに1を作ることができて、それを100にも1000にも育てることできる。それは選ばれしものにしかできないことなんだ」
像の汚い大人が嫉妬とも説教ともつかないニュアンスで話しかけてくることがボクは不快ではあったが、今日まで覚えている田村さん数少ない言葉であることを考えると、きっと伝える側も伝えられる側にも何かしら強い意識が働いた言葉だったのだろうと回想する。
「キミは普通の大学なんて行っちゃだめだ。芸大か美大に行ってちゃんとその力を仕事にするべきなんだ」
へぇ、そんなものなのか。
忌むべき存在の一言が、ボクを今の大学に駆り立てる最初の一歩になったのだから、人の意思、人の行動というのはわからないものだ。
その席で隣にいた母さんは、確か白米を遠慮がちに口に運びながら黙っていた。賛成も反対もしなかったはずだ。
翌日の朝、テーブルの弁当とペットボトルのお茶はいつものように整然と片づけられている。
ボクはおにぎりを二つと缶コーヒーをテーブルに置いて田村さんが起きるより前に部屋を出ていく。
田村さんは今日もボクの用意した朝食を食べ、一日NHK教育を眺めるだろう。
そんな彼の像は、あの時のように濁ってはいない。
形容するなら、霧だ。
夜の山道、車のハイビームの光を乱反射する霧のように、ゼロ距離の視界を遮るような不透明な霧。
輪郭を伴わず、限りなく無色に近く、それでいて透過しない。
生命が存在するか否かの境界線上のような像に食事を与え続けて、三年が経った。