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レイル伯爵令嬢VS元執事

 カチュアの細身剣と、ラルフの半月刀が絡み合う。


「腕を上げたようですね、お嬢様?」

 カチュアから距離を取ったラルフが低く笑い、血糊がべっとりと付いた半月刀を手の中で弄ぶ。


「ああ、こうしていると昔のことがすぐにでも思い出されます……覚えていますか、お嬢様? 私とあなたが初めて出会った日のことを」

「ええ、今では出会ったことを深く後悔しております」

 カチュアは動じることなく言う。ラルフは昔からこうだ。

 年下のカチュアをからかい、冷たくあしらい、動揺させるために、甘くて意地悪な言葉を囁いてくる。そんな彼に振り向いてほしくて、必死になっていた自分――


「幼いあなたは、私にべったりでしたね? ラルフ、ラルフ、と追いかけてきて……あなたにせびられて、何度もご本を読んで差し上げましたね」

「そうでしたね」

「あなたは子どもの頃に、私のように剣を扱いたいと伯爵殿にお願いをしましたね? どうせ、私と一緒にいる時間がほしいから、駄々をこねたのでしょう……私が剣の指導役になると、あなたはとても喜びましたね」

「そうでしたね。今では、他の人に師事すればよかったと思います」

 カチュアは静かに答える。今となっては、ラルフに付きまとっていた自分の幼少時代は完璧な黒歴史だ。彼に構ってもらいたくてたくさん我が儘を言い、彼を独占するためにいろいろな命令をして――


「『大きくなったらラルフのお嫁さんにして』でしたっけ? あはは、幼いあなたの必死な顔が目に浮かびますよ。楽なものです。はい、と答えて適当にあしらっておけば、あなたはホイホイと私を信じた。私は、あなたなんて眼中にないどころか、ちょろちょろ付きまとって鬱陶しいばかりだったのに……」

「子どもの戯れ言ですね」

 もし子どもの頃の自分と会えたなら、その口を針と糸で縫い合わせていたところだ。さしものカチュアも、昔の痴態をべらべらと喋られて沸々と胸の中が煮えたぎってくる。

 ラルフのペースに乗せられはしない。乗せられたのは、彼に心酔しきっていた昔の頃だけ。


「それで、何が言いたいのですか、ラルフ? 今さらこんな所に戻ってきて衛兵を惨殺して、何をしていますの? 鉱山で原石を掘っていたのではなくて?」

「……お嬢様が悪いのですよ。お嬢様がメルティを攻撃するような女と連むからです」

 一気にラルフの声のトーンが変わる。ラルフの言う「女」が誰なのかすぐに分かり、カチュアは顔をしかめる。


「アリシアが関係あるのですか?」

「ないとは言わせませんよ? 純粋無垢なメルティを傷つけ、皆の前でさらし者にし――私が一生のうちでやっと出会えた運命の人は、今や卒業した学院からもそっぽを向かれる始末。全てはあの女――アリシア・ティリスのせいなのですよ」

 色々突っ込み所はあるが、カチュアは肩を落として嘆息する。

 彼も同じだ。フィリップ王子と同じで、メルティの言葉ばかりを信じ、彼女が白と言えばカラスも白くなり、メルティと仲の悪い者を全て悪と見なす、妄信者――もとい、ただのバカ。


「それらをメルティ・アレンドラに原因があると思わない辺り、あなたの脳内も相当お花畑のようですね」

「お嬢様、さすがにその言葉はお嬢様といえど、許せませんよ……?」

「黙りなさい。あなたにお嬢様なんて呼ばれる筋合いはありません」

 ひょっとしたら、ラルフも久しぶりにメルティと接触を持って、そこから昔のようにおかしくなってしまったのかもしれない。以前「ティリスのすずらん」にやって来たロット・マクラインが更正(とは言いたくないが……)したように、メルティと距離を取っている間はまだしも、久しぶりに彼女が近くに来ると、また狂ってしまったのか。フィリップ王子と同じように。

 カチュアは剣を持ち上げる。その切っ先は真っ直ぐ、ラルフの心臓を向いている。


「わたくしはもう、あなたに振り向いてほしくて必死になっていたお嬢様ではありません。そしてあなたも、わたくしの執事ではありません。あなたは、わたくしたちの敵」

「奇遇ですね。私も同じことを考えましたよ? あなた方は、メルティの崇高な願いを挫こうとする悪者。メルティの思いを無碍にする者は、私が殲滅いたします」

 カチュアは目を眇める。となるとやはり、この聖堂の奥にはメルティがいるのだ。そしてラルフが言うことから、メルティが何かを企んでいることが予想できる。


 メルティはこの大聖堂で何かをするために、離宮を襲撃させ、久しぶりに再会したラルフを手先にしてアリシアたちを狙わせた。

 メルティの願い――どうせ、ろくなものではない。


「随分メルティに肩入れしていますけど、彼女はフィリップ王子からプロポーズされた身ですけど? 彼女はどうせ、あなたを駒にして使い捨てて終わりです。あなたに振り向くことはないのでは?」

 カチュアの指摘に、やっとラルフの笑みを浮かべた鉄仮面が剥がれ落ちる。ひょっとしたら、図星だったのかもしれない。


「……いいえ、メルティは必ず私を選びます。そのために、メルティは私を捜した! あの泥臭い鉱山から私を救い出し、手を差し伸べ、彼女のために生きる道を与えてくれた! そんな聖女のような彼女が、なぜ私を裏切る? 私は彼女に選ばれた! それを阻害するなら、王子だろうと何だろうと容赦はしない!」

