ヒロインは相変わらずらしいこと
私はレグルス王子をリビングに通した。シナモンを買いに行こうと仕度していたベアトリクスは驚いた顔をしていたけど、軽く挨拶だけして買い出しに行った。カチュアも驚きつつも、一旦皮剥きの手を止めてお茶を出してくれた。
「……ひとまず、わたくしは調理場の方にいますわ」
通り過ぎ様、こっそりとカチュアが囁いてきたので、頷いておく。レグルス王子の用は何か分からないけど、ひとまず一人で話を聞いておこうと思った。
レグルス王子はリビングの調度品を物珍しそうに眺めていたけど、カチュアが淹れたお茶を飲むと、ほうっと笑みを浮かべた。
「美味しいお茶ですね。……君も、ベアトリクス嬢もカチュア嬢も元気にしているようで、何よりです」
「勿体ないお言葉です。……殿下、学院の方は?」
確か今日は長期休暇でもないはずだ。そう思って問うと、レグルス王子はカチュアが出してくれた圧縮マフィンを手で千切り、肩をすくめた。
「臨時休業ですよ。……ほら、もうじき父上――国王陛下即位三十周年式典が行われます。あれには多くの貴族が参加するから、その準備でかなりの学院の人間が出ていてしまう。だから今回だけは約一月間、学院も閉鎖されたんです」
「なるほど……」
国王の即位記念式典は毎年あって、私も子どもの頃は何度か行ったことがある。普段なら学院閉鎖まではいかないけれど、なるほど今年は三十周年記念だ。そういえば、十年前も家族全員で王都に行った覚えがある。
そういうわけで、学院が閉鎖されたからレグルス王子がわざわざ来てくださったのか。……いや、これはそれだけじゃなさそうだぞ?
私は静かに、レグルス王子の動きを見守る。
「……学院の方は、いかがでしょうか?」
「ん。……まあ、いろいろありましたよ。手紙にも書いたと思いますが、この前生徒会の選挙があって……」
そこで一旦王子は口を閉ざす。そして数秒、思案にふけるように黙った後、ゆっくり顔を上げた。
その緑の目に、冗談の色はない。自然と、私の背筋が伸びた。
「……いや、はぐらかすのもまどろっこしいな。ティリスさん、今日私がここに来た理由を、説明しておこう」
「はい、殿下」
やはり大きな理由があったんだ。私が座り直してレグルス王子のカップに新しい紅茶を注ぐと、王子は礼を言って紅茶で唇を湿し、そっとカップをソーサーに戻す。
「……君にとっては忘れられない名前だろうが、メルティ・アレンドラ。彼女のことだ」
デスヨネー。
「君たちが学院を去ってから、私は自分なりに彼女のことを調べていました。残念ながら彼女とはクラスが違うので、常に張り付いておくことはできない。だが、彼女は私の異母兄弟であるフィリップ王子とあまりにも近しすぎる。そう思っての調査です」
私は頷いた。前世の記憶のある私は単なる好奇心でメルティを追いかけたけど、レグルス王子は王家の人間として、この先要注意人物になりかねないメルティを調べ上げる必要があったんだ。
「簡単に言うと、他の生徒による彼女の評価は決して高いとは言えません。自己中心的で、学院復帰後常に彼女の側に張り付くフィリップ王子に頼りっきり。王子殿下も、アレンドラさんのことになると周りの意見に耳を貸さず、独善的になってしまう。そうして生徒の不満も高まり……負のサイクルです。とりわけ、君やオルドレンジさんの所属していたクラスは、既に崩壊の危機を迎えております」
うーん……やっぱりそうなるか。担任だったリットベル先生も一枚どころか二三枚も噛んでいたんだから、クラスが崩壊する、と聞かされても驚くことじゃなかった。残されたクラスメイトには非常に申し訳ない気持ちだけれど。
私の表情を読み取ったのか、レグルス王子は緩く首を横に振った。
「断じて言いますが、君のせいではありません。君が学院を去ったことを悲しむ者はいても、恨む者はいませんよ。あなたにとっては気持ち悪いことかもしれませんが……真っ先にアレンドラさんと衝突したあなたのことを哀れに思う者もいます。……話を戻しますね」
ことん、と勝手口の方で音がする。ベアトリクスが帰ってきたみたいだ。シナモンは買えただろうか。
「先ほども触れた生徒会選挙ですが……候補者は六人いて、当選するのは四人。候補者には、私もいましたし、ティリスさんと同じクラブだったひとつ上の女子生徒もいました。後は、リレイヌ伯爵令嬢と、王都の商家の子息、そして……」
「フィリップ王子とアレンドラさんですね」
リレイヌ伯爵令嬢は、確か一つ学年が下の女の子だった。ちょっとだけきつい顔をしていて、どことなく雰囲気がベアトリクスに似ている。お父上は財務課に勤めているとのことで、由緒正しいエリート生徒だった。あの子なら、生徒会に入るのも頷けるな。
レグルス王子は私の言葉に頷き、「フィリップ殿下とアレンドラさんは」と続けた。
「六人中二人が落ちるとなると、確実に商家の子息と君の先輩だろうと大声で言っていました。彼らがそう考える理由は分かりますね?」
「……六人中、二人だけ平民だから」
「その通り。……下品を承知で言いますが、反吐が出そうです。王子が二人と、侯爵令嬢一人、それから伯爵令嬢が一人。これが当選者だとね。加えて、生徒会長はフィリップ王子、そして副会長がアレンドラさん、私はどうでもいいとして、伯爵令嬢は雑務をすればいいともね」
「何てことを……」
どう考えたって横暴だ。私は、自分の顔が歪んでいくのを止められない。
貴族と平民を問答無用で住み分けることももちろん、正妃の子どもである王子、養女とはいえ侯爵家の令嬢、妾腹の王子、そして伯爵令嬢と、階級だけで役職まで決めてしまうなんて。
グランディリア王国は身分制度ががっちりしているけれど、学院の生徒会や委員長はそうではない。優秀な者が選ばれる。それが規則にも載っているはずだ。
……とはいえ、よくもそんなことを大声で言えたもんだな、王子もメルティも。なんか、巨大なフラグをぶっ立てているようにしか思えないんだけど……。
「……ちなみに、選挙の結果は?」
「まあ、予想通りですね。フィリップ王子とアレンドラさんが落ちましたよ」
やっぱりそうか! まあ、そりゃそうか!
