戦いを挑んだこと
今回の食事会は、私たちが持ってきたお手製パンを食べてもらうというものだ。
当然だけど、毒見は既に終えている。これらを作ったのはレグルス王子の屋敷で、城から派遣されてきた使者たちが見守る中、作って毒見をしてもらい、そのまま彼らが預かって持ってきてもらった。これはメルティの方も同じはずだ。事前にフィリップ王子の屋敷で作っている……はずだ。
コの字型のテーブルの空間を通って、侍従がコロコロとカートを押してくる。ああ、そういう風に間から給仕できるのね、と感心している間に、侍従はカートに乗っていたパン作品をテーブルに並べていく。
「向かって右側がメルティ・アレンドラ嬢の料理、左側がアリシア・ティリス嬢の料理でございます」
侍従の説明を受けて、国王陛下夫妻とサイラス殿下夫妻が興味津々で身を乗り出す。私も、祈るような気持ちでそっと、テーブルの上を見やった。
まず目に入ったのは、私がレグルス王子の屋敷で作った、自家製パン。生地にはバジルソースやダイスチーズ、オレンジソースやクリームを練り込んでいて、色だけでもそれぞれだいぶ違う。中に挟んでいるものも、陛下方の好みを想像して広く味わえるよう、種類豊かに作っている。
運搬係の使者には、「配膳の直前に霧吹きで水分を掛けておいて」とお願いしている。そのおかげか、作ってから数時間か経つけれどまだ生地は瑞々しく、若葉のように瑞々しいレタスの端っこに水滴が付いていて、艶やかさを増している。グッジョブ使者。
さて、その反対側にはメルティが作ったと思われるパンが鎮座している。見た目は……うん、やっぱり私が作ったものとそっくりだ。
でも、メルティは冒険する勇気はなかったのだろう。ラインナップはどう見ても、私が学院祭で作ったものと全く同じ。きっと失敗しないように、分量などもきっちりあの通りにしているんだろう。私の方は一年掛けて、研究を重ねてきたんだ。当然、去年の学院祭で作ったものよりもランクアップしている自信がある。
「どちらも……よく似ているな」
サイラス殿下が意見を述べる。うん、まあ根っこは同じだからそりゃそうでしょうね。隣の奥方も、興味津々の様子で二者のパン料理を見比べる。
「そうですね、殿下。お二人は同じレシピを使われましたの?」
おっと、王子妃殿下から鋭い突っ込み!
「そのことですが……発言してもよろ」
「私が一生懸命考えたレシピです! 同じものだなんて、とんでもない!」
陛下に発言の許可を得ようとした私を遮り、愛らしい声を張り上げるメルティ。
……おい、まずは発言の許可を得ようよ。
私たちの冷めた眼差しもなんのその、メルティはにこやかな笑みをサイラス殿下の奥方に向ける。
「私、陛下方に気に入って頂けるように、夜通しでレシピを考えましたの。その……確かにアリシアさんのものとよく似ていますが、きっと、アリシアさんも私と同じアイディアが同時に浮かんだのでしょう」
は?
この子、何言ってるの?
メルティのぶっ飛び発言に度肝を抜かれたのは、私の隣に座るレグルス王子。今にも椅子から立ち上がりそうな彼を、私は慌ててテーブルの下で袖を引いて抑えた。王子の気持ちはありがたいけれど、いきり立ったら負けだ。
私たち第三王子コンビは、何が何でも王室のマナーと礼儀を遵守しないと。それが、私たちが保つべき矜持だ。
レグルス王子は私に袖を引っぱられて我に返ったのか、キュッと唇を噛んで私を見つめてくる。「すまない」と、その目が語っていた。
私たちの葛藤をよそに、メルティの一人舞台は続く。
「陛下、どうかアリシアさんを責めないでくださいませ。彼女は悪気があって私の料理を真似……いえ、重ねたわけではないのでしょう」
「父上、私からもお願いします。メルティの慈悲をどうか汲んでくださいませ」
涙ながらに訴えるメルティと、その肩を抱いてまっすぐに国王を見つめるフィリップ王子。
……待て。
待て待て待て、ちょっと待て!
今この子、私をパクリ扱いしたな! しかもわざとらしく言い直して!
パクったのはどっちだ!
いよいよ食事会の空気が険悪なものになる。学院祭のことを知っているレグルス王子は体を小刻みに震わせているし、事情を知らないサイラス殿下夫妻も国王夫妻も、異常を感じたのか眉間に皺を寄せている。愛の感動劇(笑)に酔いしれているのは、フィリップ王子とメルティの二人だけ。
――ぷちん。
私の中で、何かが音を立てた。隣に座るレグルス王子にはその音が聞こえたのだろうか。彼はゆっくり私の方を見て、そして一度、励ますように大きく頷いた。
……おっし。
ならば、戦争だ。
私はまず、陛下に発言の許可を得る。重々しく頷かれてから私は立ち上がり、貴族の淑女らしく控えめな笑みを浮かべ、メルティを見つめた。
「……分かりました、アレンドラ嬢。では、そろそろ皆様に私たちの料理を召し上がっていただき……私たちの方で、料理の解説をすることに致しましょうね」
こうなったら、手加減はしない。
宮廷料理人の手でパンが切り分けられ、それぞれの皿に盛られる。どれがどっちが作ったか分かるように、皿の色を変えている。くしくも、本日それぞれ着てきたドレスの色と同じ。私は青、メルティはピンクだ。
「まあ、どちらのパンもとてもふわふわ……でも、アリシアさんの方が少しだけ背は低いですわね」
一口ずつ口にされた王妃様が感想を述べる。彼女の言葉を聞き、私は内心のみでふふふ、と笑う。
よし、これだ。こういう風に、意見を出される方がこっちはやりやすい。
どっちがパクリか、白黒付けたるわ!
