やはり暗い話はたまにでいい
結局その後いくらか調査をしてみたがこの世界で生き残っていた人間は、今のところレイラ以外は確認できていない。私としてはそれは多少気楽なことではある。たった一人だけ人間が生き残っている、というのとそこそこの集団が生き残っているというのとでは同じ不完全な人類滅亡でも心理的な負担が大違いだ……という気がしたし、実際一人くらいならば育てるのにそこまで苦労もしなかった。いや、そもそもレイラは人間なのだろうか?少なくともそれに疑念を抱かせる点を、私はこの王宮で見出したが、何にせよレイラが自分の物語を紡いでいられるうちは保護下に置こうと思ったし、彼女と出会ってから十年経った今も別にどこからも文句は来ていないので今しばらくこのイレギュラーな事態を楽しむことにした。
「……そして老人は孤独の中でその生涯を閉じたのでした……」
透き通るようなレイラの声は彼女の語る物語の陰鬱な内容には似つかわしくないものかと思えたが、通しで聞いてみるとこれが意外とはまっていて悪くはない。透明感のある雪のような純白の髪、彫刻家が端正を込めて造形したような顔立ちは彼女以外にもまだ人間が生きていたらさぞ評判になっていただろうと思わせる、それ自体が物語の絵になりそうなものだ。私たちは私が滅ぼした文明の最後の要だった、王都の王宮で暮らしているのだがここにいた人々も生きていたら彼女を持て囃していたに違いあるまい。
「しかし、君の作る物語は少し、その、悲劇的な結末のものが多すぎはしないか?」
彼女が感想を心待ちにしている様子だったので私は率直な意見を口にした。今日の物語はある男が戦災孤児を引き取り、育てていくも、その子どもたちが長じて復讐に身を投じてそれにより広がった戦火でその男も全てを失う、という話だった。うららかな昼下がり、庭で紅茶でも飲みながら聞く話としては、私はこういうものはあまりふさわしくないと思う。
「ですが魔王様、私自身の生育環境を思えば、あまり明るく希望のある作風の話を私に要求するのがすでに歪んでいると思います」
「君が幼いときにはまさにその、人の希望や友情や英知が勝利する物語をなるべく多く読んで聞かせたつもりなのだがな」
「その物語に胸を躍らせ世界に希望をいだいても、その希望自体をあなたがすでに破壊し尽くした後だというのを知っている状態で実感を持ったものとして胸にいだき続けるのは不可能というものですよ、魔王様」
言っていることは凄絶と取れなくもないが口をとがらせすねたように口にしているので明らかに深刻なものではないとわかる。レイラには彼女を取り巻くこの世界の状況、つまりこの世界の人間が魔王と呼ばれる存在であるところの私によってすでに滅ぼされていて、どういうわけだかその最後の生き残りが彼女らしいということは全て伝えて教育してある。にも関わらずレイラはそのことで私に恨みをぶつけることもなく、事実を事実として受け止めている。のみならずかこのように軽口のネタにすることもある。同胞愛に欠けた振る舞いだと思わないでもないが、しかしそれを私が何かしら批判できる立場というわけでもない。と言うより当然のことながらそれで食ってかかられないというのは私にとっては都合がいい。
「それで、私が君の幼いころに明るい物語を聞かせ続けたのに現実は暗かった反動で、君は今暗い物語を私に話して聞かせているというわけかね?」
「プラスとマイナス、帳尻が取れているでしょう?ですが理由はそんなことではありませんよ。そうですね……単にこれが私の作風なのだと、そういうことなんだと思います。魔王様が極めて倒錯したところのあるお方なのはすでによく知っていますが、しかし私はあなたに育てられたことを深く感謝していますから」
「倒錯とは心外だな……私は君に対して歪んだ虐待を加えた覚えはないのだが」
「この場合の倒錯とは虐待的な教育の類ではなく魔王様個人の精神構造に属するものです」
私は曖昧な笑みを浮かべてそれを流した。確かに世界を滅ぼしておいて生き残った人間を自らの保護下に置く、というのは珍妙であると言われても仕方がない。私自身、私以外でそんな魔王を聞いたことはない。
