あとがき
交通事故って、どんなシチュエーションで起こりやすいかご存知でしょうか。
夕暮れ時、薄暮の時に一番発生率が高いんだそうです。ちょうどライトを点灯させようかどうしようかって、あの時間帯です。一見見えているからこそ普段通り運転するんですが、過信の中、そして意識の外に思わぬ危険が潜んでいる訳です。ヒヤッとした経験ありませんか?私は営業マンという仕事の性質上、そんなヒヤリハットが山ほどあります笑 ただ最近の車は便利ですよね、自動でライトを点灯させてくれるだけでなく、ハイビームなんかも切り替えてくれますし、衝突防止まで至れり尽くせり。表面上は事故件数も減って安全な社会に貢献していて、大変結構なことです。しかし、人間本来の危険を察知する能力というものはそういった見えるものを見えなくする”機能”によって知らず知らず弱まってしまっていることも確かだと思うのです。
作中、フタがされない農業用水路の話がありました。あれもまさに同じ話。人は自分には関係がない、無意識の要因に対して実に無防備だなと。結果的に危険が見えている、しかし延々とフタをしないなんて逆説が生まれかねない、というかもう起きてるんでしょう。これは実際に私が住む街の水路での事実をもとにしております。
お話を通してのテーマは、以上のように「見えるのに見えないもの」「見えないものの実態」それを虚像を視認できる主人公を軸に展開しました。そしてテーマに添った誰もが最も身近なモデル、”家族”にスポットを当てました。ウチは良い家族か、そうでないかなんてイチイチ確認する家族はいませんし、流れていく日常の中で成熟度を感じる場面ってなかなかありません。そのために色んな年中行事があって冠婚葬祭が存在するわけですが、それに頼ってしまうとホームドラマに終始するなぁと思い選んだ題材はまぁ暗いものになりましたね笑
本作はテーマの性質上、かなり曖昧で広義な解釈が出来てしまう作品になりました。遥人には見えている訳ですが、他に見えている人はいないゆえに、厳密な論証が出来ません。極端な話、あくまでSFと捉えてしまうことも出来てしまいます。どんな小説だって少なからずそうであると思いますが、本作は決まった答えを用意したわけではなく、読む人によって様々な解釈を持って頂けるよう着地したつもりです。
母と同じく像を持たない少女優妃。
時折現れ、最後には自分自身の作品から溢れ出した黒い像の正体は。
母を殺し、抜け殻となり、最後は遥人によって葬られる田村さん。
ガイドラインは散りばめられています。書き切ったからには、私自身が持つ”結論”というのももちろんあります。ただそれが正解でなくても良いのではないかなと。読者が生まれながらにして抱く家族のカタチ、審美眼を持ってして、普段意識しない領域に目を向けて頂くことが出来たならば、きっと本作は成功です。
本作は私にとってじつに5年ぶりの準長編作品となりました。長いブランクを経て、短編をいくつか書くだけでは感覚がもどるはずもなく、一つは長いものを書かなくてはと挑んでみました。しかしまだまだ舵取りは難しいなという感覚を思い出す執筆でした。今後も長編を中心に筆を執っていく方針ではありますが、勉強不足ですね、やっぱり何かをテーマにするにはもっともっと勉強しなくては笑
もっと面白く書けるのに!と思う反面筆が進まないのはさながら、筋肉バカで柔軟な体の動かし方を知らない感覚を彷彿としました。
ともあれ、本編のみならずこんなつまらないお話にまでお付き合い頂いたことに心より感謝申し上げます。手応えもたくさんある作品でしたが、次回はもっと爽快に、気持ちの良い作品書くぞ笑
ありがとうございました。
ー了ー