私はその場で優雅に微笑む。そして、侍従が喉の潤し用にと淹れてくれたお茶を一口飲んだ。
「そうです。これにはパンの生地作成の段階でコツがありまして……アレンドラ嬢、ご説明願えますか?」
「え?」
案の定、話を振られたメルティはきょとんとしている。お茶菓子のマドレーヌをフィリップ王子とイチャイチャしながら食べていて、まさか自分に問われるとは思ってもいなかったのだろう。
私は少しだけ、助言をすることにした。
「ちなみに私は、小麦粉を分量通りに配分した後、二回篩に掛けていて」
「まあ、アリシアさんもですのね! 私もです!」
うん、分かってるからここでは口を挟まないでくれ。きれいに釣り針に掛かってくれたのは有難いけど。
なんか腹立つから、ちょっとだけイヤミを入れておこう。
「まあ! 奇遇ですね。それではアレンドラ嬢、粉を二回も篩に掛ける理由を教えてくださらないですか?」
さあ、最初の挑戦だ。
お菓子でも何でも、日本で暮らしていた頃は粉ものを二回篩に掛けていた。その理由はちゃんとあるし。メルティが本当に――私は信じてないけど――自力でレシピを編み出したなら、その理由も言えるはずだ。
メルティは、私の問いかけにしばし、目を瞬かせた。隣のフィリップ王子はなぜか、私を射殺さんばかりに睨んでくる。私、何か悪いこと言った?
室内にいる人間は皆、メルティの返事を待っている。陛下方だけじゃない。給仕のために呼ばれた料理人や侍従も、興味を惹かれたようにメルティの方を伺っている。そりゃそうだ、粉を二回篩うだけで変化が起きるなら、料理人もその技を知りたいことだろう。
さあどう答える、メルティ――?
メルティは考えた。そして、顔を上げる。
――まるで冬の山に花が一輪咲いたかのように、柔らかく微笑んで。
「それは、おいしくなるからですわ」
そう、のたまった。
……。
……うん、それで?
「……おいしくなる、とは具体的に?」
私の声が少しだけトーンが落ちたことに、メルティは気づいただろうか。いや、気づいていないだろう。
一方のメルティは、「よくぞ聞いてくれました!」とばかりに目を輝かせ、胸の前で手を組んで部屋をぐるりと見渡す。
「料理を作る上で、欠かせないものがあります。アリシアさん、それは何ですか?」
「……きちんと分量を見て、正確なものを作ること」
私は気が抜けたように答えた。すると――
メルティは、目元を垂らして軽く俯いた。失望したかのように、呆れたかのように、嘆きを込めて言う。
「……いけませんわ、アリシアさん。分量通りに作ることだけを念頭に置いていては、真の料理人とは言えませんわ。いいですか、アリシアさん。料理に必要なものは、愛情。食べてくれる皆様のことを思い、おいしくなれ、と願いながら作ることが一番ですのよ」
説教された。なぜだ、解せぬ。
「つまりはアリシアさん、あなたは正確に作ることだけを考えて、消費者の気持ちになれていません。どうか、私のレシピに頼らずご自分でよく考えて、料理を作ってくださいませ」
……そろそろ、怒鳴りたくなってきた。でも、ここで取り乱したら私の――いや、私たちの負けだ。レグルス王子や、店で待っていてくれるベアトリクスにカチュア、男爵家の家族に学院の知人たち。
みんなの名誉のために、我慢だ。
私は今にも崩壊しそうな笑顔を浮かべ、口を開いた。
「ご立派なご意見、ありがとうございます。では、私の見解を申し上げますと。……小麦粉を二回篩うことで、粉と粉の間に空気が入ります。そうすることで焼き上がりもふんわりしたものになり、噛みやすく、なおかつナイフの切れ目も入れやすい、ソフトな仕上がりになるのです」
メルティが何か言いたそうにしているけど、無視。
私たちがこっちの世界でパン、と呼ぶものは、ぶっちゃけ地球で言う小麦粉生地のケーキだ。ここのパンは、生地は硬いし色は黒いしで、見た目も味もよろしくない。
というわけで、我らが店で作るパンは、ケーキと同じ作り方なんだ。だから、膨らし粉を使うし、小麦粉は篩って入れる。
メルティ、この辺の過程も分かってるんかな……。
「加えて……私が作ったパンは、背の高さが違うでしょう? それは、中に入れる重曹の量を変えているからです。具材との相性を考え、総菜系のパンは固めに、菓子系のパンは柔らかめにしてみました。また、口を大きく開ける心配がないよう、全体的にパンの背の高さは控えめにしました」
具材の相性はもちろん、大口を開けることが望ましくない婦人方のことも考えていますよ! と積極的にアピール。
メルティにはもう遠慮はしない。