「とにかく、君の作風はだいたい把握している。が、少し人間の言葉で言うところのマンネリというものを最近感じている。なんとか私が好むような明るい作風のものを一作、作り出すことは出来ないかな?」
レイラは少し思案する様子を見せた後、そうだ、と笑って提案をした。
「では取材をさせてください。あまり城から出たこともありませんし、新鮮な外の空気を吸えばいい着想も湧くでしょうから」
「取材?大変いい難いしよく知っているはずだが君が取材できるような人間などこの世界にはもう生き残っていないぞ。なぜなら私が」
「なぜなら魔王様が全て殺してしまいましたからね。……そのネタはもう数え切れないほど聞きましたよ。魔王様にこそマンネリ対策が必要なのでは?」
「君たち人間とは時間のスケールが違うんだ」
「昔のある種の作家たちは騒々しい都会で人の声を聴くよりも、静かな自然でその自然と対話することを選んだ、と教えていただいたことがありましたね。私もそれを試みてみようかと思います。例えばそう、神々が宿ると言われた壮麗なるギラハト山辺りにでも登ればとてもいい気分転換になるのではないでしょうか」
「……ほう」
私はレイラの選んだその旅先に反応した。「つまり君は……」と言葉を継いでいく。
「要するにいつまでも城ぐらしも飽きたからたまにはピクニックにでも行こう、といっているのかね?」
バレましたか、とレイラはやや赤面をする。何にせよ断る理由はない。私は快くそれを承諾した。
「しかしそこはこの王都からだとかなり遠いぞ?」
「ですから魔王様にも来てもらおうかと。その翼があればひとっ飛び、でしょう?」
少しだけ断る理由ができたがお生憎様、承諾した後だった。
「いいだろう、何にせよ人間のする情操教育なるものを考慮するのであれば悪い経験にはなるまい。ただし、最初から飛んで登頂ではあまりに風情がなさすぎるから、近道は麓までだ」
「楽しみにしていますね」
そう笑い、レイラは部屋に戻っていった。
※※※
「ギラハト山か……」
その日の夜、私は王宮の、恐らくかつての住人たちの誰も気づいていなかったであろうある仕掛けを発動させていた。
それはある種の魔力にのみ反応して発動する空間転移魔法陣で、私を持ってしてもその魔力の再現は多少手こずり、全く同じ魔力を持ったある少女にあらかじめ出会っていなければ気づきさえしなかったであろうものである。そう、レイラに出会っていなければ。
その魔法陣を通り足を踏み入れた空間は広く、本来この世界の文明レベルではまだありえないはずの、遠未来的な機械設備に見えるものが並ぶ。あくまでも機械的にみえるというだけで、その実態は極めて高度な魔法技術の集積、この世界では存在を確認できなかったが、本来神々と呼ばれる存在でなければ作り出せないようなマジックアイテムにより空間自体が構成されている。その中央には小さなカプセルがあった。
「「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない」か……あれは一体どの世界の作家の言葉だったかな」
かつて滅ぼした世界の中にはそんな言葉を残した作家がいて、その作家の作品はその世界の書物の中では最も面白かったように思うのだが、滅ぼしたのがあまりに遠い過去のことなので記憶がおぼろげになっているのが残念ではある。その言葉が真なら高度に発達した魔法は、というのも成り立つのだろう。
カプセルは小さな子供がひとり入れるくらいのスペースで、そしてそれは開け放たれ今ではその主を収めてはいない。無論、レイラはここにいたのである。恐らく私と出会った日に目覚め、ここを抜け出し私のもとまでたどり着いたのだろう。私はカプセルに刻まれた紋様を見る。翼の生えた螺旋を思わせる独特のマーク。それは私にも覚えのないものではなかった。
なぜならそれは、私が倒した勇者が持っていた剣に刻まれていた紋様と同じもので、そしてその剣を彼は、ギラハト山の遺跡で抜いたのだから。