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後味が悪くなったこと

 さて、そんな感じで食事会は進んだ。皆様がパンを食べて、随時私たちが解説を入れる。


 ちなみにメルティの解答は、始終「おいしくなるから」で統一させていた。もう、その神経の太さには脱帽だ。タマネギの苦みを取るために水でさらすことや、チーズの種類を混ぜていることに関しても、「おいしくなるから」だと。いや、ちゃんと理由あるでしょ。


 そういう感じで、食事会は終了した。私も試しにメルティのを食べてみたけど、味は悪くない。というか、私が学院祭で試食したものとおんなじだし。


 陛下方は、味や私たちの解答についてあれこれ言わなかった。でも退出間際、私とレグルス王子が静かにお辞儀をしたときは頷いて返したけど、メルティが「また作って参りますね!」と言ったときには顔の筋肉がぴくりとも動かなかった。


「……おい、待て」


 私たちはさっさと退出してレグルス王子の屋敷に戻ってまったするつもりだったけど、後から乱暴に呼び止められた。

 私は立ち止まりそうになったけど、隣のレグルス王子はスタスタ歩いていく。あ、いいんだ、と思って私も付いていくと。


「待てと言っている、このペテン師!」


 怒り声が飛んでくる。明らかな殺気を孕んだ声に私は思わず身を震わせてしまうけど、さっとレグルス王子の腕が伸びて、私の腰を抱いてくれた。

 私は横目で王子の顔を見た。その顔は、まっすぐで、思わず胸が温かくなって――


「無視するのか! レグルス、ティリスの小娘!」

「やっと名前を呼びましたね」

 名を呼ばれるやいなや、レグルス王子は立ち止まって振り返る。何だか私も不名誉な呼ばれ方をしたけど、とりあえず右に倣えで振り返る。


 そこには、怒りで顔を真っ赤にしたダメンズ一号――もといフィリップ王子がいた。その後にいるメルティは、なぜか今にも泣きそうに顔を愛らしく歪めている。


「殿下、私たちはペテン師という名ではありませんよ」

「うるさい。メルティに謝れ」

「なぜですか、殿下」

 冷静に返すレグルス王子。その答えも予想外だったのか、フィリップ王子は一瞬だけ面食らった後、再び食って掛かってきた。おい、ここはまだ王城の廊下だぞ。


「父上たちの前でメルティに恥を掻かせようと、意地の悪いことを言ったのだろう! 見ろ、メルティは心を傷つけられた。謝罪しろ。今すぐに!」

 ……ああ、いよいよ頭痛がしそうだ。レグルス王子の屋敷に帰ったら、ほっとできるようなお茶が飲みたいな。


 私の前に、さっとレグルス王子が立ちふさがった。食事中は我慢していたけど、王子も少しだけリミッターを外しているみたいだ。


「……言葉が過ぎます。私もティリス嬢も、謝罪する謂われはありません」

「何!?」

「まだ分からないのですか? 先に喧嘩を売ったのはメルティ・アレンドラ嬢です。彼女は、ここにいるティリス嬢を貶した。レシピを真似たのだと、そう言いましたね。しかし、ティリス嬢が最初にこのパンを世に公表したのは、もう一年以上前のこと。確かその後、アレンドラ嬢はティリス嬢に、レシピを譲るよう申し出たのですよね」

「それがどうした」

「まだ分かりませんか? ……一言で言います。レシピを真似たのは、あなたの方だ、アレンドラ嬢」


 死刑宣告のようにレグルス王子が言ったとたん、彼の姿が私の視界からかき消えた。


 瞬時にフェードアウトした彼に代わり、目の前にいるのは憤怒の形相で拳を固めるフィリップ王子と、その向こうで呆然としているメルティ。


 どさり、と重い音がする。何が起きたのかやっと分かった私は、一瞬目の前が真っ白になった。


「レグルス様!」


 私は床に倒れ伏していた彼に駆け寄り、その体を助け起こす。乱れた髪が掛かるその顔を見て、私は息を呑んだ。左の頬が、真っ赤に腫れ上がっている。


「レグルス様……」

「大丈夫ですよ、アリシア。受け身は取りました」

「そうじゃなくて! お顔が……」

「ふん、少しはその身にふさわしい顔になったようだな」

 そう言うのは、高みから私たちを見下ろすフィリップ王子。こいつ、怒りに任せてレグルス王子を殴ったというのに、鼻で笑っていやがる!


