やはり世界を滅ぼした後に読むのは勇者と魔王ものに限る
紙の本、というものに何かしら電子的な本よりも優位な点があるとすれば、それは人類全てを滅ぼしても前者が消えることはないという点に尽きるだろう、と私は王宮図書館の書架の古書に手を伸ばしながら考えた。以前に機械的な文明が発展した世界を滅ぼした時はそこが誤算だった。その世界では全ての本と呼ばれるものは片っ端から電子化されていて、人類を滅ぼすと同時にその電子化されたデータを引っ張り出して閲覧する手段もなくなってしまったのだ。
私は紙の本の補修なら少しは心得があるが、電子データの維持やら復旧については心得がなかったのだ。具合の悪いことにその世界はあまりにも文明と呼ばれるものが発達しすぎていて、人間は彼らの作り出した電子の海にその意識すらも保存することが出来た。よって彼らを根絶やしにすることは彼らが作り出した彼らよりも素晴らしく絢爛たる文明を無に帰すことと同じだったし、いくつもの星にまたがったその文明を無にすることは、私が多くの世界で魔王、と呼ばれる不老不死で、人間と比べると確かに強靭な存在であったとしてもなかなか骨の折れる事だった。やはり滅ぼすなら多くの世界からは中世と区分されるであろう程度に発達した文明に限る。人がいなくなっても長いこと景観が損なわれることがない。少なくともこの世界は人類を滅ぼした後、彼らが残した文化的なもの、つまり絵画や書物や建築物を眺め享受するのに向いているし、次の世界に行くまでの間長く楽しめそうだった。
私が手に取ったのはこの世界でも多く書かれてきた、魔王と勇者の戦いの物語で、その内容は恐ろしき魔王に勇者と呼ばれる人類側の代表が戦いを挑み、冒険の過程で友情や愛や勇気を手に入れてやがて勝利を収めるという内容だった。なかなか現実は物語のように上手くはいかないものだ。この物語を書いた作者は何かしら読者たちに友情や愛や勇気の意義を伝えたくて、読者たちは私がこの世界を滅ぼそうとしているときも物語のように自分たちがそんな素晴らしいもので救済されるのを信じていたのだと思うが、残念ながら私は勇者と呼ばれる存在を倒してしまい、恐らくこの本を書いた作者も読者も全て殺してしまったはずなのだ。私はこの本の物語が気に入ったので、作者がせめて私が人類を滅ぼした時期より世代がズレていて老衰なり事故死なりはたまた同じ人間なりに殺されたなりで私に殺されたわけではないことを確認しようと発行年月日を確認したが、お生憎様、確かに私がこの世界を滅ぼす時にもろとも殺した可能性が高い事を確認できた。いや、すまない、ともちろんもはや誰も聞くもののいない世界で私は苦笑し一人呟く。
「すまないって、なにが?」
そう声をかけられて私は本を閉じそちらに目を向けた。
そこには確かに、まだ幼い人間の子どもがいて、不思議そうに私を見上げキョトンとしていたのである。
人類をとうの昔に滅ぼしたと思っているであろう魔王が生き残りの人間に出くわしたときの典型的な反応、というのはいささか私の想像の範囲外にあることだが、この時の私が少なくとも典型的にそうだろうと思われるそれとは違うことを最初に思い浮かべたのは間違いのないことだ。と、いうのも……
──人間とは、果たして百年以上も年を取らぬまま徘徊できる生き物だっただろうか?
私がこの世界の人間を滅ぼしたのは、すでに百年以上も前のことだったのだ。