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黒の住人   作者: にしおかナオ
10/11

9.エピローグ

冬というのは絵描きにとってなかなか難しい季節だ。ボクのようにストリートアーティストの真似事をしている人間にとっては特に。


指先に力を込めようにもなかなか血が通わないと、細部までしっかり描き切るというのがなかなか難しいのもあるが、何より似顔絵を描くこの商売にあっては寒い中でお客さんにじっとしてもらうというのは至難の技だ。


ゆえにこの季節はカップルこそ多かれど、似顔絵は売れない。この寒空に、長時間立ち止まろうなんて物好きは稀だ。


だからこの季節だけは商材を変えてみる。


『あなただけのクリスマスカード・年賀状作ります』


冬は準備の季節でもある。クリスマスに恋人や我が子を喜ばすための準備、今年の仕事を納めるための準備、翌年に新しいことを始めるための準備。色んなことの準備を同時にしないといけない季節。


そんな準備に、一役買う。


「サンタさんにお手紙書きたいの、今年もいい子にしてたから、プレゼントくださいって」


「今年就職で出てきたんです。この街がどんなところか、年賀状に素敵な絵付きなら安心するだろうなって」


「プロポーズしようと思って。花束に何か良いメッセージカードを添えられないかって悩んでたんです」


準備は様々。ただ座っているだけで、多彩なドラマの断片を垣間見る。結末こそ知る由もないが、この季節に出会う人の像は空気の冷たさに反して、温かい色に包まれていることが多い。


兄ちゃん寒いのに大変だね、動かんのも辛いだろうと、今日は人力車を担ぐお兄さんが熱々の缶コーヒーをくれた。


お兄さんはこんな季節でも変わらず半袖に短パンで、むしろこちらが同情したいくらいなのだが、動いていれば大したこともないのだろうか。ともあれ道を行く薄着のお兄さんまで温かい。


が、果たして彼女はどうなのだろう。


「ありがとう」


こちらを目指し一直線に歩いてくる黒いダッフルコートの女性に、ボクはその距離が縮まり切る前に声をかけた。


普段より二段ほど大きな声だ。少しだけ勇気がいった。


急に礼を言われた女性の表情は、くるりと巻いたマフラーに隠れて口元こそわからなかったけれど、微笑んでいるように見えた。


「一瞬誰だかわからなかったよ」


「変なことを言う。ここで絵を売るのはボクだけだ」


「そうじゃなくて、こんな寒いのに全然寒そうじゃない。むしろ涼しい顔をしてるんだもの」


さらに変なことを言う子だ。


「でも安心した。会えたんだね、ちゃんと」


どうやら憑き物が取れたと言いたいらしかった。


「どう?ちゃんと甘えられたの?」


「そういうんじゃない。けど、やっぱりちゃんと描いてたんだなって母さんを」


「何それ」


「存在自体がわからなかったんだ。ちゃんと描いてるってわかっただけほっとしたんだ」


「そんなの当然じゃない。ワタシが負けた絵なんだから、存在してないと困るよ。今度、ワタシにもちゃんと見せてよね」


「それはーー」


「なに、ちゃんと見せなさい。だめだよ独り占めしちゃ」


「変な言い回しだ」


「いいんだよ。それで、もう違うんでしょう、もうアナタが殺したわけじゃないんでしょう」


「それは、相変わらずわからない。けれど、落とすことは出来たんだ自分の中で」


「許してくれたのね」


「許されてたんだ。ずっと、ずっと前から。許されてることが分かって、それが許せなかったんだ。だからケジメをつけたんだ」


「アナタも、面倒くさいね」


「お互い様だよ」


「キミは帰らないのかい?」


「どこに?」


「言いたくないのはわかるけれどね」


「帰る場所なんて、ないもの」


「らしくないな」


「らしいよ。ワタシはもとからこんな感じ」


「ボクに向き合わせておいて、それはワガママだ。君だって出来るだろう」


「ーーワガママでいいの」


「ボクはもう、自分だけで向き合うことしか出来ない。けれどキミは、相手がまだいるんだ。もう一度家族にーー」


「やめて」


マフラーから彼女口元が垣間見えた。寒空でも紅く映えるその唇は、家族のことを思い出して噛み締めていたのか、目立って紅かった。


「じゃあ、会わなくたっていいさ」


ボクは二枚のカードを手渡す。


一枚は、景観地区を描いたポストカード。夕闇の中で流れる深い紫色の川を、長屋を彩る無数の電飾が温かく照らした絵。


もう一枚は、白紙だった。


「会わなくたって、伝えることは出来るし、きっと返事だって来る。それはボクにとってはもう出来ない羨ましいことだ」


塚本優妃は、静かに一度、少し長い時間まぶたを閉じた。



「似顔絵、もう描かないのね」


「いや、描くよ。冬はお客がいないだけでね」


「ううん、そうじゃなくて。”あっち”のほう」


「あぁ、そうだね。それはもう、描かないかな」


裏1万円


並べられた作品の中にひっそりと置かれていたお品書きを、ボクはたたむことにした。


もちろん像が見えなくなったわけではない。今だって人の温かな部分、冷たい部分、致命的な部分だって、手に取るように分かるのは変わらない。


ただ、それを指標にすることをやめた。当然であると思っていたことをやめた。そこに見えるものこそが本質だと、物心ついた時から信じ切っていたそれをやめた。


『あなたも大変でしょう』


いつぞや像を描いた老紳士が言っていた言葉を思い出す。見えないものが見える、それはボクにとって当然のことであって何ら苦ではない。むしろ見えないままで生きている方がよほど大変なのではないか、そう思った。


見えることが不幸だとは微塵も思わない。ただ、見えないからこそ向き合いやすい実像もあるのだと思う。


今のボクは、何も見えないことが少し羨ましいんだ。


「じゃあ、ワタシを描いてくれたあの絵が最後?」


「そうだね、結果的にはそうなる」


「そう、それは嬉しいな」


「そうなの?」


「アナタの最後になれるって嬉しいじゃない?」


それは使い所がきっと間違っているし、きかれても困るだけだ。胸元がどくんと鳴ったが、本人が嬉しそうにしているのを見てボクは訂正をやめた。


「でも、大丈夫?不安にならないのかな」


「不安に?」


「見えてるのに見て見ぬふりになるわけでしょう。また、違う不安が湧き上がることってあると思うの。見て欲しいって、それがことさらに主張してくることだってあると思うの」


「それはそれで、新しくわかることもあるだろうね」


「ーーもし」


先日、隣り合わせの電車を思い出す。温かな手の感触が残る。じんわりと広がるまどろみを思い出す。


「そうだったとして、もしどうしてもアナタが悩んでしまったり、出口が見つからないようなことがあれば、安心していいよ。そのときはーー」











「ワタシがアナタを殺してあげる」


琥珀色の瞳を輝かせて言う彼女に、ボクは笑った。







ー完ー

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