「妾妃の子の分際でのさばったのが裏目に出たな、レグルス。侯爵家令嬢であるメルティを貶して、気は済んだか?」

「……おやめください、殿下。レグルス様は……」

 私は勇気を振り絞ってフィリップ王子を見上げる。これ以上、レグルス王子が痛い思いをしないように、彼を背中に庇って。


 さすがにフィリップ王子も、女を殴るほど腐ってはいないだろう――と願った上で。


 だが、しかし。


「貴様もだ、アリシア・ティリス! 貴様が全ての原因だ! ベアトリクスやカチュア・レイルを従えて小汚い店などを開き、メルティを犯罪者に仕立て上げた! 学院でもそうだ、貴様がメルティを追いかけ回し、虐めた! 他の生徒たちを甘言で惑わし、味方に付けたつもりになったか!」

 えーっと、追いかけたことだけは認めます。実際に去年は、メモ帳を持って追跡していたので。


 その点だけは言い訳できず、私は言葉に詰まった。それがいけなかった。


 勝利の笑みを浮かべたフィリップ王子は、私を小馬鹿にしたように見下ろし、唾を吐いてきた。いや、比喩なんかじゃない!


 まじで、こいつ! 嫁入り前の女の、レグルス王子が贈ってくださったドレスのスカートに、唾をォォォォォ!


「汚ったな!」

 思わず言っちゃった。耐えきれなかったのか、がばっとレグルス王子が立ち上がって、今度は私を守るように背中に庇い、同じ高さでフィリップ王子を睨み付けた。


「……それが女性に対する態度ですか、殿下!」

「貴様も同類だ、レグルス! 下賤な妾妃の息子はさっさと僻地に籠もっていろ!」

「私のことはどうでもいい。私は、あなたがアリシアに対してやったことが許せない!」

 もはや泥沼の兄弟喧嘩。どちらも今は帯剣していないけど、またしてもフィリップ王子の拳が飛んできそうにブルブル震えている。


 私はどうしようもなく、へたり込んでいた。一方、フィリップ王子の向こうでメルティは――


 ……ん?


「……いい加減にしなさい、フィリップ」

 優しい声に、フィリップ王子とレグルス王子はにらみ合いをやめ、そちらを見やった。メルティの方に意識を向けていた私も、急ぎそちらを向く。


 ゆったりと歩いてきたのは、背の高い美丈夫と線の細い美女――サイラス殿下夫妻だった。


 傍らでメルティが空気を読まず、「あら、先ほど振りですね、殿下」とか言っているのをよそに、しばらく硬直していたフィリップ王子は、兄の言葉が脳みそに染みこんできたのか、絶望の表情でサイラス殿下に詰め寄る。


「兄上! な、なぜ私だけ!?」

「君たちの様子を見ていた衛兵から事の次第は聞いている。フィリップ、君が冷静にならなければならない」

「しかし、この女は!」

「男爵令嬢という身分を軽んじているな、フィリップ。それが、女性に対する態度、物言いか!」

 サイラス殿下の怒声が飛ぶ。穏やかそうな方だけど、その分怒った姿は凄まじい。殿下は滅多に怒らないのだろう、フィリップ王子だけでなく、レグルス王子も意外そうに目を丸くしている。


