やはり滅ぼした後にだって苦労はある
まず私は今回はどのようにして世界を滅ぼしたのだったか思い出してみた。百年前のことというのは私の時間の尺度から言えばほんの一瞬だがそれでもいちいち滅ぼした過程などあまり覚えていないので難儀した。私は世界を滅ぼすこと自体ではなくその後その世界でゆっくりと書物や絵画を眺めるのが好きなのであって滅ぼすこと自体は例えば警備兵が毎日決められた場所に巡回するのと同じような感覚のものに過ぎない。
さて確か最初に最も栄えていた魔法都市を抑え、人間たちに強大な魔法が行き渡らぬように手を打ったはずだ。普通は勇者と呼ばれるものがその封印を解いてしまうのだろうが、お生憎様私は少しばかり強く封印をしすぎたので勇者も含め誰もその封印を解けず彼らの旅は苦難の連続だったし、その苦難が報われることなく私に殺されたのに思い至ると若干気まずくないでもなかったがそんなことはどうでもいい。つまりこの少女が何かしら不老や不死の魔法で百年前から生きながらえて私の目の前に現れたわけでは恐らくない、ということである。それがわかれば十分なので私はいちいち百年前の過ぎた日々のことを考えるのはやめにした。私は少女に答えた。
「いや、なんでもない。この本が何とも私の心を打つ内容だった。私は心を震わすものに出会うとついその時の感動を口に出したくなってしまうんだ」
まあ面白い本だとは思ったが心を震わすというのは少し言いすぎだったかもしれない。ただ、どこからどう見ても人間であるこの少女に「実は私が君以外の人間を皆殺しにしたんだがこの作者はそんなことは考えたこともなかっただろうから正直悪いなと思ったんだ」といっても何も理解できると思わなかったし、そもそもそうした大人の機微を理解できる年でもなさそうだった。
「そんなにおもしろいおはなしだったの?だったらレイラにもよんでほしいの!」
名前はわかったが名前以外に気になる点が多すぎることを私は問題にしたかった。
「図書館であまり声を出すことはマナーがよくないことだ、とされている」
「でも、だれもほかにいないみたい」
そりゃそうだ。だって私が全て殺したんだから。しかしその指摘は私に興味深い論点をもたらした。果たして誰もいない図書館で声を上げることはマナー違反に属するのか?だが、今はそれを考えているときではないだろう。
「マナーやモラルというのは人が見ていないときこそ人を試すものだ、という考え方もある」
「つまんないのー」
「とにかく、私は私が読書するのを邪魔されたくない。まだここの本をすべて読んでいないのでね」
百年というのは一つの王都の図書館に収められた本全てを読むのにすらなかなか短い時間だ。次の世界に旅立つタイミングは私の任意に委ねられている。私には時間が無限にある。このレイラという少女を殺してしまってその後再びこの世界の観光へと戻る。そうするのが一番ベターであるのは確かだった。
「いつかはぜんぶよんでしまうの?」
少女は目を丸くしている。一つの図書館に収められた全ての本を読むのが通常人間には不可能に違いない、という常識は持ち合わせているようだ。確かここの蔵書数は70万冊だから、まあ確かに人間の寿命では相当無理があるだろう。
「いつかは、全てを」
「レイラがかいた本もよんでくれるの?」
「君は作家なのか?ここに君の本が?」
「まだかいてないわ!でも、いつかレイラはおはなしをかく作家さんになるのよ」
「ふむ……」
「すてきなおはなしをたくさんかきたいから、レイラもすてきなおはなしをたくさんしりたいの」
滅ぼした後の世界でどうしても残念なことは、その後その世界で新たな書物が書かれる可能性はない、ということである。私は滅ぼした後の世界でその世界が残した言葉たちを読んでいく最中、その事実に人並みの虚しさを感じたことがないとはいえない。この少女が人間なら寿命は私がここにある書物の数割も読まぬうちに尽きるだろうが、しかし少なくとも生きている間は何かしら書いてくれるかもしれない。自分以外の人間が滅んだ後の世界でただ一人生き残った人間がどのような物語を書くのか、というのもいささか興味があった。
「優れた作家というのは、優れた先行作家に常に影響されて優れた物語を書くものらしい。幸い君に影響を与えるべき先達はここにはたくさんいて、それを読んで聞かせる者もここにいる。いいだろう、次の仕事までの暇つぶしとしては悪くない、レイラと言ったね?座りなさい、なんでも読んでほしいものを読んで聞かせてあげよう」
言うと少女は私の膝に飛び乗ってきた。仕方ないのでそのまま読み聞かせながら、私は自分の言葉にまたも引っかかる点を感じてそれについて考える。常に作家が自分の以前の作家に影響されるものなら、一体最初の作家はどのように生まれたのだろう?残念ながら私は世界の終わりに居合わせる存在であって世界の始まりは私の担当外のことなのだ。