時間とは何か、何かとは何だ?
文庫本で視界を文字で埋めていると、時間という存在を忘れそうになる。
時計の針をただ見つめ、時を刻むのを見つめていると、時間というのは一定に進んでいるものだと数学的に思うものだが、ページを捲りながら、ふとした時に腕時計をチラと見れば、時間というのは早く進むものだと主観的に思う。
一体、時間とは本当に時計で表せているのだろうか、群青色の空と葉を散らした木々が織り成す風景を、主観的に眺めながら、主観的に思考する。
―――チャイムが鳴った。
昼休みが終わり、誰かに追われるように生徒達が教室に入ってくる。
しばらくして、若い男性教員が教室に入り、教壇に立つ。学級委員長の号令で始まった現代文の授業を聞き流し、無意識的にノートを取りながら、主観的に思考を再開する。
夏目漱石作「こころ」とだけ書かれた黒板の上にある時計の秒針は、今も一定のリズムで一秒を刻み続けている。後、約45分強の作業を終え、10分間の休息を挟み、50分間の作業を経て、5分ほど担任の諸連絡を聞きとれば、晴れて翌日の朝までは自由の身となれるわけだが、この計2時間程度の時間は、はたして自由を得た後の2時間と同じなのだろうか。
確実に違うだろう。なぜならば、自由な時間の方が圧倒的に短く感じるからだ。
きっと、誰しもが主観的に感じたことがあるだろう。退屈な時間と、有意義な時間の差を。
「――さん。この時Kはどんな気持ちだったと思う?」
授業が進行し、生徒が教師の質問に沈黙している最中、自問自答を始める。
問一、そもそも時間とは何か。
これが分からねば始まらないだろう。早速、電子辞書を使用して調べてみる。現代文の授業も無駄ではなかった。もし、これが他の授業だったならば、即座に辞書は使えなかっただろう。
調べた結果、時間とは、現象が経過していく前後関係を明示するための変数、らしい。
もう、既に結論が出てしまった。
時間が変数だという事は、時間は一定では無いことになる。
……何とも言えない気持ちだ。きっと、Kもこんな虚無感のために自殺してしまったのだろう。
「じゃあ、――。お前はどう思う」
おそらく女子が答えられなかったのだろう。教師は同じ質問を、別の男子生徒に投げかけている。どうやら、顧問をしているサッカー部員を当てたらしい。
頭が退屈を訴えてくるので、時間についてもう少し考えてみる。
すると案外、疑問は即座に浮かんできた。
問二、何故時間は変数なのか。
物理でも、数学でも、時間は一定の数字だ。1時間は1時間であり60分であり3600秒であるというように。今、腕時計を確認しても、秒針は一定のリズムで時計回りに回転している。
なのに何故、時間は変数なのだろうか。
時間は現象が経過していく前後関係を明示するための変数らしいので、そこから考えを発展させていきたいのだが、そもそも、経過という言葉は、時が過ぎゆく事を言うはずなのではないのだろうか。
そう思って電子辞書を手に取る。
辞書曰く、経過とは、ある場所・段階を通り過ぎることらしい。無論、時間が過ぎるという意味もあったが、時間を説明するのに時間という言葉を使うのはおかしいはずだ。
さて、それではこの調子で、日本語を日本語訳していく。そうすると―――
時間とは、出来事がある段階を通り過ぎていく前後関係をはっきり示すための変数である。となった。
また、矛盾が見つかった。明示するという言葉と、変数という言葉だ。変数は定数ではないため、変数を用いては、明示することは出来ないのではないのだろうか。そして明示に、はっきり示すという意味以外は書かれていなかった。
詰んでしまった。
感想、はっきりと示すために、はっきりしていないものを用いるのは、円の方程式に似ている気がした。
「―――、この時の「私」の気持ちはどんなものだと思う?」
教師が、再び生徒に質問をしている。
時計を見れば、もう結構な時間が過ぎている。ノートに無意識に記されていた黒鉛の字は、2ページ目に突入していた。
「分かりません」
生徒のはっきりとした回答が、静寂な教室に響き渡った。