「……フィリップ。君の日頃の態度には、父上も辟易なさっているんだ」

「う、嘘だ! 父上はさっきも、何も……」

「父上は最後まで、君が更正できるかどうか見守ってらっしゃったんだ。しかも、先ほどは食事の場。せっかくの食材を不味くしてはならないと、我慢してらっしゃった。だが君は、父上のご厚意でさえ無碍にした」

「……しかし、彼らはメルティを傷つけて……」

「君がそう言うのならそうかもしれない。だが、仮にそうだとしても、王城の廊下で兄弟を殴り飛ばし、しかも女性の衣服に唾を吐きかけるという行為は、見逃しがたい――」


「お待ちください、サイラス殿下!」

 はい、乱入してきましたメルティ! もう驚かないぞ!


 メルティはちょこちょことこちらに駆けてきて、胸の前で手を組み、うるうるの目でサイラス殿下を見上げた。


「どうか、どうかフィリップ様をお許しください。フィリップ様は、私のために正義を貫こうとされただけなのです。私がアリシアさんの誤解を正せなかったのが元の原因。どうか、フィリップ様をこれ以上責めないでください」

 ん、やっぱり私が悪いことになるのか。この子の頭の中はどういう造りになっているんだろうか。


 ただし、だ。このうるうる嘆願で攻略キャラたちを陥落させてきたメルティだが。


 非攻略キャラには、効果がなかったようだ。サイラス殿下の説教は、メルティに向いた。


「メルティ・アレンドラ嬢。あなたもだ。あなたはフィリップの客人として招かれている。とすれば、最低限の貴族のマナーや王室のマナーには従って頂けなければ困る」

 おおっ! 初めて見たかもしれない、真面目にメルティを説教できる人! サイラス殿下がキラキラ輝いて見える……。


 だが、しかし。メルティはそれくらいでは折れたりしなかった。


「殿下……私、皆さんと仲よくなりたくて、一生懸命頑張ったのです。それなのに、殿下は私を認めてくださらないのですね……」

 急に哀れっぽく鼻を鳴らせ、殿下に訴えかけるメルティ。いや、頑張ったって、頑張る方向が違うでしょう……。


 絶句したサイラス殿下に代わって、奥方がしずしずと前に出る。


「殿下のおっしゃる通りですのよ、アレンドラさん。王宮は怖い場所。どうか、ご自分のためにも行動を顧みてくださいな」

「妃殿下はサイラス殿下と結婚できたからそんなこと言えるんです。そうやって、みんなでよってたかって私を貶すんですね!」

 そう反撃するメルティ。今度こそ言葉を失う奥方。


 ……こ、この子、いい加減にしなよ! サイラス殿下の奥方に対して、何その言い草!

 なんだか、一年前よりも、さらにメルティがアホの子になっている気がする。一年間、学院は大変だったろうな……。


 私はもう少し、この修羅場を見ておこうと思ったけど、脇からレグルス王子に腕を引かれた。そっちを見ると――王子の顔がいよいよ紫色に腫れていて、見るに堪えない。


「レグルス様……」

「行こう、アリシア。私も君も、一旦屋敷に戻った方がいいですよ」

 レグルス王子は優しくそう言う。確かに、王子は顔が腫れているし、私は無傷だけどドレスに唾が付いているし。レグルス王子からの贈り物なのに……三回くらいドブに填ってくれないかな、フィリップ王子。


「おい、何帰ろうとしている、レグルス!」

「いい加減にしなさい! このままでは、フィリップ。先日の父上からのあの話、流さざるを得ない!」

 またしても私たちに食って掛かろうとしたフィリップ王子だけど、サイラス殿下のその一言でひたと足を止めた。


 私はすぐに背を向けたから、その後のフィリップ王子の表情は分からない。でも、動揺したのはフィリップ王子だけじゃなかった。


 私を守るように腕で抱いて歩くレグルス王子。彼の顔も、わずかに歪んだのを私は見逃さなかった。

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