ん? でもそれはつまり、ついにゲームストーリーから話が逸脱してしまったということか。なぜなら、ストーリーでは主人公はともかく、フィリップ王子は絶対に当選、対抗馬のレグルス王子は絶対に落選するはずだ。
シナリオが、ゲームから外れていっている。
私はそちらの方に気を取られてごくっと唾を呑んだけれど、当然そんな事情を知らないレグルス王子は、肩を落とす。
「……二人も、まさか落ちるとは思っていなかったのでしょう。ロット・マクラインやリットベル先生たちは、不正だと騒いでいましたが。後に得票数が公示されたのですが、まあ見るに堪えない結果でした。公表しろと管理委員会に詰め寄ったのはフィリップ王子なのに、本人は結果を見て顔を真っ赤にして怒ってましたよ」
つまり、当選した四人とはとてつもない得票差が出たのか。そりゃあ、落選した挙げ句そんな結果をばばん、と張り出されたら堪らないよね。まあ、自分から公示を請求したんだから同情はしないけど。
「ちなみに、生徒会長は最年少のリレイヌ伯爵令嬢です。副会長は商家の子息。得票数とは別に、我々四人と教職員で決めました。王族が生徒会長になると確実に派閥を作るし、自分は平役員で頑張ると、君の先輩が申し出ましたので」
「順当な席次ですね」
「ありがとう。……それで、まあ生徒会選挙はなんとか集結しました。問題は今、起きています。後日開かれる、国王陛下即位記念式典です」
むむ、ということはこっちでもまた、メルティたちがデバガメするのか?
「父上である国王陛下は私たち三人の王子たちに、エスコートするための令嬢を一人連れてこいと仰せになりまして」
あ、展開が読めた。
「フィリップ王子がメルティ・アレンドラを指名しました」
ヤッパリネー。
「サイラス兄上はもちろん奥方同伴でいらっしゃいます。それは父上も快諾なさったのですが、フィリップ王子はそうもいかなくて」
「……陛下が反対なさったのですね」
「遠回しにですけどね。父上は、先日の生徒会選挙のことをお聞きになったらしく、学院内でも評判のよろしくないアレンドラさんを呼ぶなんて言語道断。それよりも、婚約者のベアトリクス・オルドレンジ嬢はどうなったのだと」
あ、そういえばまだ婚約解消してないんだった。
「……ベティ――あ、ここではそう呼んでいます――彼女を呼べるとは思えませんけど」
「わたくしも嫌ですわ!」
どばーん、とドアが豪勢に開いて、姿を現したのはベアトリクス。シナモンを棚にしまうところだったのか、その華奢な手には「お買い得! 業務用シナモン」のラベルが付いた瓶が握られている。
ベアトリクスの登場にも、レグルス王子は動じなかった。いずれ彼女にも話すつもりだったのだろう、小さく肩をすくめる。
「お久しぶりです、オルドレンジさん。……まあ、そうおっしゃると思っていました。普通に考えて、王子があなたに声を掛けることは有り得ませんよ。まず、あなたの父君がそれは許さないでしょう」
「お父様が?」
ベアトリクスが問う。その後には、リンゴを剥き終えたらしいカチュアが、手を拭きながらやって来た。
レグルス王子は二人にも座るように言い、膝の上で手を組んだ。
「オルドレンジ侯爵殿は、愛娘であるあなたが学院を自主退学したのはフィリップ王子とメルティ・アレンドラが原因だと言っております」
「ええ、わたくしもそのようにお話ししました」
「だとしたら、婚約者である娘と王子が不仲とはいえ、娘の退学の契機を作ったというのにのうのうと二人揃って式典に出るなんて、許せませんよね」
まあ、娘が目に入れても痛くない父親からすれば当たり前だろうね。見ていてもちっともおもしろくないだろうし。
でも、ベアトリクスとカチュアは違ったようだ。二人は顔を見合わせた後、ほぼ同時に「なぜですか?」と問うてきた。
「行けばいいじゃないですの。フィリップ王子とアレンドラさん、二人で」
「国王陛下も、いかにアレンドラさんが怪しいか、間近でご覧になれますもの」
さも当たり前のように言う二人。私は逆方法からの発想に息を呑むばかりだったけど、レグルス王子は眉間に皺を寄せた。
「いや、父上の記念式典でそれは……いや、待てよ。ひょっとしたら、あちらの方も解決するんじゃないか……」
レグルス王子はしばらく思案顔になって、そして顔を上げた。
まっすぐ、私を見つめる。
「……アリシア・ティリスさん。どうか、私と一緒に王城に来てくれませんか」