 ここまで来たか、とカチュアはげんなりする。元々極端な考え方の人間だとは思っていたが、ここまで来ると救いようがない。カチュアが取り逃せば、いずれフィリップ王子の寝首も掻きに行くだろう。


「……大体の事情は分かりました。ただし、わたくしの意見は変わりません」

 カチュアは一歩、踏み出す。銀の刃が静かに光る。


「わたくしは、あなたを倒す。わたくしの大切な人のため……わたくしは、あなたを討ちます」

「ほう? 好きな男でもできましたか? 私に振られた傷心のお嬢様?」

「その下品な口をつぐみなさい。あなたの思考回路と性格の悪さにはうんざりです」

 カチュアの杏色の目が、光る。その目に、迷いはない。


「わたくしはもう、一人で全てを抱え、迷い、影で泣いていたカチュアではありません。アリシアに、ベアトリクスに新しい生き方を見出された、カチュア。『ティリスのすずらん』のケイト」


 暖かくて、優しい店内。三人でお茶をする喜び。頑張って作ったパンが売れ、お客の笑顔が見られる、幸せ。

 伯爵家にいただけでは決して知ることはできなかった、たくさんの小さな幸せ。その幸せを与えてくれた人たちの手を、血に汚すことはしない。


 カチュアの剣が、銀の軌跡を生み出す。その切っ先はぶれることなく、ラルフの喉を狙っていた。

 ラルフの表情が消える。彼は脚の筋肉で後ろに跳び、カチュアの剣戟から逃れる。カチュアの剣先はラルフの皮膚を切り裂くことは叶わなかったが、ラルフが纏っていたコートの裾がすぱっと切れ、布の欠片が宙を舞う。


 ラルフが着地し、体勢を整える間も与えず、カチュアは踏み出す。狙うは、一撃必殺。

 カチュアが斬りつけ、ラルフがかわす。時折、ラルフの半月刀が振るわれてカチュアの服や頬をかすめるが、カチュアの進撃は止まらない。


「っ……私を、殺す気ですか? お嬢様……」

 ラルフの額に汗が滴る。カチュアがこれほどまで腕を上げていることを想定していなかった、彼の誤算が見て取れる。

 カチュアは顔色一つ変えず、手首を捻らせて剣を翻す。ピッ――と、真っ赤な血の筋が飛ぶ。


「もちろん。過去の過ちもこの世の膿も、全てを取り払うために」

「はは……いいのですか? 人の血に濡れた手で、あなたはこれからもパンを焼けるのですか? 人殺しの分際で、あの娘たちと一緒に、店に立てるとでも思っているのですか!?」


 その時――カチュアの表情が、初めて歪んだ。

 真っ白できれいな手を持つ、アリシアとカチュア。

 真っ赤な血で濡れた手を持つ、自分。

 ――人殺しが、彼女らの横に立ってもいいのか?


 カチュアの心の乱れを、ラルフは見逃さなかった。にやり、と薄い唇が弧を描き、半月刀がカチュアの顔面に迫る。


 ――アリシア、ベアトリクス……!


 カチュアの杏色の目に迷いが浮かんだのは、一瞬だった。

 渾身の反射神経で、カチュアは顔を右に背ける。カチュアの頸動脈を狙った剣先は標的を逸れ、カチュアの左頬を真一文字に切り裂き、彼女の豊かな青銀髪を切り裂く。

 ラルフの顔が勝利に満ちた――のは、一瞬だけ。ぐっ、と半月刀が何かに引っかかり、ラルフの体が傾ぐ。


 カチュアの頬と髪の左半分を斬り捨てた半月刀が、カチュアの髪の何かに引っかかっている。すぐに引っかかりは取れ、ブチッと音を立てて刀が解放されるが、もう遅い。


 はらはらと自分の銀髪が舞い散る中、カチュアは右手に構えた剣を振るった。レイピアのように真っ直ぐ突き出し、ラルフの腕をかいくぐった剣先は、真っ直ぐにラルフの喉を貫いていた。

 確かな手応えを感じ、カチュアは目に炎を灯し、剣を引き抜く。喉を貫通されたラルフが喘ぎ、噴水のように血をまき散らしてどうっと前のめりに倒れる。


 ラルフは一度、二度、痙攣した。そしてその後、ごぼっと大量の血を吐いて、動かなくなった。

 カチュアはラルフが絶命したのを確かめ、ゆっくり立ち上がった。頬がぬるぬるする。ラルフの刀に斬られたのはごく浅い部分だが、血はなかなか止まらない。

 上着のポケットからハンカチを出してそれで頬を止血し、カチュアは足元を見た。


 ラルフの凶刃から自分を生き残らせるきっかけを作ってくれたもの。それは、見るも無惨に斬り捨てられた小さな髪留めだった。

 カチュアは右手でそれを拾おうとし、思い直して左手で拾う。右手は真っ赤な血で染まっている。自分のものかラルフのものか、もう分からない状態だが、左手ならまだましだった。


 輪っか型の金属の周りに布でシュシュ風に飾った、手製の髪留めだ。布は切り裂かれ、金具の部分もひしゃげてしまったそれは、アリシアやベアトリクスと一緒に作ったアクセサリー。ラルフの半月刀を受け止め、カチュアに反撃の機会を与えてくれた。

 カチュアは血で濡れた剣を鞘に収め、ポケットの上からそっと、壊れた髪留めを愛おしそうに撫でた。


「……わたくしはもう、迷わない」

 カチュアはラルフに背を向け、歩きだした。彼女が信じる、日だまりのある場所へと。

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